なぜそうなるのか。そのあたりについて分析しているのが最初に採録されているUrbanization and Growth: Setting the Contextという記事だ。以後はそれに従って中身を紹介しよう。
まずこの記事では歴史的なデータを紹介している。68-69/290に都市化の割合と1人当たりGDPの分布図が載っているが、1960年から2000年まで10年ごとにプロットしたところ、それぞれR自乗は0.55~0.60前後の範囲となった。つまり都市化の進展度は1人当たりGDPの高さとかなり強い相関を持っているというわけだ。ここで重要なのはこれが特定の時期にのみ存在した傾向ではなく、ずっと見られる現象であること。こちら"
https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56739617.html"でAcemogluは経済発展を測る方法として都市化を指標として使っているが、この方法の妥当性を裏付けるデータだ。
ただし国ごとに見るとその関係は一様ではない。35-36/290には米国、中国における都市化と1人当たりGDPの時系列的な変化が載っており、非常に似た形状を示しているが、米国に比べて中国は都市化の度合いがかなり低い段階で大幅な成長を達成している。またブラジルはこの両国とは形状が異なり、都市化が順調に進む一方で1人当たりGDPは何度も頭打ちを繰り返しており(37/290)、ケニアに至っては都市化が進む一方で1人当たりGDPが全く伸びていない(38/290)。
こうした違いについて、この記事ではまず最初に生産性の低い田舎から都市へと人口移動が起きることによって1人当たりGDPが伸び、続いて今度は都市内部の産業(第二次産業と第三次産業)それ自体の中で生産性の改善が進むという理屈を立てている。後者の成長をどうやってもたらすかは都市化以外の条件が問われることになるため、ブラジルのようにそこがうまくいかない事例も出てくる。
問題はケニアや他のアフリカ諸国でも見られる「成長なき都市化」の事例だが、これは数としては少数派だ。またそもそもの都市化の度合いも低い。アフリカでは降水量の減少と都市化が相関しているというデータもあるそうで、著者はこれらを、都市が牽引する都市化ではなく、田舎から押し出される形での都市化ではないかと分析している。降水量の減少によって農業生産が悪化し、田舎で暮らしていけなくなった人々がやむを得ず都市に流れ込むという展開だ。
都市の生産性が高いために人を引き寄せているわけではないため、こうした都市化は1人当たりGDPの増加に直結しない。それでもそうした事例においてすら貧困層の頭数は減っている(40/290)そうで、確かにグラフを見る限り東アジアほど明確ではないがサブサハラ地域でも都市化が進むにつれ状況が改善していることは確かだ。
なぜ都市の生産性が高いのか。一次産業は二次産業や三次産業に比べて成長率が低いという単純な理由がここでは紹介されている(43/290)。高度成長を成し遂げたいろいろな経済を対象に産業セクター別の成長率を調べると、国ごとに違いはあるものの一次産業が最も高い成長率を達成している事例はない。成長率の高いセクターに人が集まるほど全体の成長も高まるという理屈だ。都市の産業の生産性は伝統的産業セクターの3~5倍か、時にはそれ以上に達するという研究もあるそうだ(11/290)。
なぜ都市の産業は成長率が高いのだろうか。記事では大きく2つの論拠を示している(44/290)。1つは効率性の増加。都市は多く海や河川沿いという交通の利便性が高い場所に存在し、それによって各産業の効率性が増えていく。2つ目は消費上の利益。都市に集住することで規模の利益を追求する産業が都市に増えることになる。それがまた都市に住む利便性を高め、正のフィードバックが働いて成長が加速する。
このように凝集した経済活動や、さらにそこで生じるナレッジシェアリングはさらに生産性を高める。都市のサイズが倍になると各種産業の生産性が3~8%上昇するし、また密度が倍増した場合も5%上昇するというのがこの記事の指摘だ(45/290)。加えて例えば米国では都市の賃金プレミアムが30%あり、それがより優秀な人を引き付けるという。おまけに都市ではライバルが目に見える形ですぐそばにいるため、みながハードに働くという点もある(47/290)。
都市はそこだけではなく周辺にも経済発展をもたらす。大都市で生み出されたノウハウが、より賃金の安い周辺へと持ち込まれて高い生産性を広げるという動きは、沿岸部の都市を先導にして成長を広げた中国で見られた現象だ(48/290)。大都市はいわば都市以外の地域の経済発展をもたらすための保育者でもあり、都市からあふれた「経済発展」が他の都市や田舎まで潤してくるという理屈だろう。
さらに都市のサイズについては、小さすぎる方が大きすぎるより高くつくという主張もしている(49/290)。最適サイズを超えたとしても都市の生産性はフラットな状態で下がることはないが、逆に最適サイズより小さいとコストが3倍近くに膨らむという。そこから著者は、二級都市を発展させるより最先端の都市を大きくする方が効果的だという結論を出している。都市化を抑制するような政策はむしろ成長にとってマイナスというのがこの主張だろう。
低 30.9 4.8
下中 39.2 5.5
上中 64.1 4.9
高 80.9 1.8
都市化の初期段階にある低所得国よりも、まさに都市化が急速に進んでいる中所得国の方が成長率が高く、だが都市化の最終段階にある高所得国になると急激に成長率が鈍っている。もちろん都市化以外の要因も考慮しなければならないのは確かだが、それでも都市化が進むと片肺飛行になってしまう様子は窺える。そして成長率の低下は、ピケティの不等式(r>g)が成立する可能性を高める。都市化途上にあるうちはともかく、都市化が十分に進んでしまうと格差の拡大が不可避になるかもしれないのだ。
トフラーの言う「第三の波」、即ち情報革命がもし農業革命や産業革命に匹敵する変化なのだとしたら、今度は都市化以外の方法で「より生産性の高い産業への人口シフト」が起こり、それによって再びマルサスの罠が待つ天井を引き上げられるかもしれない。だが少なくともこれまでの時点において人々が情報産業に雪崩を打つようにシフトしている様子はないし、それが高い成長の源泉になっているとも思えない。今のところ、マルサスの罠が再び口を閉じる危険性は十分に残っているのではないか。
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