定量的歴史

「ほーいいじゃないか こういうのでいいんだよ こういうので」

 我が心の中の井之頭五郎が思わず呟いてしまったのだが、Peter Turchinの最新のエントリーが面白い。グリーンランドの氷を使ってローマ時代の鉛汚染について調べた論文"http://www.pnas.org/content/early/2018/05/08/1721818115"を元に、定量的なデータで歴史を分析できることを連載形式で示そうとしている。彼が取り組んでいるCliodynamicsの手法を示すいい事例だ。
 まず最初に取り上げたのは論文の生データを加工して説明したこちらのエントリー"http://peterturchin.com/cliodynamica/history-is-now-a-quantitative-science/"。ローマ時代において鉛はイベリア半島で銀を精錬する際に発生していたそうで、いわば銀の生産量推移を示すメルクマールとも言えるのだが、グラフにすると古代を通じてきれいな山谷が表れている。
 ローマ王政時代の鉛汚染の上昇は、実際にはローマではなく地中海の通商を広く担っていたカルタゴの経済活動を示したものと言えるだろう。続いて最初に表れた谷も、ローマの共和制初期の危機が影響したというよりカルタゴとギリシャ都市国家間で長く続いたシケリア戦争"https://en.wikipedia.org/wiki/Sicilian_Wars"による経済活動の停滞を反映したものではないかと思われる。
 2つ目の山に当たるローマ共和制の全盛期にはポエニ戦争があったのだが、この戦争は地中海の経済活動にあまり深刻な影響を与えなかったのかもしれない。少なくともイベリア半島での銀生産が滞った様子は見えない。もっと細かく見ると紀元前218年に鉛汚染が減少したが、ローマ軍が鉱山を押さえた後には急速に回復したという動きがあったらしい"https://www.theatlantic.com/science/archive/2018/05/scientists-reclaim-the-long-lost-economic-history-of-rome/560339/"。ただしこうした細かい部分の仮説の妥当性について、Turchinは後に厳しい批判を浴びせている。
 むしろ経済活動に深刻な影響を及ぼしたのは紀元前1世紀の危機だ。この時期には既にイベリア半島はローマの版図に入っており、その内紛が直接銀の生産を落とす要因となったのだろう。しかしこれも帝政(元首政)になると再び山を形成している。1990年代の古い調査"http://science.sciencemag.org/content/272/5259/246"では帝政期の経済活動は停滞していたという調査結果が出たらしいが、新しい調査手法を使いより詳細に調べると、むしろ帝政期の方がピークは高くなったという。
 しかし元首政の繁栄も五賢帝の後半から急速に低下しており、3世紀には再び経済活動が谷間を描く。所謂3世紀の危機だ。結局この困難はディオクレティアヌスによる専制君主政への移行によって乗り越えられるのだが、同時にローマの中心が西地中海から東地中海へと移動した。この時期の鉛汚染が低水準なのはそうした経済活動の変化に伴いグリーンランドからより遠い地域に銀の生産拠点が移ったことが背景にあるのだろう。
 この時代の永年サイクルについては、Secular Cycles"https://press.princeton.edu/titles/8904.html"で紹介されているほかに、以前も紹介した論文"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56255059.html"で特に専制君主政の時期についての分析がなされている。この論文はこちら"https://escholarship.org/uc/item/5j8740dz"でも読める。またTurchinが一般向け書物として書いたWar and Peace and War"https://www.amazon.co.jp/dp/0452288193"にも言及されているそうだ。

 続いてTurchinが書いたエントリー"http://peterturchin.com/cliodynamica/history-is-a-quantitative-science-ii/"では、この鉛汚染研究と歩調の合った他の定量的データを彼が紹介している。ここで使っているのは宗教的な建造物のデータだ。かなりの金額が投資されることと、設立年がはっきりしている事例が多いことがこのデータを使った理由。10年間にいくつの宗教的建造物(異教とキリスト教両方)が建造されたかを調べ、それをグラフ化すると鉛汚染とかなり似たものができあがる。
 1番大きな違いがあるのは紀元1世紀半ば。鉛汚染データはピークを続けていた局面だが、建造物データだとここでいったん険しい谷間を形成している。四皇帝の年と呼ばれる帝位を巡る混乱のあった時期で、ユリウス・クラウディウス朝からフラウィウス朝へ王朝が交代したタイミングでもある。短期間の混乱が多額の投資を必要とする建造物データに影響を及ぼしたが、銀の生産がストップするほど長期の影響は及ぼさなかったということだろうか。
 しかしこの点を除くと両データの相似度はかなり高い。全体でも相関係数は0.62となかなかの水準に達している。またそれぞれのピークの高さも似通っているのは興味深い。1番高いのは元首政の時期で、次が共和制。王政期と専制君主政はどちらも低い山にとどまっている。全く異なるデータを使っていながらここまで似た傾向が窺えるのは、いずれのデータも社会全体の動きを反映したものだからだと考えれば辻褄が合う。

 3番目のエントリー"http://peterturchin.com/cliodynamica/history-as-quantitative-science-iii-the-value-of-coin-hoards/"は、逆に最初の論文に提示されている仮説の当否判定にデータを使っている。Turchinが持ち出したのはcoin hoards(埋蔵銭)のデータで、それを使って論文に示されている「鉛汚染の濃度と戦争の激しさ」に関係があるという主張に疑義をはさんでいる。
 元の論文では「[鉛汚染の]長期の低下はおそらく戦争に引き裂かれた地域における投資意欲減退と関連している。例えば鉛の排出は第1次ポエニ戦争(紀元前264~241年)の勃発にともなって急低下しているが、後にカルタゴが傭兵への支払い用銀貨造幣を増やした時に上昇している」と書かれており、鉛の排出が戦争の激しさと相関している可能性を指摘している。だがTurchinに言わせればこれは「データのチェリーピッキング」に当たる。
 彼はまず、Scheidelと一緒に記した過去の論文"http://www.pnas.org/content/106/41/17276"を元に、イタリアの埋蔵銭と文献史料から分かる戦争の激しさに相関があることを指摘。次にこの埋蔵銭データと鉛排出のデータを並べ両者の相関係数が-0.09になっていることを指摘する。要するに戦争の激しさと鉛の排出量とは必ずしも相関してはいないという指摘だ。
 もちろんイタリアの埋蔵銭とスペインの銀鉱山の活動は必ずしも相互に影響しているとは限らない。そこでTurchinはさらに調査対象を西地中海全域に拡大。イタリア、シチリア、北アフリカ、スペイン及びゴール(フランス)の全地域における埋蔵銭を調べ、スペインのみ及び西地中海全体合計の埋蔵銭と鉛汚染との相関も調べた。それによると「いずれも実際には僅かに正の数字」を示したという。元論文にある「長期の低下」と「戦争に引き裂かれた地域」とが関係しているという仮説は成り立たない、というのが彼の指摘だ。
 コメント欄では「戦争の終了と経済の復興にタイムラグがあるように、この問題でも時間的なずれが生じるのではないか」という疑問が提示されているが、Turchinはこうしたデータを30年にわたって扱った経験から、そうした動的なモデルの構築は「時間の無駄」と切り捨てている。確かに鉛と埋蔵銭のピークは、時に前者が先行し、時には後者が先行しているように見えるし、そこに一定の法則性があるようには見えない。
 そもそもグリーンランドで観測できる鉛の排出量は、年ごとの天候の違いといった影響を受ける可能性が高い。加えて銀鉱山の生産活動に影響を及ぼすのは戦争だけではない。人手不足や過剰、資金や採掘に必要な物資の不足や過剰、あるいは食料の豊作や不作だって鉱夫の活動に影響を及ぼしただろう。半世紀や1世紀といった単位の活動分析に使うのならともかく、年単位、10年単位の細かな動向を調べるにはあまり向いていないのではなかろうか。
 もちろん論文が提示しているのはあくまで仮説であり、その妥当性についてはTurchinが行っているように多角的な検証が必要とされる。それも含めてなかなか面白い議論を読むことができた。
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