健康格差

 よく「死神は万人に平等」と言われる。確かに誰もがいずれは死ぬという意味では平等だが、彼らがいつその人のところにやってくるかという点では、必ずしも平等とは言えない。やたらと急いでお迎えに行く相手がいるかと思えば、いつまでたっても訪れない相手もいる。
 寿命とも関連する健康に格差が存在するという指摘は最近になって増えている。こちら"http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53493"で閲覧できる記事もそうだ。そこではもちろん所得による格差が真っ先に紹介されているが、実は所得だけでなく居住地による格差なども含まれている。要するに個人的な問題だけでなく、社会全体の状況が健康に影響していることが統計的に分かるのだ。
 地域の問題で言えば、食習慣が一つある。東北地方などは寒いためもあってか塩分の取りすぎがしばしば指摘されているし、それは実際に健康に影響を及ぼしている"http://diamond.jp/articles/-/150688?page=3"。食生活というのは地域に根付いたものが多いだけに簡単には変わらない面がある。一方で沖縄県の食事がアメリカ化したことから分かるように、社会制度の変化が食生活まで変えることもある。
 こちら"http://president.jp/articles/-/23743"で紹介されている英国の例は、社会的な取り組みがむしろ健康の向上に役立った一例だろう。つまり社会全体で健康の質を上げていく試みは、決して無駄ではないと言える。特に先進国のように高齢化が進む国においては単に寿命を延ばすだけでなく健康寿命を延ばすことが重要度を増しているだけに、こうした対応には効果が期待できるだろう。
 もちろんその際にはコスト問題を避けて通れない。一般的には対策にかかるトータルコストが医療費の増加より少なくて済むのならやるべきなのだが、コストの負担者が変わってしまうようだと対策が上手く進まない可能性がある。健康保険の仕組みを使うなら、例えば将来の健康増進につながることが期待できる事業に健康保険を適用するといった考え方もありかもしれない。

 社会全体に好影響を及ぼす事業ならいいのだが、健康格差でも社会全体にプラスというわけにいかない分野だと話は簡単ではない。こちら"http://mental.m.u-tokyo.ac.jp/sdh/pdf/messagetopeople.pdf"でも指摘されているが、健康は学歴や所得とも密接に関係している。健康のために格差を減らせという話になると、おそらくそう簡単に社会的合意は得られない。
 所得や学歴の問題は様々な要因と結びついて健康格差を広げる方向に向かいやすい。所得が低いとソーシャルキャピタルが少なく、健康で問題を抱えていても周囲からの支援を得られにくい。健康に関するリテラシーは学歴などとも関係しやすいし、居住地は所得とも関係してくる。そして医療を受けやすいのも高所得者の方だ。
 Bradyレベルの大金持ちなら値段を気にせず、オーガニック中心の健康に配慮した高価な食生活を過ごすこともできる"https://tb12sports.com/pages/tb12-method"だろうが、そもそも貧乏人に食を選ぶ余地などあまりない。安価でカロリーの高い食を中心に選択していれば自動的に炭水化物が増え、それはしばしば糖尿病などの生活習慣病につながる。
 ただし、貧困だから必ず糖尿病になるというわけでもない(というか平安時代は糖尿病は貴族の病気だったらしい"http://metab-kyoto-u.jp/to_patient/online/a001.html")。逆に貧困でなくても糖尿病になる人はいる。個人的な体質の問題は常につきまとうし、生活習慣を改めなかったことが原因と言われても仕方ない人だっているだろう。
 そこから出てくるのが自己責任論。こちら"https://www.businessinsider.jp/post-107567"では健康問題が自己責任か、社会の問題かという議論がなされている。もちろんどちらか一方で白黒つけられるような問題ではなく両方の側面があるのは間違いないし、そもそもどちらの責任でもなく遺伝的な体質が原因という部分も存在するだろう。
 責任問題をいくら問い詰めても物事が解決するわけではない。むしろトータルコストの安い解決法をどう探すかを優先した方がいいという考え方もある。でも個々人にとって重要なのはトータルではなく自分たちのコストであり、だとすればたとえトータルコストが上がっても自分が損をしない「自己責任論」を主張する人間が出てくるのは避けられないだろう。
 結局問題は利他主義と利己主義に行き着く。より正確には「利他的メンバーの多いグループは他のグループより適応的だが、グループ内では利己的にふるまう方が適応的である」という、進化論的な問題に行き着くというべきか。貧乏人を切り捨てるグループ(共同体)に対してはやがて誰も忠誠を誓わなくなり、その共同体は単なる利己主義者の集団となって崩壊する。社会的な生物であるヒトにとって、所属する共同体の崩壊は自動的に自分自身が弱者の地位に落ちることを示す。
 社会の中に利己的な価値観を正しいものと主張する人間が増えてきた時、その社会は危機にあると考えるべきかもしれない。自己責任の名の下に他者を見捨てることを正当化する声が増え、それが当たり前になった時、その社会は以前よりも脆弱になっている。

 そして皮肉なことだが、脆弱な社会のとばっちりを真っ先に受けるのは弱者である。かつてエマニュエル・トッドが乳幼児死亡率上昇を基にソ連の崩壊を予想した"https://en.wikipedia.org/wiki/Emmanuel_Todd"のも、まさにその一例だと言える。ちなみに足元で乳幼児死亡率"https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_infant_and_under-five_mortality_rates"が急上昇しているのはシリア。さもありなん。
 もう一つ、足元で「弱者の災難」という形で社会の脆弱性が表れている可能性がある国が米国だ。あの国では2015年、16年と2年連続で平均寿命が低下している"https://edition.cnn.com/2017/12/21/health/us-life-expectancy-study/index.html"。2年連続で寿命が低下したのは1962年と63年以来だそうだが、21世紀の先進国でこうした現象が起きるのは極めて珍しいと言うべきだろう。
 大きな原因となっているのは中年層の死亡率上昇だ"https://wired.jp/2016/12/14/americans-life-expectancy-dips-as-middle-aged-see-uptick-in-death-rates/"。原因として鎮痛剤の乱用が指摘されているが、他にも自殺や飲酒による肝硬変も増えているという。特に中年層の中でも死亡率が上昇しているのは都会よりも地方の住人、それも女性の方だ"https://gigazine.net/news/20160414-life-expectancy-money/"。
 都会と地方の格差を分かりやすく示しているのがこちら"http://uk.businessinsider.com/life-expectancy-in-the-us-disparities-map-2017-5"の地図。1枚目の地図は地域ごとの平均寿命が載っているが、アパラチア山脈沿いやミシシッピ流域を含めた南部、及びダコタなどの田舎で平均寿命が短く、逆にニューヨークやカリフォルニアなどは全体に寿命が長くなっている様子が窺える。
 2枚目ははさらに強烈である。南部を中心に1980年より2014年の方が平均寿命が短くなっている地域がぽつぽつと存在している。1人当たりGDPで世界でもトップクラスの国において30年以上前より寿命が短くなっている地域があるわけで、明らかに何かの問題を抱えていると考えるべき状況だ。富裕層と貧困層の間に10~15年もの寿命の差があるのを見てもなお、「死神は万人に平等だ」と言えるだろうか。
 米国にはアイン・ランド協会"https://www.aynrand.org/"がある。利己主義を積極的に肯定したアイン・ランドの思想がそれだけ広がりをもっている国であり、そういう国において健康格差の拡大が平均寿命にまで影響を及ぼしているのは象徴的だ。Turchinの言うアサビーヤの低下が何をもたらすかを示す分かりやすい事例だと言える。
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