労働者の多くは組織の中で働いており、個人では達成が難しい仕事をしている。そして互いに協力して何かをなし遂げるうえではヒエラルキーという仕組みは役に立つ。一方専門家たちの仕事はより自律的だ。専門家たちがより個人的なモラルを重視するのは、彼らの性格傾向がそうであるというより、専門家としてはそうでなければならないためだからだ。「ショートノーティスで東京へ行けと言われれば、全てのしがらみを捨てて東京に行くことができるのが仕事の一部」になっているのが専門家なのである。
もし親戚や隣人との関係があるので東京に行くことはできない、と言ったらどうなるだろうか。彼/彼女の代わりにそのライバルが東京へ行く。そうすることで出世の糸口をつかむ。拒否した者はよくて窓際、悪くて解雇だ。だから専門家たちは常に「自分は集団のモラルに従うのではなく、自律的な仕事を優先する個人的モラルの持ち主である」ことをアピールしなければならない。そのための手っ取り早い方法が、実はリベラル的な価値観の表明なのである。極端な社会的つながりから自由で、専門家に必要な社会的機動性を持っていることを証明するために、自分が専門家階級に典型的な政治傾向を持っていることを周囲に示すようになるのだそうだ。
しかし彼らの間で起きているこうした流れは、度を超すと大衆の反動を招く。自律的な仕事をして食っていける人間は結局のところ少数派であり、多くの人間は生きていくうえでグループに属しグループの中で働く必要があるし、それだけ保守的になるインセンティブを持っている。こうした反知性的、反エリート的な感情は世界中に広がっている。そうした問題の背景には格差の拡大があるのだが、それが人々のモラルや信念をゆがめているというのが結論だ。
確かに格差は拡大しているし、それが例えば65歳以上の高齢者の破産が増える"
https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=3226574"といった形で弱者を苦しめているのは間違いない。だが本来なら問題解決に取り組むべきエリートたちが互いの競争に明け暮れ、イデオロギー的な見せびらかしに狂奔しているとしたら、そりゃエリートへの信頼が世界中で失われるのも当然だろう。Turchinの言う危機フェイズは、まさにノブレス・オブリージュが問われる時代なのであり、そして過去の歴史を見る限り残念ながらエリートたちが「高貴なる義務」を果たす可能性はあまり高くなさそうだ。
おまけに、人種差別が否定されるべきものであることは間違いないとしても、そうやって保守的白人を非難し、他の人種を持ち上げているエリート白人たち自身は、常に非白人も含めたヒエラルキーの頂点にとどまり「圧倒的なほどの権力と特権を享受し続けている」。そうしたルサンチマンまで含めた結果、リベラルの世界観と白人保守の世界観は正反対となり、都市部のアメリカと田舎の所謂「ムリカ」"
https://www.urbandictionary.com/define.php?term=Murica"とは、それぞれ極めて異なる土地になってしまっている、というのがこの記事の見解だ。
重要なのはこの白人間の対立が、しばしば人種に関する会話や議論「と一緒に」語られることにある。そのため、例えば文化的あるいは宗教的には白人保守と似たような価値観を持っている非白人(多分ヒスパニックも含む)と、典型的な白人保守との間の同盟が成立し得なくなっている。おそらくはこの事実がさらに白人保守の孤立感を強め、人種差別的な意識を強めるように働いてしまっているのだろう。かくして分断はさらに強まることになる。
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