交雑する人類

 「交雑する人類」"https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000817512018.html"読了。こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56600781.html"で最近の研究の変化が速いと述べたが、確かにホモ・サピエンスの歴史に関する知見は最近になって急激に進んでいるようだ。特に古代人のゲノム分析に関する技術がこの数年で大幅に進歩したという事実があるらしい。
 こちら"https://sicambre.at.webry.info/201807/article_44.html"にはこういった研究を多く紹介しているblogによるこの本の書評が載っている。曰く原書の発行は2018年3月"https://global.oup.com/ukhe/product/who-we-are-and-how-we-got-here-9780198821250"。日本語訳が7月出版だから実に素早い。それだけ注目されていた本だと考えられる。
 著者はハーバード大学医学教授で2013年から自身で古代DNA研究所を設置して古代人のゲノム解析を進めているという。この分野は本当に日進月歩のようで、2017年11月時点で全ゲノムデータの存在する試料が3748あるのに対し、発表済みのものはまだ711だけ。今まさに急速に試料が積み上がり、分析される時を待っている状態だそうだ。かなり盛り上がっている分野といっていいだろう。上の書評にも指摘されている通り、すぐに新しい研究成果によってこの本に載っていることも更新されていくと思われる。
 それにしても原題(Who we are and how we got here)とは全然違う題名でありながらこれだけまともな邦題のついている本も最近では珍しい。原題から変更した結果、残念な邦題になった例はこちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54698300.html"がそうだし、こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55483569.html"もあまり褒められた邦題ではない。一方「交雑する人類」は即物的ではあるがこの本の主張を余すところなく伝える題名でもあり、原題のようなしゃれたものではないとしても十分にいい題名だと思う。

 本は第1部で全ゲノム分析に関する基本的な説明とネアンデルタール人、デニソワ人との交雑を説明。第2部ではホモ・サピエンスが世界中にどう広がっていったかについて地域ごとの説明を掲載し、第3部でゲノム分析が持つ現代的な意味について言及している。歴史に興味がある人間にとっては特に第1部と第2部が主な関心対象になるだろう。
 ネアンデルタール人との交雑についてはかなり広く知られるようになってきたが、実際にはかなり複雑な経緯をたどっているようだ。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の交雑はおよそ5万4000年前から4万9000年前の出来事と見られているが、それ以降ネアンデルタール人由来のDNAが自然選択によって少しずつ我々のゲノム内から取り除かれているという話も、この本を読んで初めて知った。
 我々と交雑したもう1つのヒト、デニソワ人絡みの話もややこしい(一例"https://twitter.com/Aki_Okazawa/status/1010350532165132288")。書評blogにも書かれているようにデニソワ人はずっと昔に分岐した別のヒト(超旧人類)と交雑した可能性が高く、そこから「ネアンデルタール人、デニソワ人、及びホモ・サピエンスの共通祖先はユーラシアで進化した」という説が出てくるあたりは非常に興味深いところだ。
 なお最近になってデニソワ人の父とネアンデルタール人の母から生まれた子供の骨が確認された"https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45280109"。こちら"https://www.nature.com/articles/d41586-018-06004-0"に記事が紹介されているが、そこに載っているTangled Treeという系統図を見ると、ホモ・サピエンスの先祖をめぐってややこしい交雑が起きていたことがわかる。

 しかしこの本の白眉は、そうした他のヒトとの交雑に関する話よりも、ホモ・サピエンス内でどのような交雑がなされてきたかに関する分析の方にあると言える。実際、著者の指摘する「すべての人種は交雑種」という指摘はとても重要であり、かつこれまでの常識からはかけ離れた認識をもたらすものだ。少なくともコーカソイドやモンゴロイドと呼ばれる人々が5万年前の出アフリカ以降、すぐに分岐して成立した存在でない点は重要。人種というのは、存在するとしても歴史の浅いものにすぎないわけだ。
 具体的な人々の交雑動向については、特に研究が進んでいるヨーロッパについて詳しく紹介されている。それによるとまずおよそ4万年前に最初の狩猟採集民が中東からヨーロッパへと入り込んだのだが、3万3000年から2万2000年前にはこの狩猟採集民のうち東側に分岐したグループがヨーロッパへ入り込んで最初のグループにほぼ取って代わる。だが彼らも氷河によってヨーロッパから追い出され、イベリアで生き残っていた最初のグループが再びヨーロッパ各地に広がる。しかし1万4000年前ごろには新たに南東ヨーロッパから来た狩猟採集民が広がる。
 この辺りの狩猟採集民の勢力交代がどのようなメカニズムで生じたのかは分からない。ただ氷河の動きなどが影響しているとするなら、環境変化がこうした勢力交代をもたらす要因になった可能性はある。一方、8800年前から4500年前にかけてやってきた農耕民の拡大については、まだ説明がつきやすい。おそらくは人口の差が原因だ。密度の高い人口を支えることができる農耕民が時間をかけて狩猟採集民と交じりあいながら取って代わる展開は十分に想像できる。
 しかしヨーロッパでの勢力交代はそれで終わりではなかった。5000年前ほどからステップ地帯の遊牧民がヨーロッパに入り込み、4500年前頃にゲノム構成を大きく変えたのだという。人口的に農耕民より少なそうな遊牧民にこうしたことができた理由として著者が挙げている一例が病原菌である。古代DNAの中にはペスト菌のDNAもあり、かつてコロンブス接触によってアメリカ原住民の人口が大幅に減少したのと同じことが4500年前のヨーロッパでも起きた可能性があるという。
 確かにジャレド・ダイアモンド"https://www.amazon.co.jp/dp/4794218788"は疫病への耐性が家畜との密な接触によってもたらされたと指摘していた。アメリカとユーラシアの差はそれぞれに生息していた家畜向きの生物種の差だという理屈だが、実は同じことがユーラシア内でも生じたのかもしれない。ギンブタスが唱えた「古ヨーロッパ」は、アメリカ原住民同様に壊滅状態に追い込まれ、現在のヨーロッパはそこに乗り込んできた侵入者たちのゲノムをより色濃く受け継いでいる可能性があるのだそうだ。
 インドについては北部のインド=ヨーロッパ語族と南部のドラヴィダ語族という2つの系統があることは知られているが、ゲノム分析でも大きく2つのグループに分けられることが分かった(ただしどちらも交じりあった結果の存在である)。もっと興味深いのはカーストの古さに関する研究結果で、あるカーストは3000年から2000年前にボトルネックがあった(つまりそれだけの期間、カースト外との交雑がほとんどなかった)ことがわかったという。おそるべき文化の力といったところか。
 アメリカ大陸では原住民の権利保護との関係で調査がなかなか進まない面があるそうだが、それでも少なくとも4回の先史時代の移住があったことは分かってきたという。最初はおそらく1万5000年ほど前に海岸ルートで入ってきた連中、次に時期は不明だがオセアニアの原住民との共通点が多いゲノムを持ち、アメリカではアマゾン流域などに少数だけ残っている「集団Y」、そしておよそ5000年前にアジアから来た「古エスキモー系」と、1000年前に来た「新エスキモー系」だ。もちろん彼らの間でも交雑がある。
 東アジアではまだ研究が途上にある段階だが、それでも1万年から5000年前にかけて中国に今では存在しないゲノム集団である「ゴースト集団」が2つあったことが分かったという。うち黄河ゴースト集団は現在ではチベットにその影響を及ぼしており、揚子江ゴースト集団は東南アジアや台湾にそのゲノムが伝わっているという。漢族自体はこの両方のゲノムを受け継いでいるそうで、日本人はやはり縄文人と弥生人が交雑したものだそうだ。さらに太平洋に広がったオーストロネシア人は、台湾から来た連中の後にパプアニューギニアからバヌアツやトンガまで来た人々が交じりあったという。
 そしてアフリカだが、ホモ・サピエンスが生きてきた歴史が長いだけにここも複雑に交じりあっている。元は30万~20万年前に南アフリカの古代狩猟採集民が分岐し、7万年前に東アフリカと西アフリカの古代狩猟採集民がさらに分岐したことになっているのだが、その後で西アフリカのホモ・サピエンスがもっと古い時期に分岐した現生人類と交雑したという歴史があったらしい。加えて4000年前頃から西アフリカ住民が農業とともに東・南アフリカへと拡大していったため、そこでも勢力図が変化したそうだ。

 第3部で著者はゲノムから見ても集団間に差があることは事実と述べ、政治的正しさのためにそうした差を認めない者たちを批判している。学者がその事実を認めなければ、その空白が似非科学に乗っ取られてしまい、はるかに大きな悪影響を及ぼすという理屈だ。そして著者が似非科学の例に挙げているのがこの本"https://www.shobunsha.co.jp/?p=3858"とこの本"https://www.nikkeibp.co.jp/atclpubmkt/book/09/P47410/"。ちなみに前者の邦訳者は後者について「クラークの遺伝的な説明ですら、ぼくは説得力を感じる」"https://cruel.hatenablog.com/entry/2016/01/26/204000"と書いている。剣呑剣呑。
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