リベラルと競争の果て

 少し前に面白い説があった。なぜ学者や教育を受けた人はよりリベラルになるのか"http://www.patheos.com/blogs/scienceonreligion/2018/07/a-theory-of-why-academics-and-educated-people-are-getting-more-and-more-liberal/"について分析した「理論」だ。米国では特にこの傾向が時とともに強まっているという。
 こちら"https://heterodoxacademy.org/professors-moved-left-but-country-did-not/"に載っているグラフを見ると、米国の大学関係者の政治的傾向として左翼/リベラルと自認している人の比率は1989-90年の40%強から2013-14年には60%まで高まっており、逆に右翼/保守と、そして何より穏健派の比率が下がっている(Figure 1)。一方米国全体ではそれほど大きな変化はなく、1970年代と比べて保守が少し増え、リベラルが少し減った程度だ(Figure 2)。
 結果として学者や教育を受けた人の間では民主党支持が増えているのだが、彼らの姿勢も時とともに変化している。一例が移民に対する評価で、こちら"https://www.theatlas.com/charts/BJ7co-SHM "を見ると共和党支持者たちの姿勢がこの20年ほど変わっていないのに対し、民主党支持者の間では「移民は強み」と見る人の比率が30%強から85%へと急激に上昇している。現在の米国で移民に対する取り締まりに当たっているのは移民・関税執行局(ICE)という組織だが、ツイッターでは#AbolishICEというタグが作られ、いろいろと情報発信がなされている"https://en.wikipedia.org/wiki/Abolish_ICE"。
 ただしこのICE廃止要求については、リベラル寄りのメディアの中ですら批判的な見解が多い。こちら"http://www.allgeneralizationsarefalse.com/wp-content/uploads/2018/01/Media-Bias-Chart_Version-3.1_Watermark-min.jpg"でリベラル寄りとされているVoxですらICE廃止には反対が多いと指摘している"https://www.vox.com/2018/7/11/17553330/abolish-ice-poll"し、The Atlanticも「狙いが曖昧」"https://www.theatlantic.com/politics/archive/2018/07/what-abolish-ice-actually-means/564752/"と書いている。
 閑話休題。なぜ学者や高等教育を受けた人がリベラルやラディカルになっていくのか。人々のモラルに関する理論の中に5つの価値をどう評価するかについて調べるものがある"https://en.wikipedia.org/wiki/Moral_foundations_theory"。保守はその5つの価値を均等に重視しているのだが、リベラルになるほど集団より個人寄りの価値を重視する傾向がある"https://xsplat.files.wordpress.com/2011/12/morality.gif"。なぜか。労働者階級と専門家のモラルは同じではない、というのがこの記事の仮説だ。
 労働者の多くは組織の中で働いており、個人では達成が難しい仕事をしている。そして互いに協力して何かをなし遂げるうえではヒエラルキーという仕組みは役に立つ。一方専門家たちの仕事はより自律的だ。専門家たちがより個人的なモラルを重視するのは、彼らの性格傾向がそうであるというより、専門家としてはそうでなければならないためだからだ。「ショートノーティスで東京へ行けと言われれば、全てのしがらみを捨てて東京に行くことができるのが仕事の一部」になっているのが専門家なのである。
 もし親戚や隣人との関係があるので東京に行くことはできない、と言ったらどうなるだろうか。彼/彼女の代わりにそのライバルが東京へ行く。そうすることで出世の糸口をつかむ。拒否した者はよくて窓際、悪くて解雇だ。だから専門家たちは常に「自分は集団のモラルに従うのではなく、自律的な仕事を優先する個人的モラルの持ち主である」ことをアピールしなければならない。そのための手っ取り早い方法が、実はリベラル的な価値観の表明なのである。極端な社会的つながりから自由で、専門家に必要な社会的機動性を持っていることを証明するために、自分が専門家階級に典型的な政治傾向を持っていることを周囲に示すようになるのだそうだ。
 そしてその傾向が最近強まっているのは、彼らの間で競争が激化しているから。分かりやすい例がロースクール卒業生の増加"https://nationalpost.com/opinion/peter-turchin-how-elite-overproduction-and-lawyer-glut-could-ruin-the-u-s"と、弁護士給与の二極化"http://peterturchin.com/cliodynamica/bimodal-lawyers-how-extreme-competition-breeds-extreme-inequality/"だろう。そう、米国の学者や高等教育を受けた人々のリベラル化が加速しているのは、「エリートの過剰生産」によって彼らの間で一種の「見せびらかし消費」としてのリベラル的意見表明が増えているためである。Turchin的なメカニズムが背景にあるというわけだ。
 しかし彼らの間で起きているこうした流れは、度を超すと大衆の反動を招く。自律的な仕事をして食っていける人間は結局のところ少数派であり、多くの人間は生きていくうえでグループに属しグループの中で働く必要があるし、それだけ保守的になるインセンティブを持っている。こうした反知性的、反エリート的な感情は世界中に広がっている。そうした問題の背景には格差の拡大があるのだが、それが人々のモラルや信念をゆがめているというのが結論だ。
 確かに格差は拡大しているし、それが例えば65歳以上の高齢者の破産が増える"https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=3226574"といった形で弱者を苦しめているのは間違いない。だが本来なら問題解決に取り組むべきエリートたちが互いの競争に明け暮れ、イデオロギー的な見せびらかしに狂奔しているとしたら、そりゃエリートへの信頼が世界中で失われるのも当然だろう。Turchinの言う危機フェイズは、まさにノブレス・オブリージュが問われる時代なのであり、そして過去の歴史を見る限り残念ながらエリートたちが「高貴なる義務」を果たす可能性はあまり高くなさそうだ。

 一方、こうした「エリート過剰生産とそれに伴う専門家間の競争激化」は、エリートでない側からはどう見えるのか。こちら"https://www.nationalreview.com/2018/08/great-white-culture-war-race-political-divides/"の記事が典型だが、非エリート側はこのエリート間競争の結果生じている状況をWhite Bashing(白人バッシング)と見なし、これが「文化的な遺恨試合」であると考えている。
 エリートたちが競争してリベラル的な価値観の表明を行うことは、そうでない価値観の持ち主である労働者階級から見れば自分たちを否定するような動きに見えるのだろう。そうした「白人文化戦争」に、この記事でも取り上げているようにアジア系のインテリ"https://www.bbc.com/news/world-us-canada-45052534"が加わったりすると、確かにこれが白人バッシングに見えてくるのも仕方ない。
 おまけに、人種差別が否定されるべきものであることは間違いないとしても、そうやって保守的白人を非難し、他の人種を持ち上げているエリート白人たち自身は、常に非白人も含めたヒエラルキーの頂点にとどまり「圧倒的なほどの権力と特権を享受し続けている」。そうしたルサンチマンまで含めた結果、リベラルの世界観と白人保守の世界観は正反対となり、都市部のアメリカと田舎の所謂「ムリカ」"https://www.urbandictionary.com/define.php?term=Murica"とは、それぞれ極めて異なる土地になってしまっている、というのがこの記事の見解だ。
 面白いことにこの記事の筆者は、おそらくリベラルたちがエリート競争に巻き込まれていることに気づいている。彼が引用しているこちらの記事"https://www.theatlantic.com/politics/archive/2018/08/the-utility-of-white-bashing/566846/"中には「時に白人バッシングが実際に(社会的な)地位上昇に貢献している。特にアジア系アメリカ人(非白人の中ではエリート比率が高い)にとっては」という一文がある。まさに専門家的な価値観を顕示することでエリートとしての階段を上ろうとしている動きの存在を示したものだ。
 重要なのはこの白人間の対立が、しばしば人種に関する会話や議論「と一緒に」語られることにある。そのため、例えば文化的あるいは宗教的には白人保守と似たような価値観を持っている非白人(多分ヒスパニックも含む)と、典型的な白人保守との間の同盟が成立し得なくなっている。おそらくはこの事実がさらに白人保守の孤立感を強め、人種差別的な意識を強めるように働いてしまっているのだろう。かくして分断はさらに強まることになる。
 足元ではトランプ政権の成立によって彼ら白人保守が巻き返しているのは事実だが、長い目で見たときに白人保守にとって風向きはよくない。こちら"http://www.people-press.org/2018/03/20/1-trends-in-party-affiliation-among-demographic-groups/"の分析にあるように若いミレニアル世代は圧倒的に民主党寄りだし、また都市化の進む先進国においては都市部で強い政党の方が有利だ。そもそも白人というエスニシティーにおいて米国では既に死亡数が誕生数を上回っている"https://apl.wisc.edu/data-briefs/natural-decrease-18"。こうした流れも民主党側がよりラディカルに傾く要因の一つだろうし、白人保守がより頑なにトランプを支持し続けるのもそうした事実が背景にありそうだ。

・追記

 ちなみにミレニアル世代が民主党寄りになっているのは、この世代に非白人が多いこともあるが、何より彼らの学歴が先行する世代よりも高いことが要因だと思われる"http://www.pewresearch.org/fact-tank/2018/03/16/how-millennials-compare-with-their-grandparents/"。およそ30年前の1985年、学士号を取得した人は同世代のうち男性で22%、女性で20%だったが、2017年にはこの数字は29%と36%に増えている。つまり彼らはより厳しさを増している専門家間競争に勝ち残らなければならない世代なのだ。
 もちろん彼らの世代が過去の世代に比べて割を食っている"https://highline.huffingtonpost.com/articles/en/poor-millennials/"という指摘にも一理あるだろう。だが単に生活苦に喘いでいるだけなら、ヒルビリーのような保守的白人たち同様にトランプを支持してもいいはず。そうなっていないのは彼らの多くが高い学歴を持ち、専門家階級ならではの政治的傾向(即ちリベラル志向)をアピールすることに実益が伴っているからだ、とも解釈できる。
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