祖国は危機にあり 関連blog
東南アジアの火器
2018
/
04
/
14
その他
東アジアにおける中国製火器の伝播については、以前少し触れた"
https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56341710.html
"。そこでは日本や朝鮮の例に加えてSun Laichenが紹介している大越"
https://en.wikipedia.org/wiki/%C4%90%E1%BA%A1i_Vi%E1%BB%87t
"での事例についても言及した。ただLaichenは別にベトナムだけを取り上げているわけでなく、東南アジア全体における火器の伝播について研究しているようだ。
問題は彼の論文"
https://www.jstor.org/stable/20072535
"がネット上で内容を確認しづらいところ。アカウントを作成すればいいようだが、面倒なのでそこまでする気はない。というわけでそれ以外の情報を使いながら、東南アジアの他地域における中国製火器の伝播の様子を少し調べてみた。
東南アジア地域の大陸部は「3つの主要な南北軸に分けられる」というのがLiebermanの指摘だ("
https://books.google.co.jp/books?id=x3zaRttYiekC
" p12)。即ち西方のイラワジ盆地(現在のミャンマー)、中央の広大なチャオプラヤ=メコン平野(タイ、カンボジア、ラオス)、そして狭い東部沿岸(ベトナム)だ。東南アジアにおける政治体は基本この3地域に分かれて存在していた。
火薬兵器が伝わる前の時点では、西方にパガン"
https://en.wikipedia.org/wiki/Pagan_Kingdom
"、中央にクメール"
https://en.wikipedia.org/wiki/Khmer_Empire
"、そして東部沿岸には北の大越と南のチャンパ"
https://en.wikipedia.org/wiki/Champa
"とに大きく統合されていた。だが13世紀末の頃からこの統合は崩れて戦乱の時代となり、1340年頃には23の小国に分裂したという(p19)。中国製火器がこの地にやってきたのはまさにこの時期だ。
大越での銃砲導入については幸いLaichenの論文が読めるのでここでは省略する。というわけで以下は東南アジア大陸部の残る2地域、西部盆地と中央平地を対象に、どのように中国製の火器が伝播していったかを簡単にまとめておく。
ミャンマーでの火器使用だが、最初に使用したのは他ならぬ明だ。以前、輪番射撃について書いた記事"
https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55827723.html
"の中で沐英の遠征について触れたが、彼の戦った相手である百夷(モン・マオ)"
https://en.wikipedia.org/wiki/Mong_Mao
"は上ビルマを支配していたシャン諸国"
https://en.wikipedia.org/wiki/Shan_States
"の一つである。この戦い後、モン・マオの支配者は明に服属してその地位を保った("
http://www.britishmuseum.org/pdf/205_Ming_China_Courts_and_Contacts.pdf
" p16)。
ミャンマーに銃砲が伝わったのは、このモン・マオ経由らしい。Liebermanによると「中国の商人および脱走兵は早ければ1397年には初歩的な銃、大砲、及びロケットを伝え、シャン族はすぐその複製を学んだ」("
https://books.google.co.jp/books?id=-01JisWpJbEC
" p146)。同じことはこちら"
https://books.google.co.jp/books?id=dSVnAwAAQBAJ
"にも紹介されている(p21)。
こちら"
http://eprints.soas.ac.uk/621/1/Charney%202004%20Warfare%20in%20Early%20Modern%20South%20East%20Asia%20-%20Introduction.pdf
"ではもう少し慎重に「例えば1404年のパテイン"
https://en.wikipedia.org/wiki/Pathein
"など、ビルマ人はおそらく15世紀初頭から火器を使っていた」(p3)としている。どうやら1400年前後から使用が始まっていたのは事実のようだ。
当時、イラワジ盆地の中心部を支配していたのはアヴァ王国"
https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Ava
"だった。同国はシャン諸国とは対立関係にあったようで、Liebermanによるとシャン諸国は火器の力によってアヴァに対抗したそうだ。一方、こちら"
https://books.google.co.jp/books?id=dSVnAwAAQBAJ
"はシャン諸国と対抗するため明がアヴァに火器技術を提供したとしている(p21)。
続いてタイでの火器使用だが、これもまた北方の中国に近いところから始まったようだ。こちら"
https://books.google.co.jp/books?id=GHiuDgAAQBAJ
"によると、ラーンナー王国(チェンマイ王国)"
https://en.wikipedia.org/wiki/Lan_Na
"で最初に青銅製の大砲に関する言及が見られるのは1411年だったという。
1440年代には砲弾によってヤシの木が「樹冠から根本まで」引き裂かれたという話や、チェンマイの兵が門を砲撃してナンという町を奪ったという話が出てくる。1450~60年代になるとアユタヤ王朝"
https://en.wikipedia.org/wiki/Ayutthaya_Kingdom
"との戦闘においてチェンマイの銃砲が多くの兵を殺したという記録があるそうだ。アユタヤ側はこれに対抗し、16世紀に入るとポルトガル人から西欧風の火器を手に入れるようになる。
明側には自分たちの技術が「違法に武器や他の品物を運ぶ国境の密輸業者」によってチェンマイやアヴァに伝わっていると不満を述べている記録がある("
http://www.ari.nus.edu.sg/wps/wps04_017.pdf
" p21)。一方、チェンマイに伝わったのは大越経由という主張もある"
http://www.ari.nus.edu.sg/wps/wps03_011.pdf
"。大越は15世紀を通じ、今のラオス国境に近いムオン・ファンに対する戦役を何度が行っており、その過程で火器の技術がムオン・ファン経由でチェンマイまで伝わったという説だ(p18)。
いずれにせよ14世紀末から15世紀前半のうちに、東南アジア大陸部の少なくとも北半分には中国製火器が伝播し、使用されていたことになる。なおタイの古い火器についてはこういう記録"
http://www.khamkoo.com/uploads/9/0/0/4/9004485/jss_015_notes_on_some_old_siamese_guns.pdf
"もあるが、こちらはどちらかというと西欧人がやってきて以降のものが中心だ。
さらに東南アジアでは大陸部以外に海沿いに火器が広まったルートもあるようだ。鄭和の乗員は1405年にジャワで火銃(huochong)が結婚のセレモニーに使われているのを目撃したという話があるという("
https://books.google.co.jp/books?id=ZvWrAgAAQBAJ
" p91)。鄭和の船団自体も火器を積んでおり、1419年にはカリカットで彼らの「ボンバード」が目撃されたほか、1409年にはスリランカで実際に火器が使用されたという(p92)。
実はインドにも中国製の火器が広まったという話はある。例えばアッサムのアーホーム王国"
https://en.wikipedia.org/wiki/Ahom_kingdom
"は1505~23年に、アッサムとチベット間に住んでいるチュティヤ"
https://en.wikipedia.org/wiki/Chutiya_Kingdom
"経由で火薬技術を手に入れ、さらにロケット技術はアッサム経由でインドに入ったという("
https://books.google.co.jp/books?id=dSVnAwAAQBAJ
" p21)。
こちら"
http://insa.nic.in/writereaddata/UpLoadedFiles/IJHS/Vol4_2005_06_EPIC%20OF%20SALTPETRE%20TO%20GUNPOWDER.pdf
"ではポルトガル人がやってくる以前にインドに存在した火薬技術の源が中国経由ではないかと見ている(p558)。また鄭和船団のカリカットにおける話も載っている(p560)。一方で1366~67年にバフマニー朝"
https://en.wikipedia.org/wiki/Bahmani_Sultanate
"が新たな兵器を手に入れた際には多くのフランク人及びルーム人が雇われていたそうで、この点では西欧の影響が窺える。
インドで確実に銃砲と見られる記述が最初に登場するのは1442年。北インドのラージャスターン地方にあったメーワール王国の君主クンバー"
https://en.wikipedia.org/wiki/Kumbha_of_Mewar
"が同盟国の1つに銅合金製の大砲を2門提供したそうだ(p561)。場所的にも時期的にもこちらは西欧の影響が強いと考えられる。
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