佛郎機のバリエーションは他にもあり、前回紹介した無敵大将軍もその一種だ。さらに興味深いのは萬勝佛狼機というやつで、簡単に言えば後装式のマッチロックだ。しかし当時の技術では隙間からガスが漏れだすことによって発射の威力が衰えるのは避けられなかったため、この銃では薬室(子砲)をかなり長くすることによってその問題の解消を図っている。結果、薬室の長さが銃身より長くなるという、実際の運用ではかなり扱いの面倒そうな兵器が出来上がった。
英文blogではこのデザインが大きな成功を収めた一方、明代火薬兵器の限界も表れていたと指摘する。虎蹲砲を含め明代の大砲はその多くで散弾が使用されていたのだが、ぶどう弾や缶入りの散弾を発明しなかったため、装填に時間がかかったうえに間隙が大きく弾丸の勢いも失われた。また虎蹲砲のように砲車に乗せず地面に直接設置する大砲の場合、運搬の手間を考えると大型化ができなかったとも指摘している。どこまで妥当な指摘なのかはわからないが、中国由来の兵器に短所があったという指摘は戚継光のような同時代人も行っている。
北方からの危険を感じて最初に明が行ったのは、スペインの大砲製造にかかわったことのある中国人にいわゆる呂宋砲を製造させたこと。だがこれは低品質な物まねにすぎなかったようで、満足のいくものはできなかった。次にやったのがマカオからの輸入と沈没船からの回収で、それによって大砲をそろえた明は1620年代に女真族相手の戦いでいくつか勝利を収めている。
ただし中国での大型大砲活用は西洋の水準には達しなかったという。特に弾道計算については中国人にとってほとんど発想の外だったそうで、西洋型の砲兵もその利点を十分に生かしたとは言い難いようだ。むしろ製造ノウハウを手に入れた中国人の職人たちがのちに清に亡命し、敵の兵器性能向上に貢献するようになってしまった。先進的だった西洋の火薬兵器技術に完全に追いつくところまでは行けなかったと見るべきなんだろう。
コメント