というわけで内容についての真っ当な紹介&評価は上記の書評に任せ、以下では個人的な感想に絞り込んで述べるとしよう。この本は全部で7章に分かれ、トータル8つの研究が紹介されている。うち前半4つは伝統的なナラティブな歴史記述を使い、残る4つはもっと具体的な統計処理を使っている。翻訳に少々不安なところはあるが、読みにくいというほどではない。
まず最初のポリネシアの事例だが、ここで面白かったのは祖先を同じくする言葉が移住先で形や概念を変えた事例の紹介だろう。発音は昔のものが変容しながらも受け継がれているのに、その意味が環境の変化によってずれていくところはなかなか興味深い。本来は指導者を意味していたものが、エリート階級全体を示す言葉になるといったものがその例。考えてみれば新しいものなり概念なりが生まれると古い言葉がそれを指し示すものとして使われ、やがて新しい意味の方が主流になるという事例は火薬兵器絡みでも存在した"
https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55926042.html"。言葉が変わっていく過程ではよくみられる現象なのかもしれない。
2つめのフロンティアに関する比較分析は、その違いよりもむしろ共通する特徴の存在に関する指摘の方が面白い。まず10年前後というブームがあり、それが崩壊するバストが続き、そのうえで成長率は低いがより安定して経済が伸びる「移出救済」が来るというサイクルの存在は、物理的ではないフロンティアといえるインターネットがたどった歴史を彷彿させる。
まずITバブルが生じたが、ここではネットに存在する最終需要よりも思惑を中心とした投資それ自体が成長を呼んだ。続いてバブル崩壊過程では初期のネット企業のうち多くの企業が姿を消した。その後で実際の需要に基づく成長が始まるという流れは、まさにフロンティアと同じだ。ただしその期間は物理的フロンティアに比べれば随分と短い。空間という障害がなかった分だけ流れが速まったのだろう。
3つめの米、メキシコ、ブラジルの銀行制度比較は、結論としては制度が重要というオチなのだが、ではそうした制度の違いがどこから生まれたのかというところまでは言及していない。それぞれ植民地だった時代の本国の制度がどれだけinclusiveかextractiveだったかという点が影響したと考えることもできるし、そうなるとAcemoglu的な理解がこの研究の背景に存在することになる。もちろん制度を重視しすぎる議論につきものの問題も生じる"
https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55035546.html"。
だがそうではなく、制度の違いはむしろ植民地そのものの風土や環境の影響によるものと解釈することもできそうだ。例えば最も制度がextractiveだったメキシコだが、ここは欧州人が来る前からアステカという収奪的帝国が存在した地域。スペインの影響ではなくアステカ以来の歴史的な伝統こそがその制度の背景にあったとは考えられないだろうか。
5つめの、太平洋の島々における森林破壊度の分析から、ようやくデータを生かした分析が始まる。といってもここではデータそのものは提示せず、分析からわかったことを文章で説明しているだけなので、多少物足りないところはある。例えばイースター島は「太平洋で最も壊れやすい環境」であり、住民たちがその植生をほぼ破壊してしまったのも彼らが特に愚かだったためではないという分析などは面白いのだが、そのあたりをデータから見せてくれればさらにありがたかった。
6つめの奴隷貿易がアフリカに与えた影響の分析は、この論文集の中でも白眉だと思う。データやグラフを大量に使用しているところは最近の歴史研究の流行に合っているし、また分析に際してデータの問題が生じるかどうかを多角的に検討している部分も評価できる。そして分析結果自体が面白い。アフリカでは奴隷が多かった地域ほど今に至るまで経済的に低迷しているという傾向がはっきり出てくるし、その理由についてもきちんと分析がなされる。奴隷制度によって地域の共同体が極めて小さな単位まで破壊されてしまい、いわばソーシャル・キャピタルがかなり損なわれた状態が今のアフリカに幅広く存在するのだそうだ。やはり「協力は強力」"
http://peterturchin.com/ultrasociety/"なのである。
7つ目はインドの植民地時代における徴税制度と、現在の社会資本整備との間に存在する傾向についての分析。これまた統計処理上、注意を払うべき点についてはきちんと取り組まれているし、地主を使って徴税していた地域で現在の社会資本投資が遅れを見せているという傾向も理解できなくはない。ただそのメカニズムについての分析は完全にはうまくいかなかったようで、そのあたりは今後の課題となっている。逆に言えばまだ深堀りする余地のある分野ということでもあるのだろう。
最後に登場するのはナポレオン戦争後のドイツにおける制度改革と経済発展との相関を見た研究だ。基本的にフランス革命がもたらした旧制度改革が進んだ地域ほど後の経済発展が急速であったという分析結果に異論はない。ただし制度改革が遅れた地域もペースは遅いが経済発展はしていたわけで、制度の差が決定的な差であったかと言われると、それには異論を呈したくなる。
例えばこの論文ではギルドの廃止を制度改革の一例として取り上げている。確かにこの時代であればギルド廃止はよりinclusiveな社会をもたらす制度になったのだろう。だが例えば中世末期の場合はどうか。火器が誕生地の中国ではなく西欧で急速に発展してきたことはこれまでにも述べているが、その発展を支えたものの中に聖バルバラを奉じる大砲ギルドが存在したことは否定できない"
https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56006047.html"。ギルド即ちextractiveとは言えないのではないか。
私がAcemogluを今一つ信用できないのは、彼が主張する「制度こそが重要」という説の背景に彼自身の政治的信条のようなものが見えてくるところにある。この論文で彼らは、ナポレオン没落後に旧制度に復帰した地域について「凡庸で反動的な支配者の手に落ちた」という言い方をしている。この表現には、はしなくも彼の価値観(近代的制度こそが優れているという価値観)が露呈してしまっている。せっかくデータを使った実証的分析をしているのだから、こんな言い回しをする必要はない。単に「元の支配者が復帰した」という言い方で十分だったのではないか。
コメント
No title
実は昨日『歴史は実験できるのか』という本を読み終わったばかりです。特に興味深かったのは5章の「奴隷貿易がアフリカに与えた影響について」で、予告編として、最初の印象を早々と書き込みましたが、そのうちこれについても自分の感想を書き込む予定です。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5679/trackback
それでフト、思いついてこの本についてのいろいろな人の書評をwebで検索してみたところ此処にhitしました。ついでに過去のlogも表題だけさっとみたところ私の読んだことのある本として『サピエンス全史』もhitしました。この本についても同じような感想を持ちました。
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2019/03/10 URL 編集
No title
ハラリの本に対してきちんと違和感を持つ人がいてくれるのはありがたいです。中身のスカスカなあの本をほめちぎる人の多さにうんざりしていましたので。個人的にハラリの本は歴史版のFashionable Nonsenseだと思っています。
2019/03/10 URL 編集