彼が注目したのは戦後のフランス、米国及び英国の選挙における出口調査などのデータだ。時系列を追って、特に左翼政党(フランス社会党、米民主党、英労働党)へ投票した人々の属性を分析した結果が、表題に挙げられている「バラモン左翼」Brahmin Leftと「商人右翼」Merchant Rightである。キャッチーな題名だが、重要なのはむしろ彼が文中で解説している「複数エリート政党システム」の方だろう。かつて左翼政党はエリートではなく大衆の政党だったが、今では「もう1つのエリート政党」になっているという指摘だ。
Pikettyの分析を分かりやすく示しているのがFigure 1.2c(72/174)と1.2d(73/174)だ。前者では大卒以上とそれ以外の層が左翼政党に投票した比率の差、後者は教育水準でトップ10%にある人とそれ以外の人の差が時とともにどのように推移してきたかをグラフにしている。1950年代にはマイナスであった(つまり学歴の低い人ほど左翼政党への投票が多かった)数値が時とともに上昇し、足元はむしろプラスに(つまり学歴の高い人ほど左翼政党に投票するように)なっている。
この左翼政党に投票する学歴の高い人がいわゆる「バラモン左翼」になる。Pikettyはp3の脚注でインドのカースト制度について「上位カーストはバラモン(司祭、知識人)とクシャトリア/ヴァイシャ(戦士、商人、職人)に分けられると記している。個人的にクシャトリアとヴァイシャはあくまで別のカーストであり一まとめにするのはどうかと思うが、彼の主張と歩調を合わせるうえではわかりやすい解説。20世紀半ばには低学歴で低収入な人々が左翼政党を支持していたのが、足元ではむしろ高学歴エリートが左翼政党を「乗っ取っている」というわけだ。
一方、学歴でなく所得や富で見ると、今なおエリートは左翼政党に投票したがらない。フランスの例(Figure 1.2eと1.2fや、2.4cと2.4d)と米国(3.4cや3.5aなど)を見ると、直近の選挙でこそ所得上位が左翼政党側に投票するようになっているが、これはフランスにおいてはマクロンを左翼に分類して分析したためであり、米国ではトランプという特異な候補者の登場がもたらした特殊事情の可能性がある。また英国の例(Figure 4.4bや4.5aなど)を見ると、所得上位もなお保守党支持傾向が強く、富の上位は昔から変わらず反労働党だ。
こうした左翼政党を支持しない所得や富の上位、つまりビジネスエリートたちのことをPikettyは「商人右翼」と呼んでいる。実際には所得と学歴はかなり比例するのが実情であり、各種データのうち「富」の方が「所得」よりも明確に右翼支持の傾向を示すのもそれが理由だろう。所得の高い人々の中には学歴によってその所得を手に入れている人々と、富を背景にしている人々がおり、21世紀に入って前者が左翼を、後者が右翼を支持しているわけだ。
だがエリートの対立は一方で政治的意思決定に大衆の利害を反映するルートをなくしてしまった。かつては労働者を代表する階級政党であった左翼がいつの間にか学歴エリートの政党になってしまい、大衆よりもエリートの利害を国政に反映させるために存在するようになった。自らの利害を訴える手段を失った大衆は格差の縮小に向けた再配分政策を政治の場に訴えることができなくなり、ポピュリストへと吸収されてしまう。格差拡大とポピュリズムの台頭にはこうした政党システムの変化があるというわけだ。
Piketty論文にはさらにアイデンティティ政治に関連し、マイノリティーがどのような投票行動をしているかの分析もある。フランス(Figure 2.6f)や英国(4.6a)ではムスリムが極めて高い比率で左翼政党に投票しており、米国(3.6a)ではまず黒人が、次にラティーノが高い割合で左翼政党に投票している。こうした政治行動に与える「人種」の影響についても既に紹介しているが、米英仏の投票行動データからもその事実が裏付けられるわけだ。
だがPikettyの分析で最も面白いのは「これからどうなるか」について論じている部分だろう。現状が「バラモン左翼」と「商人右翼」という複数のエリート政党システムになっているのは事実だとして、そもそもなぜそのような変化が起きたのか。その流れは果たしてずっと続くのか、それともさらなる変化が訪れるのか。
左翼政党の変質を起こした要因について、Pikettyは再配分以外の政治的論点の登場が背景にあると見ている。グローバリゼーションこそがそれで、各国ともグローバル化を支持するグローバリストと、それに反対するネイティヴィストが登場した。問題はグローバル化に対する政治姿勢が、それ以前の再配分を巡る政治姿勢と一致しなかったことにある。それどころか2つの争点に対する人々の政治姿勢はバラバラで、結果的に世論は大きく4つのセクターに分かれたそうだ。
ではこれからどうなるのだろう。英国のように「富」を持った人間の行動が全く変わらない一方、米仏よりは遅れたものの足元では学歴エリートが左翼支持傾向をはっきり示すようになった国(Figure 4.5g)においては、しばらくは複数エリート政党システムが続く可能性がある。その場合、労働者は自らの意見を国政に反映させるルートを失ったままで、流動化してポピュリストに取り込まれていく流れがずっと続くことになる。
しかしそうなるとは限らない。フランス(Figure 1.2f)や米国(3.5d)では所得の高い者でも次第に左翼政党に投票する動きが強まっているし、フランスの場合は「富」の上位でもかつてに比べれば左翼政党寄りの投票行動が増えている。もしこの傾向が、マクロンやトランプ絡みの特殊要因の結果ではなく、大きな潮流を反映したものだとすれば、やがてはエリートこそ左翼政党を、大衆が右翼政党を支持する時代が来るのかもしれない。その場合、最大の政治的争点はもはや再配分ではなく、グローバル化への姿勢になるのだろう。高学歴、高所得のエリートはグローバリスト政党を、低学歴、低所得の大衆はネイティヴィスト政党を支持することになる。
そうならず、グローバリストかネイティヴィストかの争いがどちらかの勝利で決着し、そのうえで元の階級ベースの政党に戻る可能性もあるとPikettyは見ている。どの形に落ち着くかについてまでは述べていないが、少なくとも旧来の左右の対立軸で考えても現状の分析には役立たないのは確かなんだろう。
なおTurchinのように「エリート動向こそが重要で大衆は無視」というスタンスに比べ、Pikettyはまだ大衆の政治的役割を重視しているように見える。それでも、普通選挙がかつてのホイッグとトーリーのような複数エリート政党システム以外の均衡を永遠にもたらすと考えるのはナイーブであり、20世紀半ばの階級に基づく政党システムこそ「特別な歴史的環境に起因し、壊れやすいものであることが証明された」(p62)ことをPikettyも認めている。20世紀中ごろはその意味で「幸せな例外的時代」だったのだろう。
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