格差を減らす暴力

 Walter ScheidelのThe Great Leveller"https://press.princeton.edu/titles/10921.html"読了。The Economistの選ぶ「2017年の本」にも入っていた"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56555855.html"ほど経済関連で話題になっている本だが、著者は経済学者ではなく歴史学、それも古代ローマ時代が専門という人物だ。
 ただし歴史学者であってもビッグデータの時代においては数字やデータと無縁ではいられない。Scheidelもまた同じで、彼のこれまでの研究の中には例えば「古代ローマ人口研究」"http://heartland.geocities.jp/zae06141/roman_population2.html"のような数字塗れの取り組みがあったようだ。そう考えれば経済関連で話題になる本を歴史学者が書いても不思議はない。

 以前にも紹介しているが、同書は副題が「石器時代から21世紀までの暴力と格差の歴史」となっているように格差問題を取り上げた本だ。結論をごく単純に言うなら、平和と繁栄が格差をもたらすのに対し、格差を長期的にかつ大幅に減らすことができるのは暴力だけである。特に大量動員を伴う戦争、体制変革を伴う革命、国家の崩壊、そして疫病という「4人の騎手」こそが格差を大幅に縮小できる力を持っている、ということになる。
 本は索引などを含めて500ページを超えているが、その大半はこの主張を裏付けるデータの羅列だと思えばいい。もちろん時代によってはデータを出せないものもあり、そういう事例を紹介するときはより定性的な説明が中心になるが、それでも出せる限りはデータを出そうとする姿勢は窺える。以前から述べている通り、今の時代にデータを出さずに歴史観を示そうとする本には価値はない"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56252545.html"。この本は自らに価値があるとこをきちんと示している。
 平等をもたらすものが(ヒト以外によるものも含む)暴力であることは共通しているが、その働き方のメカニズムは異なっている。まず戦争だが、ここでは主に2つのメカニズムが格差縮小をもたらしている。一つは戦争がもたらす労働力への需要増。兵士の数が典型例だがそれだけでなく戦争を支える生産部門のための労働力も同じだろう。労働需要が増えることによって自分の肉体以外に資産を持たない人間たちの価値が上がる。
 もう一つは戦争を続けるために必要な資金の動員だ。民主的な国家は金持ちの所得税を極端に上げることで対応するのに対し、権威主義的な国は目先は国債などで賄おうとする。だが総力戦になると結局はあるところから金を調達するしかないし、国債発行が極端に増えれば戦後のインフレで金融資産の価値が急落し、資産を持っている金持ちが没落する。もちろんそれ以外に戦争による生産設備の破壊といった影響もあるが、大きな流れは以上の2種類だろう。
 戦争同様に需要供給のメカニズムが働くのが疫病だ。労働人口の急減によって労働力の供給が減る一方、疫病はインフラなど設備を破壊しない。結果、設備というか資本を持っている金持ちほど自分たちの価値が下がり、逆に労働者の価値が上がる。疫病後の時代は労働者が歴史的に見れば珍しく豊かな生活を送れる時代である。
 国家の崩壊も、ある意味で需要供給の関係と言える。広大な領土と人口を持つ帝国が巨大な市場を作り上げるのに対し、国家崩壊はこの市場が消え去ることを意味する。それまで広い領土や人口を相手に商売していた金持ちは、市場縮小による需要の急減で大きなダメージを受ける。一方、労働者は場合によってはプラスを得る。それまでの支配者が領民からの搾取ばかりをしていた場合、それがいなくなる国家崩壊は普通の労働者にとってはありがたい話というわけだ。
 以上の「3人の騎手」とは趣が異なるのが革命。こちらはむしろ需給の関係を無視して権力者が力づくで平等を押し付けるやり方だ。結果、経済は悪化し、大量の死者を出すことも珍しくない。疫病のように労働者が豊かになる格好で平等が進むケースもあるが、革命の場合はむしろ「みんなが貧乏になる」という方向性での平等が生じるようだ。
 「4人の騎手」以外の、特に平和的な方法での平等化は規模が限定的だったり、あるいは長続きしないのが特徴だとScheidelは主張する。彼が特に厳しく批判しているのは、経済成長に伴って格差はいずれ縮小するというクズネッツ曲線"https://en.wikipedia.org/wiki/Kuznets_curve"で、暴力による平等化の影響が乏しかったラテンアメリカの例などを示して逆U字曲線が実際には必ずしも成立しないことを執拗に示している。むしろPikettyの議論に近い視点と言える。
 暴力が格差縮小をもたらすのは事実だとして、格差の拡大が暴力につながるかどうかについては態度を保留している。Turchinの永年サイクルに関する議論を「野心的な試み」だと認めてはいるが、一方で彼の議論が内在的な原因を重視しすぎて、外在的要因を軽んじているのではないかといった疑問も呈している。Turchinほど「危機のサイクルの到来」を予測できるとは思っていないのかもしれない。
 何しろScheidelは現代において「4人の騎手」がすぐ再来する可能性は乏しいと見ている。確かに共産革命や疫病が人口の大幅減までもたらす事態は考えにくいし、特に先進国になるとそうそう簡単には国家崩壊とはいかないだろう。全面熱核戦争でもあれば話は別だが、平和な19世紀を通じて戦前の先進国が至ったレベルと同じく、高い格差へ向けて時代は動いているのかもしれない。

 以上が大雑把にまとめたScheidelの説だが、この本で一番興味深いのはそういう大枠もさることながら、実際にはもっと細かい歴史的な事実を紹介している部分だろう。何しろ疫病の章では16~19世紀のメキシコにおける労働者の実質賃金推移や、紀元前から中世までのエジプトにおける実質賃金の流れなどが紹介されている。こうしたデータはそれこそごく最近になってようやくまとめられたものだそうだ。
 黒死病前後の労働者たちがどの程度のカロリーを消費していたかの記述もなかなか凄い。それによると14世紀初頭、カイロの労働者は1日当たりたんぱく質45.6グラム、脂質20グラムを含む1154キロカロリーを摂取していたのだが、黒死病で人口が減った後の15世紀半ばには82グラムのたんぱく質、45グラムの資質を含む1930キロカロリーまで消費が増えたそうだ。現代人の感覚だと1150キロカロリーなんて基礎代謝以下の摂取量でどうやって生きていたのかと目を疑うような数字だ。
 Scheidelが平等をもたらす革命と見なしているのは、あくまで20世紀の共産主義革命だけだ。フランス革命もある程度の格差縮小はもたらしたが、それは例えば1780年にトップ10%が所得の51~53%を得ていたのに対し、革命後の1831年にはそれが45%に減ったという程度の限定的なもの。スターリンや毛沢東がやったものに比べれば地味かつ短期的な影響に過ぎなかったという。それでもフランス革命はまだマシで、他の19世紀以前の農民反乱などはお題目としての格差縮小すら唱えない例が大半だったという。
 国家崩壊の例はソマリアのような現代のものより過去のものが多い。典型例は西ローマの崩壊で、これはScheidelの専門分野だけにデータも含めて詳細に書かれている。それ以外にも事例は多数紹介されており、中にはミケーネ文明やマヤ文明の話も登場する。
 戦争については中心は20世紀前半のものだが、それ以前でもScheidelは大量動員戦争の候補を3つ挙げている。共和制ローマ(特にポエニ戦争期)、戦国時代の中国、そして古代ギリシャだ。ローマはハンニバル相手に数の暴力で戦ったが、その時には全人口の8~12%を動員した。戦国時代には数十万人単位の兵が投入された。ただしどちらも20世紀の戦争ほど格差の縮小はもたらさなかったようで、あったとしても効果は限定的だったと見られる。
 唯一、古代ギリシャのみが格差縮小をもたらすだけのインパクトを持っていたという。ファランクスを構成する歩兵、ガレー船の漕ぎ手といった頭数が求められる戦争形態が原因で、要するに戦場での労働需要が格差拡大を妨げたのだという。逆に現代のように頭数より兵器技術が戦力の中心となる時代においては、格差を縮めるメカニズムが働きにくいことが予想できる。また古代ギリシャにおいては、多くのポリスが常に争っている状態だったことも、金持ちに高い税率を課す取り組みを通じて格差拡大を妨げた。
 Scheidelは冒頭でさらに昔、それこそホモ・サピエンス以前まで遡って格差の在り方を紹介している。例えばアウストラロピテクスの頃に比べ、ホモ・エレクトスの時代には格差が縮小しただろうことが化石の分析から分かる。こうした話まで含め、非常に幅広い話題を楽しむことができる本だと言える。
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