書評で紹介されている事例を見ると、例えば中国では農繁期に「労働力を購入」してきたという。加えて分割相続(このあたりはエマニュエル・トッドの言う共同体家族のためか)で農家の事業規模が小さくなるため、余計に外部経済への依存が強まったそうだ。当然ながら生産物も商品化されることが多く、1920年代前半の時点で半分以上の農産物が商品化されていた。一方で広域の物流においてはそれを担うような中間団体が存在しないため、帝国がそういう分野まで関与する必要があったという。
日本のように共同体や中間団体が強い地域では彼らが流通を独占することによってかえって資本の蓄積と低い利幅での安定した流通が成立したのに対し、中国は市場が自由すぎたために安定的な取引を続けることができず、資本の蓄積は進まず高い利幅が常に要求された。日本では中間団体の名前が信用の基礎になってそこから長期的な安定した取引関係が築けたのだろうが、それがない中国では一期一会の取引ばかりとなり、その1回の取引で儲けなければならなくなったのではなかろうか。そういう状況では安定した流通市場は成立せず、その流通に依存した大きな産業は生まれにくいように思う。
現在の中国で「信用スコア」が生まれ、活用されているのは、一期一会の相手であっても安定した取引を可能にするためかもしれない。日本なら就職先の企業名が信用を測るメルクマールとして活用されており、そうした部分にまで国が関与する必要はないが、中国のように帝国の力が強く中間団体が弱い国では、国が自らそこまで踏み込む(少なくともそうした動きを支援する)ことでようやく信用に基づく安定的な経済活動が成り立つのかもしれない。
なぜ中国は共同体や中間団体が弱いのか、逆に言えばなぜ日本では(さらにはギルドなどが存在した欧州でも)中間団体が強かったのか。もしかしたら歴史的な経緯が関係しているのかもしれない。古くから帝国が成立した地域では、皇帝と地方領主の間での権力闘争が続いた結果として皇帝に権力が集まり、共同体や中間団体が力を失っていったと考えられる。まさに専制国家ならではの特徴というわけだ。一方、日本や欧州のように支配範囲の広い国家の形成が遅かった地域では古くからのより小規模な共同体が力を残しており、それが現在に至る中間団体の強さに継承されていると考えられる。
となると気になるのは中国同様に古い帝国形成の歴史を持つユーラシア中心部(Inner ZoneあるいはExposed Zone)の他地域はどうなっているのかだ。中東やインドはその対象になりそうで、これらの地域で中間団体がどのくらいの強さを持っているかは知りたいところ。これらの地域は中国のように統一されていた時期が長いわけではないので中間団体が中国ほど弱体化している可能性は少ないと思うが、一方で日本や欧州のスタンダードと比べた場合の評価を聞いてみたくはある。
この問題が同時に提起するのは、効率性の追求は短期的にはともかく長期的にはむしろマイナスに至るリスクを抱えるという点だろう。中国が帝国としての強さを追い求めて中間団体を弱体化させていったのは政治的には当然の選択肢だし、それによってより効率的な帝国運営が可能になったのは否定できない。おそらく当時の中国人は現代のコンサルタントも真っ青になるほど徹底した効率優先主義者だったのだろう。だからこそあれだけの大国になったのだと思う。
だがその時点での高い効率性は将来的な試行錯誤の余地を狭めるものでもあった。これまで何度も紹介してきた火薬兵器の発展"
https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56010397.html"はまさにその典型例だし、流通問題やそれがもたらした資本主義の発展についても同じことが言える。とことんまで無駄を省き、選択と集中を進めすぎると、新しい環境への適応力がその分だけ失われ、試行錯誤の余地がなくなり、いずれは躓く。企業でもそうだが、国家単位で見ても同じことが言えるのではなかろうか。
どんな組織も永続することはないが、それでも長く続けたければ内部に「無駄」や時には「対立」を抱え、残すようにしておいた方がいいのだろう。多元的社会が重要だという指摘も、そうした組織の力学のようなものを考えれば納得のいく話だ。ヒトにとって最も大切な資質は「寛容」なのかもしれない。
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