西夏銅火銃の謎

 中国の古い銃砲の中に、西夏銅火銃と呼ばれるものがある。発見された市の名前を冠して武威銅火銃"https://en.wikipedia.org/wiki/Wuwei_Bronze_Cannon"とも呼ばれるのだが、銃砲の歴史における位置づけを考えると、これがなかなか悩ましい存在である。
 西夏銅火銃についてはこちら"http://nx.cnr.cn/btwh/xxwh/200702/t20070208_504397747.html"に概要が書かれている。1980年5月に武威市"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A8%81%E5%B8%82"の工場で出土したこの銃は全体の長さが100センチ、内径12センチ、重さ108.5キログラムと、かなり大きな銃砲である。
 本体は銃身、薬室、尾部に分かれており、銃身は長さ46.8センチ、薬室には0.2センチのタッチホールがあり、尾部はラッパ状になっている。薬室内に直径0.9センチ(Andradeなどは9センチとしている)の弾丸及び0.1キログラムの火薬が入っていたそうだ。銃は銅器や焼き物と一緒に見つかったのだが、後者は武威市内の別の場所で発見されたものと「相同或類似」していた。そしてその別の場所で見つかった焼き物に、西夏の元号である「光定四年」(1214年)の年号が書かれていたという。
 この銃が西夏銅火銃と呼ばれるようになったのは、この焼き物のためだ。推定年代が1214~1227年となっているのも、焼き物に書かれた年号から西夏の滅亡までの期間を示したものだからである。銅製の鋳造品であり、元の銅銃と比べて「制作粗放」で「銃体表面凹凸不平」だという。こうした加工品質の低さもあいまって、世界最古の金属製銃砲ではないかと推定されているわけだ。
 さらに2002年には寧夏の「収蔵愛好者」が西夏銅火銃と外見の似た銃を持ち込んだ。1997年に銀川ホテル近くで出土したとされるこの銃には錆が浮いている一方、中にはまだ火薬が残っていたという。一番の違いはサイズで、全長24センチ、肉厚は0.8センチ、重さ1.5キログラムで、銃身は長さ13センチ、内径2.2センチ。薬室部分は長円形で長さ5センチ、直径4.6センチだがタッチホールは塞がっている。尾部はラッパ状で長さ6センチ、終端の口径は4センチだ。
 西夏と火薬の関係について、このサイトでは「西夏と関係のある戦争の中でも火薬兵器が使用された」と指摘し、その例として1083年の「蘭州の戦い」を挙げている。また西夏の領内だった敦煌で見つかったタペストリーについても言及しているが、このタペストリーの年代推定については疑問がある"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55859997.html"し、Andradeも批判している"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55903407.html"。

 この西夏銅火銃がなぜ悩ましい存在なのか。まず目立つのは、他の出土した初期の銃砲と比べて時代が隔絶していることだ。例えば「直元捌年」と書かれた銃については1271年製造の可能性が唱えられているし、阿城銅銃"https://en.wikipedia.org/wiki/Heilongjiang_hand_cannon"についてはNeedhamが1287~88年頃に製造されたと推測している。さらに「元大徳二年」と刻印された銃"https://en.wikipedia.org/wiki/Xanadu_Gun"は1298年製造とされている。
 他にも通県銃や西安銃といった古い銃の存在が知られているが、これらもまた13世紀末から14世紀初頭の製造と見られている"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55899547.html"。要するにどれもこれも西夏銅火銃から約半世紀かそれ以上後になって製造されたと見られるものばかりなのだ。他にも似たような時代の出土品があるのなら問題ないのだが、西夏銅火銃は時代がかけ離れすぎている。
 もう一つはサイズだ。13世紀後半以降に出土した銃は、例えば「直元捌年」銃は長さ34.6センチ、阿城銅銃は34センチ、「元大徳二年」銃は34.7センチ、通県銃が36.7センチで、西安銃が26.5センチだ。長さ100センチに達する西夏銅火銃のサイズは、いくら見た目が低品質で素朴なものとはいえ大きすぎる。これまた他の出土品と比べて隔絶しているのだ。
 もちろん2002年に持ち込まれた小サイズの銅火銃は他の古い銃砲と似た大きさではある。だがこの銃は収集家の持ち込んだものであり、出土時の状況がはっきりしないという弱点がある。つまり本当に出土したものかどうかすら分からないし、発掘品だとしても西夏時代のものと推定できるだけの条件があったかどうかは不明。西夏時代とされる要件を揃えているものは大きい方だけだ。
 文献資料との関連で見ても問題がある。金史"https://archive.org/details/06056865.cn"には開封の戦いにおいて使用された火槍の記述があるが、そこには「黄紙十六重為筒」(61/162)と書かれている。また13世紀中頃に南宋が作った突火槍は「鉅竹為筒」("https://archive.org/details/06060979.cn" 37/171)とある。火薬先進国である宋や金が紙や竹を使っていた時代より前に西夏で金属製の銃砲が生まれていたというのは、あまり説得力を感じる話ではない。
 この銃が西夏のものであるという点も、信頼度が下がる一因である。他の国ならまだマシだ。宋であれば武經總要"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56238179.html"をはじめとした火薬兵器に関する史料が山ほど残っているし、金であっても火砲("https://archive.org/details/06057577.cn" 30/123)、鉄火砲、震天雷、飛火槍といった様々な火薬兵器が記録に出てくる"http://yakushi.umin.jp/publication/pdf/zasshi/Vol16-2_all.pdf"。
 記録が少ないとされるモンゴル帝国ですら、1287~88年の持ち運べる火砲を使った戦闘シーン("https://archive.org/details/06075117.cn" 21, 22/188)や、伏兵全員に「火砲」を持たせて旗が動くのを見たら「砲即發」("https://archive.org/details/06075124.cn" 146/173)ようにさせた1352年の例がある。もちろん八幡愚童訓"http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2559065"にある「引去時飛鉄砲暗くなし鳴り高ければ迷心失肝目くれ耳塞て忙然として東西を不知」(105-106/113)もその一例だ。
 だが西夏にはない。上で紹介した1083年の「蘭州の戦い」にしても、実は續資治通鑑長編"https://archive.org/details/06065699.cn"で北宋の皇帝が「西賊」対策として「頒弓箭火砲箭百萬有餘」(78/139)とあるのが論拠。要するに火薬兵器を持っていたのは北宋側であって西夏側ではない。西夏で最古の金属製銃砲が見つかるというのは、ことほど左様に違和感があるものなのだ。

 上に述べた違和感は、一つ一つだけならそう気にしなくてもいいかもしれない内容と言える。だがこれだけ多数揃うと、ベイズ推定をする際にもそれだけマイナス要因になる。一方、西夏銅火銃が出土した時の状況に関する説明は、読む限りそうおかしなものではない。一緒に出土した焼き物などを含めて考慮すれば、そりゃこの銃が西夏時代のものと推定したくなるのも分かる。
 問題は考古学的な証拠において、一緒に出土したものが絶対に同時代のものかどうかは断定できないという点にある。例えば、所謂タンネンベルク・ガンについては、一般的に14世紀末に破却されたタンネンベルク城址で発見されたものだから14世紀のハンドゴンだと解釈されている。しかし中には、15世紀に製造されたハンドゴンをタンネンベルク城址の井戸に落としたものである可能性があるとの指摘も存在する"http://www.vikingsword.com/vb/showpost.php?p=162720&postcount=26"。
 西夏銅火銃に関しても、同様の可能性が残る。何らかの理由で西夏時代の焼き物と、後の時代に製造された銃が一緒に埋まり、それが20世紀になって発掘されたのかもしれないのだ。だからこの銃を根拠に金属製銃砲の製造が13世紀前半、ことによると1200年頃まで遡ると主張する"https://doi.org/10.1017/S1356186313000369"のは、ちと勇み足ではないかと思う。同時代のものと思われる出土品がもっと増えてから、そうしたことを考えるようにした方がいいだろう。

 あとついでに変な画像を"http://www.everyobjecttellsastory.com/object-2017/211-early-islamic-bronze-portable-cannon/"。何だかよく知らないがどこぞの美術ディーラーとやらがこれをマドファ"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55795805.html"だと主張しているらしい。こんなに銃口が狭く、上にある開口部の方がばかでかい物体がマドファになんぞなるものか。まだ「これは史上最古の蚊遣り豚です」と主張する方が説得力がある。
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