読解力本 下

 承前。最近話題のこの本"https://www.amazon.co.jp/dp/4492762396"についての続きだ。著者はリーディングスキルテストの結果分析で、色々と面白い指摘をしている。一つは問題タイプ別の相関だ。それによると係り受けと照応との間には「0.647という高い相関」があったという。一方、具体例同定の辞書と数学の相関は0.345という「弱い相関」しかなかった(p218)。この言い方からしてこの数字はR自乗ではなく普通の相関係数を意味するのだろう。
 それぞれの問題タイプは「密接に関係してはいるけれど、異なる能力」というのが著者の結論。つまり読解力を上げたければ、比較的簡単と思われる係り受けや照応からスタートし、一つ一つ手を抜かずに積み上げていくしかないってことだ。関係している以上、他の勉強をすっ飛ばして例えばイメージ同定だけやるというのは難しいだろうし、異なる能力である以上、係り受けと照応をやっておけば推論もできるようになるなんてことは起きない。教える側は大変だろう。
 基礎的読解力と相関が高いものとしては、以前にも紹介している"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56480787.html"通り、進学できる高校偏差値がある。実際には高校生の読解力とその高校の偏差値の相関係数がおよそ0.8前後になっていた(p220)らしく、これは高校入学の際に読解力で選別が行われたと解釈することができる。逆に中学生は同じ学校内でも非常に散らばりが大きい。義務教育終了とともに読解力を基に進路が分かれているわけだ。
 ただし読解力の中でも具体的同定は偏差値との相関がそれほど高くない。辞書、数学それぞれ含めて0.639~0.685といったところだ。高校受験のテスト問題が様々な読解力を読み取る能力に長けているのは間違いないが、具体的同定の能力については他と比べると質のあまりよくない質問しかできていないと見られる。
 読解力との相関を調べるアンケートの結果も興味深い。まず一番関係しそうな読書習慣についてかなり詳細に聞いてみたが、「どの項目も能力値と相関が見当たらなかった」(p222)という。それだけではない。学習習慣も得意科目も、スマホの使用時間も新聞購読の有無も、目立つ相関はなし。筆者は、そもそも簡単な係り受けや同義文判定ができない生徒を含めたアンケートを行っても「アンケートの文そのものを正確に読めなかった可能性」があると指摘している。
 結局、読解力をあげる方法について回答は示されていない。単に個人的な経験に基づき「多読ではなくて、精読、深読」(p246)にヒントがあるのではないかと述べているくらいだ。逆にお勧めしていないのはデジタルドリル(AIと能力的にダブる可能性が高い)やアクティブラーニング(絵に描いた餅になりかねない)あたり。教育という長い歴史を誇る分野では、おそらく経験的に効果的と思われるやり方は既にかなり採用されており、目新しい方法が大きな効果をもたらす可能性は低いってことかもしれない。
 筆者はさらにツイッターで「読解力向上に処方箋がないなら(中略)社会として再配分の在り方を考えるべき」だと述べている"https://twitter.com/noricoco/status/967949870626627584"。このあたりは「格差の世界経済史」"http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P50900.html"の筆者と似た主張だ。

 もう一つ、相関が指摘されているのが貧困との関係"https://twitter.com/noricoco/status/968273979256418304"。経済的理由から市町村の援助を受けている「就学補助率が高い学校ほど読解能力値の平均が低い」(p227)ことが分かったという。以前、「親の成績や社会的階層」のようなものが読解力に影響しているのではないかと指摘したことがあるが、それを想像させるかのような話である。つまり読解力に遺伝が影響を及ぼす可能性が浮かんでくる。
 これについてはむしろ国際的な調査の方が力を入れている。OECDが行っている研究についてこちら"https://togetter.com/li/1082795"で簡単に紹介されているのだが、その中には「親の学歴や職業などの社会経済的地位」についての言及もある。このまとめでは「読書の熱中度」の方が親の社会経済的地位よりも読解力と「強い相関関係がある」としている。
 だが残念ながら、これは誤訳だ。まとめの中ではサマリー"http://www.oecd.org/education/school/programmeforinternationalstudentassessmentpisa/33690986.pdf"しかリンクが貼られていないが、そもそもは同じ題名の論文"http://www.oecd.org/education/school/programmeforinternationalstudentassessmentpisa/33690904.pdf"が元ネタ。そしてそこに書かれている文章は以下の通りとなる。

「より重要な発見は(中略)社会経済的バックグラウンドと読書の熱中度の関係だ。その相関係数はたった0.15で、社会経済的バックグラウンドと読解力の間に見られる数値の半分以下である」
p131

 具体的には「読書の熱中度」と「読解力」の相関は0.38(p221)、「社会経済的地位」と「読解力」の相関は0.33(p225)であり、つまりそれほどの差はない。相関が低いのは「社会経済的地位」と「読書の熱中度」で、こちらは0.15である。ここから読み取るべきなのは、「読書に熱中するか否かは、社会経済的地位とはあまり関係ない」という結論のはずである。
 もちろん両者に関係がないということは、教育する側にとっては希望の持てる発見だ。恵まれない家庭の子であっても読書に関心を持ち、熱中してくれる可能性がそれだけ高いことを意味しているからだ。しかし一方で、社会経済的地位が高ければ読書に熱中するか否かは関係なしに一定の読解力を手に付けられることも、この調査結果は示している。恵まれない家庭の子は「読書に熱中する」という条件を満たす必要があるのに対し、恵まれた家庭の子はそれがなくてもそこそこの読解力を得られるのである。
 ちなみに日本の場合、読書の熱中度と読解力との相関は0.32と全体より低い。一方社会経済的バックグラウンドと読解力の相関はデータが少ないため算出できなかったようだが、「自宅にある本」「家庭の教育資源」「文化的コミュニケーション」「家族構成」といった社会経済的地位を測るいくつかの指標と読解力との相関はやはり全体より低い。トータルとして見れば読書の熱中度も、社会経済的地位も、同じくらい読解力と相関していると考えられるだろう。
 問題はここに出てくる「読書の熱中度」や「社会経済的地位」、「読解力」といった表現型の下に、どの程度の遺伝要素が反映されているかだろう"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55483569.html"。「読書の熱中度」と「社会経済的地位」の間の相関が低いってことは、少なくともこの両者が遺伝的背景をあまり共有していない可能性を窺わせるのだが、本当にそう解釈していいのかどうかは不明。もっと幅広い世代にわたって追跡調査しないと、正確なことはおそらく言えない。

 以上がこの本に関する普通の感想だが、それとは別の感想がある。この筆者の文章、微妙に読者を苛立たせる能力が高いのだ。さらっと自慢が入ってきたり、必要以上に皮肉を効かせた批判があったりと、読んでいて「上から目線」感を覚えるところが存在する。全読者とは言わないが、少なくとも一部の読者は、筆者の主張ではなく、そういう「読後感」の部分で反感を覚える可能性が高そうな文章だ。わざとそういう書き方をしているのか、それとも天然なのか、そのあたりは分からない。
 わざとだとしたら見事に釣られている読者も多いようだ。アマゾンの書評"https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4492762396/"を見ても割と感情的な批判が目立つし、筆者のツイッターでも絡んでくる連中がいることを指摘している。正直「そう(煽るような文章に)なればそう(反感を買うことに)なるやろ」としか思わないし、もしかしたら「連想と論理的推論は違う」"https://twitter.com/noricoco/status/967971638674309121"と言いたいがために、敢えて読者の神経を逆なでするような書き方をしたのではないかと疑いたくなるほどだ。
 もう一つ、著者はそんなことは言明していないのだが、ツイッターを見るとしばしば「最近になって子供たちの読解力が下がったことが分かった」と理解している人がいる。これも題名の中にある「教科書が読めない子どもたち」の部分から勝手に解釈している(連想している)読者が多い一例かもしれない。実際にはそんなデータはなく、読解力が最近下がっているかどうかは不明としか言いようがない。少なくとも識字率が今より低かった時代より読解力が高い水準にあるのは確かだろうけど。
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