「默れ默れ。あの手紙に書いてある事は皆眞赤な嘘ぢや。其方が捕虜になれば、その嘘が眞となつて、敵の作戰計畫を狂はせられるが、兄君の許へ嘘の取次をした分には、何の役にも立ちはせぬわ。」
コナン・ドイル著、藤野鉦斎訳 「老雄実歴譚」 p282 近代デジタルライブラリー"http://kindai.ndl.go.jp/"
ナポレオン戦争を舞台とした小説の中で有名なものとしては、コナン・ドイルの「ジェラール准将」物が上げられる。こちら"http://www.teamsputnik.co.uk/blog/CategoryView,category,brigadier%2Bgerard.aspx"には漫画化されたものがあるほど。日本にも色々と紹介されていたようで、明治時代には上のような翻訳本が出ていたし、昭和初期には佐藤紅緑が舞台を日露戦争期に移した「黒將軍快々譚」なる翻案物も書いている。
その中に「准将が勲章をもらった顛末」"How the Brigadier Won His Medal"という話がある。ナポレオンの命令で敵に占領されたルートを通り、数々の危難をくぐり抜けて伝令をこなしたジェラールが戻ってきたら、実は彼が運んでいた手紙は敵に渡すための偽情報だったというオチ。多分、ジェラール物の中でも有名なストーリーだろう。
で、こうした偽情報を渡すための伝令というものが史実にもあったらしい、ということを以前指摘した。Major F.D.Loganの"Napoleon's Campaign in Poland"に載っていた以下の話がそれである。
「[1807年6月7日]同時に彼[ダヴー]はネイに伝令を送り、実際より40%ほど誇張した4万人の部隊と伴にロシア軍の背後へ接近すると伝えた。伝令は運び手が確実に捕まるようなルートを通り、実際に彼は敵の手に落ちた」
Logan, p31
裏付けはないが本当だったら面白い。読んだ時はそう思っていた。だが、よく考えれば私はこの件について裏付けがあるかどうか調べることが可能なのである。大枚はたいて購入した"Napoleon's Finest"という本は、1805年から1807年までのダヴー第3軍団に関する一次史料を集めたものではないか。となれば調べるしかない。で、調べるとダヴーとその幕僚が記した第3軍団の公式報告書の中に、まさにこの話が載っていたのである。
「[1807年]6月7日
(中略)前日、彼[ダヴー]はネイに対し、もし敵が彼の追撃を続けるなら、ダヴーはロシア軍の背後へ4万人と伴に、さらにその後から大陸軍全軍を引き連れて行軍するだろうと伝えた。彼はこの手紙をネイ元帥へ伝えるよう第2猟騎兵連隊の士官に渡し、その士官が敵の手に確実に落ちるようどの道を取るべきか説明した。計画通りこの士官は捕虜となり、彼が運んでいた手紙は敵にとって不安にあたることを明らかにした」
Scott Bowden "Napoleon's Finest" p192
どうやら本当に偽手紙を送っていたようだ。伝令が通るべきルートを示す部分などはジェラール物の以下の部分を彷彿とさせるほどである。
「是が靈夢(レイム)ぢや。この赤線を斯う來て、是が馬族(バゾク)ぢや。此處から二人左右に別れて、一人は阿久(アク)から根留(子ル)へ出て、一人は武連(ブレン)から曾孫(ソウソン)へ出て、そして巴里(パリー)に着くのぢや。宜しいか、其れから書中にも認めて有るが、本軍は當地に二日間休息をして直ぐに巴里に向けて出發するから、其間敵を一人たりとも城内に入れぬ樣にと呉々も兄君へ申して呉れ。」
ドイル 「老雄実歴譚」 p250
ドイルが実際にこの第3軍団の話を知っていたかどうかは不明。小説に描かれている1814年戦役では、むしろ偽物でない手紙を奪われた話の方が有名であり、ドイルはそれを基に小説に仕立て上げた可能性もある。いずれにせよ、偽手紙を持った伝令が実際に存在したことにはかなり強力な裏付けがあったのだ。
ちなみに藤野鉦斎は物語の最後でジェラールに勲章を与えていない。
「斯くて僕の大骨折は全く草臥損に終つたのである」
ドイル 「老雄実歴譚」 p283
ジェラール本を読んだ人なら分かるが、もちろん原作は違う。ジェラールがいかに危険を乗り越えたかを聞いたナポレオンは、最後にこう言う。
「タラント公[マクドナルド]に振り向きながら彼[ナポレオン]は言った。『ジェラール准将に名誉の特別勲章を与えよう。私が思うに彼は我が軍で最も頭は固いが、同時に最も勇敢な男だ』」
The Exploits the Brigadier Gerard: Chapter 7 "http://www.online-literature.com/doyle/brigadier-gerard/7/"
原作の方が綺麗なオチだと私は思う。
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