刀自の話

 こちら"https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/shigaku26-02.pdf"の話が面白かったので紹介する。「刀自」という言葉を入り口に古代日本におけるジェンダーについて分析したものだが、興味深いのは古代の家族についての解説だ。
 よく言われているのは古代は妻問婚で、それが室町時代以降は嫁取婚になっていったという話。また古代日本においては母系と父系の両方が重要である「双系」的な社会だったという。古いものとして語られる「家」の成立は古代というよりも11~14世紀に貴族社会で次第に広まり、夫方同居による安定した夫婦関係が成立し「直系家族」が確立するのは15~16世紀という中世期だったそうだ(p93-94)。
 ではそれ以前はどうだったのか。延喜式に記されている大祓詞の国津罪("http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1273537" 15/138)にある「己母犯罪。己子犯罪。母與子犯罪。子與母犯罪」という部分について、母親と成人した子供が同居しているところに母親の夫(子供の父ではない)が通ってきて娘にも手を出してしまうという関係が日常的に起こり得たことを示すものだ、というのがこの文章の指摘だ。
 これは当時、父系拡大家族(直系家族)が一般的でなかったことを示すという。それのみならず夫婦の関係も決して安定的とは言えず、母子の結合が強い一方で夫はしばしば入れ替わっていたことを示すものだという。そういう夫婦関係をこの文章では「母子+夫」と表現し、奈良時代までは「男女どちらからでも離別が容易な一般的対偶関係が基本だった」(p95)と見ている。
 それが変わっていったのは貴族社会が最初。例えば摂関家で同居する正妻の地位が緩やかに決まってくるようになったのは10世紀後半から、中下級貴族だと平安後期になったという(p97)。11世紀中頃になると、老齢で性的魅力がなくても長年連れ添い子供を作った実績をもとに安定した妻の座を保証する動きが出てきたという。もっぱら性愛関係で結びつき、容易に離合を繰り返した古代とは変化してきたのだそうだ(p98)。
 古代の「母子+夫」という流動的な家族においては妻の座というものは全く安定していなかった。それを安定させるようになったのが平安末期だ。同時にそれまで男とは別に独立して経済活動を営むのが当然であった女の立場が、安定した妻の座と引き換えるかのように低下していった側面もあるようだ。古代の「刀自」は男と並ぶ経営者であったが、やがては有力者の妻を表す呼称になっていった。
 奈良時代より前の古墳時代になると、埋葬された首長たちのうち半分弱は女性だったという。古代日本が「双系」社会だったというのは、こうした考古学的な事実を踏まえた主張のようだ。だが中世に入る頃には家族関係が変化し、13世紀頃には上層農民でも安定した夫婦関係が形成されるようになったそうだ。

 さてここまで読んで興味深いのは、古代の「母子+夫」という家族関係が、エマニュエル・トッドの示した家族型"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89"のある類型に似ていることだ。「アフリカ・システム」がそれで、一夫多妻ではあるが「母子家庭の集まりに近く、父親の下に統合されるものではない」ほか「女性の地位は不定だが、必ずしも低くはない」「離婚率が高い」といった特徴が古代日本と似通っている。
 こちら"https://www.slideshare.net/TomoKitajima/"のスライドにはトッドの累計を樹形図化した説明が載っているが、それによればアフリカ・システムは「父という概念の確立前」の家族システムということになっている。この分岐が時系列に沿ったものであるなら、アフリカ・システムは最も古い家族形態、というか家族という形態が成立する以前の仕組みと解釈できる。
 実際、母子関係が中心となり夫は交換可能という形は、哺乳類全体では珍しいものではない。繁殖期につがいを形成しても子育てはメスに任せっきりというオスは哺乳類ではよくある存在だし、逆に言えば子供はほぼ常に母方で育てられることにもなる。ただ成人したメスが母と同居するというシステムは必ずしも哺乳類共通ではないし、ヒトと近縁のチンパンジーなどはむしろ父系でグループを構成するものであり、ヒトの原初的な家族が本当に「アフリカ・システム」なのかどうかは断言できない。
 実際、トッドは最近の本"https://www.amazon.co.jp/dp/4865780726/"ではむしろ核家族、つまり夫婦関係を中心とした家族こそが古いと考えているようだ。またその特徴は双方制で、つまり父方居住や母方居住のどちらかに偏ったものではなく、どちらの集団に加わることもできたという。
 彼はユーラシアの諸地域における家族形態の分布からそうした分析をしている。中心に新しいものが、周辺に古いものが残るという原則から、例えば東アジアではフィリピンやミャンマー山岳部に核家族が残り、日本や韓国には直系家族が、中国には共同体家族が存在する。最初は核家族として子供たちは各地に分散していくが、やがて土地に余裕がなくなれば子供に後を継がせる直系家族となり、最後は土地争奪戦に勝ちやすい軍事的に優れた共同体家族にまで進化した、という理屈のようだ。
 こちら"https://ittokutomano.blogspot.jp/2017/01/todd.html"ではもっと詳細な内容が紹介されているが、それによると縄文時代から古墳時代まではまだ双系制だったが、飛鳥・奈良時代ごろから中国の影響で父系原則が強くなる。だが興味深いことにそれへの反動も起きたという。父系原則への反発から「親族システムが双方的であったと考えられる日本社会の中で、父系制は補償的母方居住反応を生み出した」というのがトッドの考えだ。沖縄で母方居住が見られるのも「反動」だという。
 つまり、最初に紹介した「母子+夫」という形態は、本当の意味で古い家族ではないことになる。母方居住の優位はあくまで中国の影響に対する反動から出てきたものであり、それ以前であれば夫婦はどちらの集団にも帰属していた可能性があるというわけだ。問題は、「母子+夫」という形態が夫婦関係の不安定さを示すものでもある点。核家族が成り立つには夫婦関係の安定がないと難しそうに思えるのだが、このあたりはどう解釈すべきだろうか。

 ちなみにトッドの本は以前こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54244187.html"で示した「核家族と直系家族のどちらが古いか」について明白な答えを示している。それだけではなく、「内婚制と外婚制の違いはどうして生まれたのか」に関しても説明がなされているようだ。
 こちら"https://ittokutomano.blogspot.jp/2017/01/todd_20.html"にそのあたりが説明されているのだが、内婚制が最初に広まったのはプトレマイオス朝エジプトだという。もともとファラオの一族内での最近親婚は古い時代から存在したが、それはあくまで王家の内部だけのものだった。だがプトレマイオス朝でエジプトに入植したギリシャ人たちは、周囲のエジプト人集団に対する優越性を主張するために内婚化を始めたという。
 そしてそれがアラブ人に伝わった。彼らはアッシリア帝国の強い父系制に対する「反動」として内婚制を採用した、というのがトッドの考えだ。内婚制は「女性の血もまた生まれ来る子供が何者であるかを定義する」仕組みとして働き、父方のみを重視する慣習を抑制する。彼の主張が正しいなら、古いのは外婚制共同体家族であり、内婚制はそれへの反動として生まれたことになる。
 個人的にトッドの説明はあまりに微に入り細を穿ちすぎており、却って信用度が低いと思える。例えば欧州における家族システムの分布に関する説明などは、細かい歴史といちいち辻褄を合わせようとしているあまり、見てきたような嘘が並んでいるようにしか見えない。特に「反動」という説明は、どんな現象に対しても簡単に理屈がつけられる「魔法の論理」と化しているのではないだろうか。
 大きな分布について「周辺に古いものが残る」という理屈を当てはめるのはまだ分かる。だが細かな部分に関しては、大きな傾向とは異なり偶然の要素が働く可能性が高まる。ダメQBでも1シーズンだけならいい成績を残すことはあり得るし、一流QBでもたまたま調子が悪いシーズンはある。それについていちいち理屈をつけようとするのは、むしろノイズをシグナルと見なす間違いを犯している可能性がある。
 大きな流れとして「核家族→直系家族→共同体家族」という変化を見るのはいいだろう。でも「反動」という理屈が本当に成り立つかどうかはもっと調べる必要がありそうだし、まして細かい分布についていちいち説明しようとするのはむしろ有害ではなかろうか。
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コメント

西洋史専攻の工学部生
ごきげんよう
随分前の記事にコメントするのはあまりよろしくないのかもしれませんが、少々申し上げたい点がありますのでお許し下さい。
今回後半はトッドの「家族システムの起源」についてですね。

>>でも「反動」という理屈が本当に成り立つかどうかはもっと調べる必要がありそうだ

この反動、つまり「文化的・経済的・軍事的に優位な住民集団の要素を劣位な住民集団が、一部は受容するが一部は拒否すること」というのは、家族構造のみならず文化・宗教史などにおいては頻繁に見られることです。量子力学のコペンハーゲン解釈みたいな、有るか無いか分からないような仮定による説明のための理論なのではなく、それ自体が確固たる歴史的事実です。これについてトッド自身も序盤にページを割いて説明していたはずだと思います。

例えば先日挙げましたマクニール著「ヴェネツィア」には、正教側がコンスタンティノープル陥落によって自信を失い、カトリックより劣位に立たされてもなお頑なに「ラテンの風」に反発し、嫌悪し、拒絶していた様子が描かれています。彼らがカトリック由来の「信仰の定式化」という概念を受け入れたのは17世紀も後半であり、それでも素直には模倣することがありませんでした。(この本はもはやヴェネツィアに関係ない周辺的事情の記述がやたらと多く、いちいち示唆に富んでいて興味深い)

結局のところ、模倣と受容というのは様々なコンプレックスによって阻害されがちで、単純には進まないプロセスであって反発が生じるのはむしろ当然なのです。
もっとも、反発が生じるか生じないかを決めるのは何か、ということは分かりませんが。

>>細かな部分に関しては、大きな傾向とは異なり偶然の要素が働く可能性が高まる。
それについていちいち説明しようとするのはむしろ有害ではなかろうか。

トッド自身は、「芸術とは異なり、人類学的基底というものは支配的原則から逸脱することがある、という説明では済まされない」と言っています。
地域住民の家族構造というのは百年単位で変化するものなので、確率的偶然の影響は一定に収斂するため無視でき、全ての変化は父系要素の前進や反動または歴史的経緯等によって説明可能なものだと考えるのは普通でしょう。
無論、歴史的事件というものは何らかの背景は必要とすれど、それが発生するかしないかは偶然によるところがあるでしょうが、それによる変化は確率的変動とは別物です。

それでも、「細かい歴史といちいち辻褄を合わせようとしているあまり、見てきたような嘘が並んでいるようにしか見えない」というのはこれを読んだ読者の多くが感じることでしょうし、(封建制の広がりとかはまだしも)細かい部分の歴史的通説の解釈に問題がある可能性はもちろんあります。

>>「魔法の論理」
これを嫌うのは予測に使えないからでしょうか。この場合、家族構造の変化などというものはただの歴史的事実の解釈の問題に過ぎません。農業社会の消滅、都市化、脱工業化という局面を迎えると、伝統的な家族構造・土地分配制度とそれに伴うイデオロギーは変化を止めることになります。その後は、地域社会の中で永続的に固定されるか、背景を失って亡霊のように蒸発するか、という2通りしか有り得ないと考えられます。これでは予測もへったくれも無いので、ただ歴史的事実の説明に最も適した解釈をとれば良いのではないのですか。

西洋史専攻の工学部生
大変な長文になってしまいまい、失礼しました。

desaixjp
私はトッドのこの本について真面目に読んだわけではないので、細かいところで議論はできません。
ただ私がトッドに期待していたのは、単に「歴史的事実の説明」をすることではありません。
そんなことはトッドでなくてもできます。
私がトッドに期待するのは、家族制度の変化のメカニズムに関する深い洞察です。
ある家族制度はなぜ広まったのか、どうしてある社会ではそれに対する反動が生じたのか、反動が生じる条件と生じない条件はどこにあるのか。
ご説明を聞く限り、トッドの本にはそこまでの記述はないようですね。少し残念です。

西洋史専攻の工学部生
そうでしたか。着眼点が違うようですね。
少なくともロシア革命などのイデオロギー的傾向は彼が最も説得的に説明していると思いますが。
それはともかく、トッドは地図上に描いた時に家族構造(父系性)が同心円状の分布を示すことについては、その理由の説明をあまり重視しておらず、ただ「文明の中心的地域で人口密度の上昇により財産の不分割相続が生じた」「当時威信ある住民集団に担われて」「地理的に隣接する地域へ伝播した」としか説明する気が無いようです。
彼の理論は結局のところ歴史的データの説明のためのものでしかなく、詳細なメカニズムには意味を見出していないのです。「いくらでもその手の理屈はこねられるだろうから後続に任せる」みたいな事言ってましたし。
(まぁ他にどう説明しろと、という感じではあるでしょうが)

反動というものは、つまり「あのスカした奴らのやっている事は気に入らない(敵視)」「あんな農民どもがやっている事は真似したくない(蔑視)」「こんな征服者どもの真似をしてたまるか(劣等感)」という事を言っているに過ぎないので、発生の条件付けはちょっと思いつきません。そもそも上記の3つは人間に普遍的な性質だとも考えられますので。
ひょっとすると反発が起らない方が珍しく、素直に受容されたケースを考えた方がそこら辺の考えが纏まるかもしれませんが、少々不毛なようにも思いますね。

desaixjp
確かに着眼点の違いでしょう。
トッドの行ったstaticな分析にはご指摘の通り価値がありますが、彼がそれをやったのはもう30年も前なわけで、であればその後で今度はdynamicな分析もやってほしかったと、個人的にはそう思います。
ヒトのゲノム分析も、最初はstaticな分析から始まり、でもすぐに古代人骨のゲノムまで調べることでdynamicな分析にまで至り、それによって新しい知見が得られています。
1つの分析で満足することなく、そこからさらに次の分析に進んでほしい、というのが私の希望です。

西洋史専攻の工学部生
まぁ確かに家族構造の分類自体は80年代ですから、そこら辺の進展を期待しても良さそうなところですね。
これは私事ですが、私はつい数年前の高校時代に新ヨーロッパ大全をたまたま見つけて(夜な夜な徹夜で)読んだのが契機で、歴史の面白さの一端を知ったようなものなので、彼の分析手法に対する思い入れと(動的分析にも)期待がかなりあったのです。もっとも「家族システムの起源1」での動的分析は正直肩透かしでしたが。

どうも彼は90年代から経済的な時局分析の本を何冊も出しているようなので、そっち側にはあまり手が回っていなかったのかもしれません。

desaixjp
トッドの関心自体がずれていった可能性はあると思います。あるいはそもそも彼はdynamicな、動態的な分析には興味がないのかもしれません。
もう一つ考えられるとしたら、過去における家族制度の実態を調べるのが極めて困難なのかもしれません。このエントリーで紹介している「母子+夫」という家族制度にしたところで、古代日本でどの程度広まっていたのか、定量的なデータはおそらくありません。理論を作ったとしても、その実証が難しいのが現状である、とも考えられます。
それでも誰かそうした取り組みに挑戦してもらいたい気はします。家族制度は歴史的にどう変遷してきたのか、その背後にあるメカニズムは何か、家族制度の変化が社会をどう変えるのか。色々と面白そうなテーマはあると思うのですが。

西洋史専攻の工学部生
そうですね…
たとえ筆記システムが存在したような高度文明地域でさえ、古代の定量的データを得ようというのは凡そ無茶な戯言であって、例えば家族サイズがそのまま分かるような都市遺跡だとか、メソポタミアのような焼成粘土板の記録が大量に出てこない限り無理でしょうね。
センサスなんてローマや東アジアの律令国家ぐらいしか実行しなかったでしょうし、紙に書いたのならそのデータ自体まともに残るとは思えません。インドなんてそもそも歴史の記録は残らないものだとさえ思っている節がありますし。
無文字社会については何をか言わんやという感じでしょうね。

desaixjp
家族制度というテーマが、定量的データを集めるうえで難しいのでしょう。
文字のない時代でも、例えば遺跡の家のサイズから格差の度合いを計算するといった取り組みは行われています。
https://desaixjp.blog.fc2.com/blog-entry-2269.html
しかし家族制度については、そういうデータが集めにくいのではないでしょうか。
あくまで個人的な勘ですが、家族制度について遡ることができるのはデータの揃っている先進国でも初期近代くらいまでだと思います。
世界的な家族制度の変遷をたどるのはハードルの高い行為なんでしょう。
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