伝令

 前回の続き。

 Andrew Uffindellは"The Eagle's Last Triumph"の中で、フランス第1軍団が遊軍と化した要因について詳しく調べている。中でもナポレオンからの鉛筆書きの命令文を第1軍団に伝えた伝令が誰であったかの分析が中心だ。もっとも彼の主張は基本的にHenry Houssayeと同じ。脚注で紹介されている一次史料の充実度でもHoussayeの方が勝っており、Uffindellの本だけでは十分に理解するのは難しそう。という訳で、以下では様々な文献を参考にしながら、とりあえず伝令の送り方を調べてみよう。
 まずHoussaye。"Napoleon and the Campaign of 1815"第2部第3章の脚注では、16日にナポレオンがネイに向けて送った命令の内訳が載っている。その中に「7番目、直前のものの複製、3時半」(p357)という文章がある。ナポレオンは6番目に送った命令(午後3時15分)の複製を、3時半にもまた送り出したという訳だ。少なくともHoussayeは、ナポレオンが複数の伝令を出していた事例があったと解釈している。
 問題はその複数の命令を出した人物が、ベルティエでなくスールトだったこと。一般に言われている話とは違うのだが、だからといって看過できない。何しろ実際に命令の複製を送るよう命じられた人物の証言もあるのだ。司令部に所属していたボーデュ大佐はスールトに呼び出され、ナポレオンから「ネイにこの命令の複製を運ぶように。彼は疑いなくそれを受け取り済みだろうが」と言われたそうだ(p353)。既に送った命令を念のためにもう一度、別の人間に託して送ることがスールト参謀長の下で行われていた、とボーデュは証言しているのである。
 Uffindellも同様にスールトが16日に複製した命令を送ったと指摘している。一つは午後3時半に出された命令。「午後3時半、スールト参謀長はもう一人の士官、ローラン大佐を午後3時15分の命令の複製と伴にネイへと送り出した」(p154)。Uffindellはこれ以外にボーデュも複製命令をネイへ届けたと認識しており、「ボーデュは皇帝からデルロンへの直接命令の複製を[ネイ]元帥に手渡した」(p148)とも記している。
 何より注目すべきなのは159ページの脚注に書かれている話だろう。「複製した命令が送り出されるのは普通のことだった。ある時ナポレオンは、彼の前の参謀長だった頼りになるベルティエは複写した20通のメッセージを送り出しただろうと冗談を言った」。
 残念ながらUffindellが何を論拠にしているのかまでは分からないが、「ベルティエが(1ダースではなく)20通の伝令を送り出した」という話はどうやらただのジョークだったらしい。もしこれがきちんとした根拠のある指摘だとしたら、ベルティエの「1ダースの伝令」はいくら追求しても見つからない可能性が高い。

 他に使える本はないだろうか。一つ参考になりそうなのが、Vacheeの"Napoleon at Work"だ。題名の通りナポレオンの仕事のやり方について記した本の中には、ベルティエがどのように参謀業務をこなしていたかも書かれている。そして、そこには複数の伝令を出していたという具体的な記述は(ざっと読んだ限りでは)見当たらない。むしろ、伝令は極めて限られた数しか出していないと解釈できる文章の方が目立つのだ。
 一つは1806年10月12日にベルティエがネイに出した命令書。その最後に「命令は午前3時15分に出発した幕僚士官のトマ氏によって運ばれた」(p53)との文章が記している。もしこの命令書が複数の伝令によって運ばれたのなら、たった一人だけの名前が載っているのはおかしいだろう。
 一般的な仕事の進め方について記した部分も、多数の伝令を出すのが難しい状況にあったことを窺わせる内容になっている。Vacheeによればナポレオンは伝言を副官と幕僚士官が運ぶようにしろと命令したようだが、一方でベルティエの副官の数は極めて限られていた。1805年戦役ではたった6人、1807年戦役でも13人。しかもそのうち特定の日に業務に就いていたのは二人だけだったとか(p130)。多数の命令書を送り出そうとするなら、あちこちから士官をかき集めなければならなかった可能性がある。
 ベルティエが(内容が同じ)複数の命令を出していた具体例は現時点で見つけられていないが、ベルティエ経由で命令を出した後でナポレオンが個人的な手紙を部下に出していた事例はあったようだ。両者の内容が一致していれば、これは複写命令を送ったのと同じ効果を持つ。ただ、実際には二つの命令文が違っていたこともあり、部下が混乱して明確な命令を求める事例もあった(p62)。こうなると複数の命令は却って混乱の元である。

 以上、HoussayeとUffindell、Vacheeを調べてみたが、ベルティエが慎重を期して複数の命令を出していた具体例は発見できなかった。そういう行動は珍しくないとの指摘もあったが、その場合はベルティエだけでなくスールトも同じことをしている。とりあえず、ここまで調べた範囲ではベルティエによる「1ダースの伝令」はUffindellの言う通りジョークである可能性が高そうだ。

スポンサーサイト



コメント

No title

シェヘラザード
ただのジョークだった可能性もあるのですね。「ベルティエと1ダースの伝令」は、あちこちで見かけるわりには典拠がわからず、ずっと不審に思っていました。「悪貨は良貨を駆逐する」ではないですが、わかりやすくて面白い情報はそうでないものを駆逐するのかもしれません。ワーテルローでのスールト批判には政治的な背景もありそうですし、無能の一言で済ますのはいささか乱暴でしょうね。

No title

desaixjp
本当はナポレオンがいつどこでどのような文脈でその台詞を言ったかを確認する必要があると思いますが、そのためにはせめて正確な文言が知りたいところです。あと、ご指摘の通り面白い情報ほど典拠不明のまま広く伝えられるのは確かですね。ワーテルローでウェリントンが言ったとされる「夜かプロイセンか」という台詞も、私はその典拠を見たことがありません。
非公開コメント

トラックバック