「ほーいいじゃないか こういうのでいいんだよ こういうので」
むしろ経済活動に深刻な影響を及ぼしたのは紀元前1世紀の危機だ。この時期には既にイベリア半島はローマの版図に入っており、その内紛が直接銀の生産を落とす要因となったのだろう。しかしこれも帝政(元首政)になると再び山を形成している。1990年代の古い調査"
http://science.sciencemag.org/content/272/5259/246"では帝政期の経済活動は停滞していたという調査結果が出たらしいが、新しい調査手法を使いより詳細に調べると、むしろ帝政期の方がピークは高くなったという。
しかし元首政の繁栄も五賢帝の後半から急速に低下しており、3世紀には再び経済活動が谷間を描く。所謂3世紀の危機だ。結局この困難はディオクレティアヌスによる専制君主政への移行によって乗り越えられるのだが、同時にローマの中心が西地中海から東地中海へと移動した。この時期の鉛汚染が低水準なのはそうした経済活動の変化に伴いグリーンランドからより遠い地域に銀の生産拠点が移ったことが背景にあるのだろう。
1番大きな違いがあるのは紀元1世紀半ば。鉛汚染データはピークを続けていた局面だが、建造物データだとここでいったん険しい谷間を形成している。四皇帝の年と呼ばれる帝位を巡る混乱のあった時期で、ユリウス・クラウディウス朝からフラウィウス朝へ王朝が交代したタイミングでもある。短期間の混乱が多額の投資を必要とする建造物データに影響を及ぼしたが、銀の生産がストップするほど長期の影響は及ぼさなかったということだろうか。
しかしこの点を除くと両データの相似度はかなり高い。全体でも相関係数は0.62となかなかの水準に達している。またそれぞれのピークの高さも似通っているのは興味深い。1番高いのは元首政の時期で、次が共和制。王政期と専制君主政はどちらも低い山にとどまっている。全く異なるデータを使っていながらここまで似た傾向が窺えるのは、いずれのデータも社会全体の動きを反映したものだからだと考えれば辻褄が合う。
元の論文では「[鉛汚染の]長期の低下はおそらく戦争に引き裂かれた地域における投資意欲減退と関連している。例えば鉛の排出は第1次ポエニ戦争(紀元前264~241年)の勃発にともなって急低下しているが、後にカルタゴが傭兵への支払い用銀貨造幣を増やした時に上昇している」と書かれており、鉛の排出が戦争の激しさと相関している可能性を指摘している。だがTurchinに言わせればこれは「データのチェリーピッキング」に当たる。
もちろんイタリアの埋蔵銭とスペインの銀鉱山の活動は必ずしも相互に影響しているとは限らない。そこでTurchinはさらに調査対象を西地中海全域に拡大。イタリア、シチリア、北アフリカ、スペイン及びゴール(フランス)の全地域における埋蔵銭を調べ、スペインのみ及び西地中海全体合計の埋蔵銭と鉛汚染との相関も調べた。それによると「いずれも実際には僅かに正の数字」を示したという。元論文にある「長期の低下」と「戦争に引き裂かれた地域」とが関係しているという仮説は成り立たない、というのが彼の指摘だ。
コメント欄では「戦争の終了と経済の復興にタイムラグがあるように、この問題でも時間的なずれが生じるのではないか」という疑問が提示されているが、Turchinはこうしたデータを30年にわたって扱った経験から、そうした動的なモデルの構築は「時間の無駄」と切り捨てている。確かに鉛と埋蔵銭のピークは、時に前者が先行し、時には後者が先行しているように見えるし、そこに一定の法則性があるようには見えない。
そもそもグリーンランドで観測できる鉛の排出量は、年ごとの天候の違いといった影響を受ける可能性が高い。加えて銀鉱山の生産活動に影響を及ぼすのは戦争だけではない。人手不足や過剰、資金や採掘に必要な物資の不足や過剰、あるいは食料の豊作や不作だって鉱夫の活動に影響を及ぼしただろう。半世紀や1世紀といった単位の活動分析に使うのならともかく、年単位、10年単位の細かな動向を調べるにはあまり向いていないのではなかろうか。
もちろん論文が提示しているのはあくまで仮説であり、その妥当性についてはTurchinが行っているように多角的な検証が必要とされる。それも含めてなかなか面白い議論を読むことができた。
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