モンスのジェハン

 以前フィクション内の古い火器について紹介した"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56536965.html"が、中でも「純潔のマリア」の中にはかなりマニアックな描写がある。城攻めをしている貴族のところにやってきた伝令が「モンスのジェハンから届いたボンバルデ」について言及する部分だ。この短い台詞、実はかなり細かな知識に基づいて書かれたものだと思われる。
 15世紀中頃は大砲が巨大化した時代である。50センチを超える口径の大砲がこの時期にいくつも製造されている"https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_largest_cannon_by_caliber"。中でも知名度の高い大砲が、スコットランドのエジンバラ城にあるモンス・メグ"https://en.wikipedia.org/wiki/Mons_Meg"だ。名前の通り、モンスで製造された大砲である("https://books.google.co.jp/books?id=UAL0SfuyUGQC" p262)。
 モンス"https://en.wikipedia.org/wiki/Mons"は現在のベルギー南部にある都市だが、15世紀の時点ではエノー伯領"https://en.wikipedia.org/wiki/County_of_Hainaut"の首都だった。そしてこのエノー伯領をホラント伯領"https://en.wikipedia.org/wiki/County_of_Holland"と一緒に15世紀前半に手に入れたのが、ヴァロワ=ブルゴーニュ家のフィリップ善良公"https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_the_Good"だ。
 フィリップは父親であるジャン無畏公"https://en.wikipedia.org/wiki/John_the_Fearless"がアルマニャック派に殺されたこともあって当初はイングランドと同盟を結んでいたが、1435年のアラス会議"https://en.wikipedia.org/wiki/Congress_of_Arras"以降はフランス側に転じていた。といっても常に連携関係にあったわけではなく、例えば1440年のプラグリーの乱"https://en.wikipedia.org/wiki/Praguerie"では国王シャルル7世に敵対した貴族たちを応援している。
 アニメの舞台となっている百年戦争最末期はどうだったのか。1444年に締結されたトゥール条約"https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Tours"による休戦が途切れた後、1449年からはフランスの攻勢が始まったようだ"https://en.wikipedia.org/wiki/Jean_Bureau"。その後はひたすらイングランドは防戦に追われ、1453年のカスティヨンの戦い"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Castillon"で最終的にフランスの勝利が決まったとされている。
 この同じ時期、実はフィリップは英仏両国の争いに関与できる状態になかった。フランスが攻勢に出た1449-53年と全く同時期に、ブルゴーニュ公はヘント戦争"https://en.wikipedia.org/wiki/Revolt_of_Ghent_(1449%E2%80%9353)"と呼ばれる低地諸国の反乱鎮圧に追われていた。いうなればフランスはブルゴーニュの余計な干渉がない時期を選んでイングランドの大陸からの放逐を試みた恰好。
 フィリップとフランスの関係がこのような状態にあったとして、ではアニメに描かれているようにモンスからボンバルドがフランス側に届けられる可能性はあっただろうか。おそらくあったと思う。当時のフランス軍は既にビュロー兄弟が活躍している時期で、自前の大砲も多数あったと思われるが、一方でモンスの砲兵鍛冶から大砲を仕入れたとしてもおかしくないような時期だった。フィリップがフランス支援のため積極的にモンスの砲兵鍛冶に支援を命じたとまでは考えられなくても、彼の黙認の下で砲兵鍛冶とフランス軍とが取引をしていた可能性はある。

 では「ジェハン」とは誰か。これまたモンス=メグの記録を見れば分かるのだが、製作者の名前がまさにJehan Cambier"http://littlegun.be/arme%20belge/artisans%20identifies%20c/a%20cambier%20jehan%20gb.htm"である。おそらくこの人物が作中で出てきた「ジェハン」という名前のモデルであろう。
 The Artillery of the Dukes of Burgundyによれば彼は「よく知られたモンスの武器業者」("https://books.google.co.jp/books?id=UAL0SfuyUGQC" p223)であり、当時の記録にいくつも名前が出てくる人物だ。例えば1445年の記録には重量6万リーヴル(30トン弱)のボンバルド2門の製造、及び2万4000リーヴル(12トン弱)のボンバルドを供給した人物としてJehan Cambierの名が出てくる("http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k8549225/" p171)。ボンバルド以外にもヴグレールなどの製造業者としても名前が出てくるので、大砲全体を手掛けていたのは確かだろう。
 有名なモンス=メグは1449年に彼の工房で製造された("https://books.google.co.jp/books?id=UAL0SfuyUGQC" p262)が、それと形状がとても似ている大砲がヘントにあるDulle Griet"https://en.wikipedia.org/wiki/Dulle_Griet"だ。こちらも製造時期は15世紀中頃であり、やはりCambierによって製造されたと見られている(p266)。似た形状のボンバルドはバーゼルの博物館にもあり、こちらもまたCambierの作品とされる(p264)。
 アニメに出てくる「ボンバルデ」"http://livedoor.4.blogimg.jp/anico_bin/imgs/0/5/05e4665e.jpg"がこれら一連の大砲をモデルにしたものであるのは一目瞭然だ。だとすればこの大砲の製造者は、むしろJehanと呼ばれる人物でなければおかしいとも言える。

 最後の問題。ではJehanは当時「ジェハン」と発音したのかどうか。この当時、Jehanとつづる名前を持った人物が大勢いたことはこちら"https://fr.wikipedia.org/wiki/Jehan"を見ても分かる。この名は現代ではJean(ジャン)と書かれるようになっているが、元は聖書に出てくるヨハネという名に由来するものだから「h」の文字があるのは不思議ではない。ジャンヌ・ダルクについても彼女自身の署名"http://www.ruerude.com/2014/05/joan-of-arcs-sad-fate.html"はJehanneとなっている。
 だが中世末期のこの時期、フランス人は既にJehanを「ジャン」と発音していた可能性が高い。フランス語はラテン語由来の言葉だが、実はローマ帝国内で話されていた「俗ラテン語」"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%97%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E8%AA%9E"の時代において既に「h」が発音されなくなっていたという。この変化がそのままフランス語に導入されたのであれば、中世末期のフランスにおいても「h」は発音されなかったと見るべきだろう。
 ではこの部分はフィクションならではの嘘だと見るべきか。そうとも言えない。ラテン系の言語が母語だった人物ならおかしいが、例えばゲルマン系の言語(ドイツ語やオランダ語)なら今でも「h」を発音する。それらの言葉を母語としている人物がフランス語で話そうとした際につい無意識に「h」を発音してしまったと考えるなら、あの描写もあり得ることになる。
 そんな人物が当時のフランス(ノルマンディー付近?)にいたかどうか。可能性はある。例えばあの大砲がブルゴーニュ公の肝いりで送られてきたものだとしたら、彼の支配地のうちゲルマン系の言語を使っていた地域の出身者も一緒に送り込まれていた可能性がある。ホラント伯領"https://en.wikipedia.org/wiki/County_of_Holland"やブラバント公領"https://en.wikipedia.org/wiki/Duchy_of_Brabant"は1430年代にはブルゴーニュ公のものになっていたし、ルクセンブルク伯領"https://en.wikipedia.org/wiki/County_of_Luxemburg"も1443年にはブルゴーニュ公の手にわたっていた。

 ちなみに、砲兵親方が「サント=バルブのご加護を」と言っていたのは、もちろん大砲の守護聖人である聖バルバラのことだろう"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56006047.html"。大砲の発射過程の描き方も含め、実はかなりマニアックな描写に溢れた作品であることが分かる。
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