2つのマネーループ

 以前こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56647888.html"で、永年サイクルを資本側から見た論文を紹介した。それと似たようなものが他にもあったので、そちらも見ておこう。New England Complex Systems Instituteなるところが出しているこちら"http://necsi.edu/research/economics/econuniversal"をはじめとした一連の文章がそれだ。
 この論文ではuniversal monetary and response dynamics frameworkなるものを利用して、金融、税制、財政政策が経済に持つ影響を調べたもので、分析対象としているのは米国の経済。結論は「税率引き下げではなく富の再配分こそが経済成長のカギになる」だ。
 論文ではマネタリーフローに関するモデルを設定し、それを現実の経済に当てはめて何が起きているかを調べる。具体的にはFIG 1がそれ。そこでは資本、労働者、会社という主要な主体と、それに関連する政府、貯蓄銀行、投資銀行という3つの二次的な主体が記されており、それぞれの間でマネーが流れる様子が模式化されている。
 このモデルには「相互に均衡すべき2つの活動サイクルが存在していることが示されている。1つは労働者が給与を得て商品やサービスを消費するもので、2つ目は金持ちが生産に投資してその投資に対するリターンを得るというものだ。成長を起こすためには2つのループが正しいバランスを取らなければならない。もし労働者ループのマネーが多すぎるなら、彼らが購入するだけの十分な生産品が存在しない。もし投資ループのマネーが多すぎれば、消費者は産品を買う十分なマネーを持たないため投資が行われなくなる」
 このモデルを基にした分析によると、1980年までは労働者/消費者ループを巡るマネーが多すぎたことになるそうだ。この金は少なく過ぎる生産品を追い求め、結果としてインフレが進んだ。一方、1980年以降になるとレーガノミクスの結果か、バランスは反対側に傾いた。今度は投資ループに多すぎるマネーが投入されるようになり、結果は「一連のリセッション」となった。FRBは金利を下げることで消費者の借り入れ負担を減らし、そうすることで消費を引き上げた。
 この状況を論文は「ハンドルを使わずアクセルだけで自動車を運転している状態」に例えている。現在のマネーループでは常に消費額より投資額に比重が偏りがちな方向にハンドルが切られているわけで、FRBの対策でまっすぐな成長ルートに向いたとしても、すぐに車はリセッションという「ガードレール」へ向けて突っ込んでいくことになるそうだ"http://necsi.edu/research/economics/steeringecon"。
 1980年を境に状況が変わったことは、家計の貯蓄/借入金を「消費者」と「投資家」に分けた分析"http://necsi.edu/research/economics/acceleratingecon"からも窺える。それまで増加していた消費者の貯蓄が1980年前後をピークに減少に、さらには借り入れ過多に転じる一方、それまでは借り入れの方が多かった投資家は1980年代後半から次第に借金を減らし、足元はむしろ貯蓄過多へとシフトしている(FIG 1)。
 この変化はレーガノミクスが採用した税制政策の結果だそうだ。雇用を生み出す投資を重視したレーガンの政策により、マネーフローが投資家/資本家側へと流れ込んだ。結果、リセッションが起きるまで投資の成長率は消費の成長率を上回ることになった。投資の消費に対する比率が一定の水準に到達すると、生産されたものを購入する十分な資金が消費者側にないため投資過多となり、そのミスマッチがリセッションをもたらす。投資家は投資する意味がないことに気づき、マネーを貯蓄に回す。
 この状態を脱するには、供給ではなく需要を活発化する政策が必要だ、というのがこの文章の結論"http://necsi.edu/research/economics/taxpolicy"。特に低所得、中所得の労働者の経済活動を活発化させた方が、結局は彼らの消費増を通じて投資家側にもメリットが生まれ、経済全体はより早く成長するだろう。現在の米国の税制は投資家の所得より労働者の所得により重く課税する仕組みとなっており、それらを見直すだけでも「正しい方向」に向かうというのがこの文章の主張だ。

 ここでは格差が道義的に問題だから税制を見直すべきだという議論はしていない。あくまで格差が成長を妨げることを理由にした提案である。またこのモデルが正しいなら、1980年以前のように労働者/消費者ループへのマネー流入が大きすぎることも問題となる。振り子を反対側に戻せば事態が良くなるわけではなく、あくまで両者の中間、バランスのいいマネーフローが重要だという考えだ。
 こういう「格差が成長を妨げる」説は以前からあった。例えばIMFブログ"http://www.imf.org/external/japanese/np/blog/2017/092017j.pdf"にはジニ係数と成長率、あるいは成長の持続期間とを比較したグラフが載っているが、見ての通りジニ係数が大きい(格差が大きい)ところほど成長率が低く、持続期間が短い傾向が存在する。
 経済成長の恩恵と機会が幅広く共有されることを「包摂」と呼んでいるが、この「包摂」が長年にわたって実現されないと社会的な結束が蝕まれ、成長そのものの持続可能性が損なわれかねない、というのがこの文章の指摘だ。Turchinのように「エリート過剰生産と大衆の困窮化」といったレベルまで分析した文章ではないが、それでも格差がアサビーヤの衰退をもたらすという理屈は共通している。
 ただ一つ気になるところがある。上で紹介した論文はあくまで国内経済しか見ていないという点だ。外部に開かれた経済の場合、国内需要が伸びなくても国外需要が伸びれば成長自体は達成できてしまう可能性があるし、そうなると無理に格差を縮小させる必要もないという結論になる。米国はこちら"https://www.globalnote.jp/post-1614.html"によると2016年の貿易依存度が19.66%と先進国最低であり、そうした国なら当てはまりやすい議論だろうが、そうでない国の場合は違う結論もあり得る。
 逆に言えば損得勘定の視点から格差問題に取り組みやすい国が米国だともいえる。次にやりやすいのは日本(貿易依存度24.76%)だろう。これらの国々は格差問題を解決することが成長につながる可能性が高いと見られる。実際にはトランプ政権が高額所得者の税率を下げたところからもわかるように、必ずしもこれらの国々が「格差縮小で成長を」という方向に向いているわけではないが。
 一方、日本と同じ東アジア諸国でも、韓国(貿易依存度64.83%)は日米ほど単純に「格差縮小で成長」という理屈が成立するかどうかはわからないし、台湾(同105.01%)あたりまで来ると国内の格差問題よりも世界的な経済動向の影響の方がずっと大きくなりそうで話は簡単ではない。それだけに格差問題に対してより道義的な姿勢が表に出てきやすそうなのだが、例えば韓国では最低賃金引上げがむしろ雇用にマイナスの影響を与えている"https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/01/post-9313.php"など道義的な意識だけでは解決できない問題もある。いろいろと大変だ。

 労働者にとってもう一つマイナスになりそうなのは、人手不足を理由とした移民の増加だろう。こちら"https://www.nishinippon.co.jp/feature/new_immigration_age/article/420486/"にあるように、既に日本はドイツ、米国、英国に次いで世界4位の移民大国と化している。中には日本人より外国人の方が人口が多い団地もある"https://globe.asahi.com/article/11578981"。そして政府はこれからさらに外国人労働者を増やそうとしているようだ"https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31103490Z20C18A5MM8000/"。
 面白いことに、先進国でも格差の小さな国は低スキルの労働者を、格差の大きな国は高いスキルを持つ優秀な移民を引き付けるとの説がある"http://diamond.jp/articles/-/146591?page=2"。つまり米国では移民と高所得者層が争い、日本では相対的に低所得者層が競争に巻き込まれることになるわけだ。この問題の解決策の一つとしてMilanovicは「移民への課税」と「二級市民化」を提唱しているという"http://diamond.jp/articles/-/146591?page=3"。
 話を戻すが、日本の実質賃金指数は2016年に少し戻したものの17年には再び低下した。足元では3月に現金給与総額で上向いているものの、「きまって支給する給与」の方はマイナス続きとあまり明るい状況には見えない。外国人労働者の増加が労働需給を緩め賃金の下押し圧力につながるとすれば、引き続き日本の成長率は低水準を続ける、ことになるかもしれない。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック