もしもあの時 中

 承前。西欧に続きHoffman Worldで中国がどうなるかを見てみよう。Hoffmanは中国でトーナメントモデルが働く「最も説得力のあるシナリオ」(p175)として、13世紀のモンゴルによる征服がなかった場合を挙げている。遊牧民をまとめて巨大な軍事力に統合するジンギスカンのようなカリスマがいなければその可能性も十分にあるというわけだ。例えばテムジンが若い頃に何らかの理由で死んだとしよう。ステップの遊牧民は分裂と内訌を続け、ユーラシア各地も、もちろん中国も飲み込まない。さてどうなるか。
 モンゴル以前の中国は西夏、金、そして南宋とに分断されていた。もし南宋が繁栄して金や西夏との戦争を続け、税と海軍の発展を続けていれば「彼らは金の侵攻から生き残り、内陸水路と海岸部の産業中心地を防衛できた」(p176)。南宋の商人たちは自らの海上交易利権を守るべくロビー活動を行い、そして相争う諸国は火薬兵器を史実よりさらに先まで発展させることが期待できる。
 ただし欧州ほど徹底したトーナメントモデルにはならない、とHoffmanは見ている。南宋は欧州基準で見れば巨大な国であり、遊牧民の脅威から自由ではいられない。火薬技術に特化した武装は難しく、ロシアのように火薬とそれ以外の対遊牧民兵器に力を分散させる必要がある。だが後の明や清のように覇権を握っているわけではないため、そうした国々より生き残りのため軍事技術に力を注ぐ割合は高まる。「明や清がやったよりもさらに先までテクノロジーを推し進める」(p176)ことが可能という。

 確かにモンゴルが来なければ「宋戦国時代」がもっと長く続いた可能性はある。ただしその内実はHoffmanの指摘とは別の意味で欧州とは異なるものになりそうだ。以前にも指摘した"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56437279.html"通り、南宋と金との間は12世紀の中頃から後半にかけての約65年のうち、5年ほどを除いてずっと平和な関係にあった。そして南宋と西夏はそもそも国境を接していなかった。
 プレイヤーが3者しかいない状態では互いの関係が均衡してしまいやすいのかもしれない。あるいは戦争による利得がトーナメントモデルを発動させるほど大きくない可能性がある。侵略好きな国家が近隣に存在するとか、攻撃を仕掛ければ勝てそうに見える程度に相手が動揺するといった場面がないと、分裂即ち戦争とはならないのかもしれない。その意味では西夏、金、南宋という3国だけではプレイヤーとして不十分な可能性がある。
 例えばモンゴルほどではないにせよ、それなりに強力な遊牧民国家が金の北方に現れれば事態は動くだろう。その国と対立しているのを見た南宋が北伐を試みる場面があってもいいし、西夏を巻き込んでの挟み撃ちを考える手もある。逆に金の南征を引き起こすためには、南宋内部で複数勢力の内訌があるとか、前期倭寇が猖獗を極めて南宋の政情が混乱するといった誘因がほしいところ。南北とも落ち着いて冷戦状態になると、研究開発が当たり前ではなかったこの時代における技術発展が停滞するリスクがある。
 他の東アジア諸国をトーナメントモデルのプレイヤーに巻き込むのは可能だろうか。難しいと思う。大理や大越は規模が小さすぎるし、史実の高麗はモンゴルの攻撃を受ける前に国内での権力争いを続けていた時期"https://en.wikipedia.org/wiki/Goryeo_military_regime"があり、他国にちょっかいを出せる余裕があったようには見えない。そして日本は遠すぎる。火器発展のためには特に金と南宋に頑張ってもらうしかないのだが、欧州よりは発展が遅れた可能性は高い。
 また実際の発展も欧州と同じように進んだとは思えない。まず最大の問題は大砲だ。こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55818825.html"でも紹介したように、中国の城壁というか市壁は「壁」というより「堤防」と呼ぶ方がいいくらい分厚く、そのため中国ではボンバルデのような攻城兵器が発展しなかった。実際、明代になってもせいぜい口径21センチの洪武大砲"https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/15435/049000020005.pdf"が登場したくらいで、大半はより小型な銃砲だった。
 トーナメントモデルが続き火器の発展が続いたとしても、中国からボンバルデが生まれたとは考えにくい。せいぜい、市門を破るための洪武大砲程度の武器と、後は対人攻撃や震天雷を壁越しに投じるための(口径の小さい)臼砲が碗口銃から発展するくらいだろうか。また大砲のサイズが大型化しない場合、西欧で生じたような鋳鉄製の砲丸が生まれるインセンティブも弱まる。いつまでも岩を撃ち出すレベルから進化しないかもしれない。砲車や砲耳の必要性も高まらないだろう。
 そして攻城兵器としての大砲が生まれなければ、それに対抗するためのルネサンス式稜堡も生まれてこない。その後の歴史に与える影響度としてはこちらの方が重要だろう。以前にも書いた"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54315361.html"通り、ルネサンス式の要塞は欧州列強が世界各地に拠点を築き、少数の兵力で世界を支配する際に極めて重要な役目を果たした。大規模土木工事を必要とする要塞の建設が軍事=財政国家を導き出す要因になったとの見方もある。中国ではトーナメントモデルが働いてもそうした効果は生み出せない可能性があるのだ。
 大砲が生まれなければ、それらを積み込んだ「動く城」としての戦列艦も生まれない。もっとも中国船の構造を見る限り、たとえ大砲が生まれてもそれを大量に積み込むのは難しかった可能性がある。Needham"https://books.google.co.jp/books?id=l6TVhvYLaEwC"によれば中国のジャンク船にはキール(竜骨)がなく、船底は平らもしくは僅かに丸くなっていたという(p391)。船体は隔壁によっていくつもの区画に分かれていたため強度はあったのだが、この構造はキールを持つ西洋の船に比べて喫水が浅く、重心が高くなる傾向がある。中国船に竜骨が使われるようになったのは、西洋と接触した後の17世紀頃からだ(P429)。
 加えてジャンクの帆に使われているバッテン"https://en.wikipedia.org/wiki/Sail_batten"によって帆の扱いは容易になったが、重心はさらに高くなったようだ。この状況で甲板上に重い大砲を並べたりすれば船舶は危険なほど不安定になる。西洋の戦列艦のように100門以上の大砲を備え、なおかつ不安定にならずに航行できるような仕組みとは思えない。
 15世紀にインド洋へ遠征を行った鄭和の宝船がかなり巨大であったのは、見つかった造船所の遺跡からも推測できるという"http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-960.html"。だからサイズで西欧の船に対抗することは可能だっただろう。でも大砲が存在せず、載せるとしても対人兵器が中心であったとしたら、西欧列強の艦隊が他地域で見せたような圧倒的な強みを発揮できたかどうかは分からない。
 またAndradeが指摘している「風上への航行能力」("https://journals.library.ualberta.ca/cjs/index.php/cjs/article/view/8873/8111" p197-198)問題もある。ジャンク船の帆は風上への航行については極めて非効率だと言われている"https://en.wikipedia.org/wiki/Junk_rig"。中国船が航行する東アジアやインド洋は季節風の地域であり、その風を利用した航行を主眼とする限り風上への航行能力不足はあまり問題にならなかったのだろう。だが軍事利用を考えるなら、この部分はマイナス材料となり得る。
 最後に銃についてだが、初歩的な引き金であるサーペンタインロックの発明はあまり難しくないだろう。Needhamなどはこれが最初に中国で生まれたと見ているほどだ"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55818825.html"。だがマッチロックまで行くとばねを利用したもっと複雑な機構が求められる。中国では北宋期に水運儀象台"http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170510094324.pdf?id=ART0003079242"という複雑な時計が作られていたそうなので技術的には可能だろうが、大量生産できるだけの職人がいたかどうかは不明だ。
 もう一つの課題は鍛鉄製の銃身製造。中国は鋳造文化の国であり、鍛鉄製の火器はなかなか製造されなかった。むしろこちらは史実でも東アジアで最初に鍛鉄銃を大量生産した日本で発明した方が手っ取り早いかもしれない。ただそれをするには日本国内で銃への需要が高まる必要がある。南北朝時代までに銃砲が伝わればその時に製造される可能性もあるが、これは時間的に厳しいかもしれない。15世紀末以降の戦国時代に銃の需要が日本国内で高まり、それが鍛鉄銃の発明につながるというルートを想定するのがよさそうだ。
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