反対命令説 下

 前回はLa Fausse Manoeuvre de d'Erlon le 16 juin 1815"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k1217597"に載っている「ネイが反対命令を出した」説の論拠を簡単に紹介した。結論から言うと、客観的な論拠、つまり当事者が書いた古い史料ではなく、筆者の主観に基づいて価値を決めた史料及び筆者自身の推測というか憶測に根拠を置いた主張である。正直、読むだけ時間の無駄だった。
 そもそも前提として、ナポレオン自身がデルロンに直接方向転換を命じたことになっているのが問題である。de Witの言う「信頼できない」史料群を除けば、ナポレオンが自らデルロンに命令を出した証拠はない。いやむしろナポレオン自身は、常にデルロンの行動を謎だと認識していた。彼はセント=ヘレナで「この縦隊の機動は不可解に見える」("https://books.google.co.jp/books?id=D3xSAAAAcAAJ" p85)と述べているのだが、自分で呼び寄せたのだとしたら果たしてそんなことを言うだろうか。
 デルロン軍団が現れた時にフランス軍が敵だと認識してパニックになったこと、また味方であると判明した後も彼らをまったく攻撃に利用しようとしなかったことも、ナポレオン自身がデルロンの動きを知らなかったためと考える方が辻褄が合う。実際、ナポレオンはグールゴーに対し「第1軍団の移動は説明が難しい」("https://books.google.co.jp/books?id=M9a0OB8PupUC" p66)と述べ、色々と推測を述べている。ナポレオン自身が説明に苦慮していた移動が、彼の命令下で行われたと考えるのはどう見てもおかしい。「ナポレオン自身よりも親ナポレオンになる必要はない」("http://www.waterloo-campaign.nl/june16/derlon.2.pdf" p3)のに、Fausse Manoeuvreをはじめそうなっている人間が多いという不思議な状況が存在する。

 Fausse Manoeuvreの筆者は「ナポレオンの命令による方向転換」を当然の前提としているため、なぜこの説が成り立つと思っているのかを確認することはできない。あくまで想像するしか手はないのだが、もしかしたらいくつもある二次史料だけでなく、ある「一次史料」が彼らにそう思い込ませる効果を持っていたのかもしれない。
 それは6月17日の朝にスールトがネイに宛てて記したとされる文章だ。おそらく初出は1840年にネイの子孫が出版したDocuments inédits sur la Campagne de 1815."https://books.google.co.jp/books?id=n0QFAAAAIAAJ"。同書に掲載されている文章の中には「もしデルロン伯が、皇帝が命じたようにサン=タマンへの移動を実行していれば、プロイセン軍は完全に破壊され我々は約3万人の捕虜を得ていただろう」(p46)という文言が載っている。
 初出の時期が遅いのが気になるところだが、一方でグルーシーの回想録"https://archive.org/details/mmoiresdumarcha02grougoog"に同じ17日にスールトがダヴ―に宛てて書いた手紙が掲載されており、その中に「デルロン伯は間違った方に向かってしまい、もし皇帝の指示した移動命令を彼が実行していれば、プロイセン軍は完全に敗れただろう」という似た文言がある。この手紙に対しては19日にダヴ―が返答を書いている("http://www.waterloo-campaign.nl/bestanden/files/june17/NAPOLEON.pdf" p18)そうなので、おそらく信頼できる史料だし、そうだとすれば言い回しが似ているネイへの手紙も信頼度はそれなりに高くなる。
 重要なのはこのネイへの手紙に「皇帝が命じたサン=タマンへの移動」という文言があることだ。デルロンがキャトル=ブラへの行軍から逸れて向かった先はサン=タマンとブリーだと言われており、ここに皇帝がサン=タマンへの移動を命じたとあることから「デルロンの進軍先を変えたのは皇帝だ」という理屈が成り立ったのだと思う。この史料に他の二次史料や回想録などの補強材料が加わり、ナポレオンがデルロンの方向転換を命じたという説が広まったのだと考えられる。
 だがそれは違う、と指摘したのがde Wit。彼は16日に帝国司令部からネイに宛てて出された一連の命令を並べ、この「皇帝が命じたサン=タマンへの移動」があくまでキャトル=ブラを経由したものであることを示した"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54687612.html"。確かにナポレオンはまず16日午後2時に「正面の敵」を「激しく押した後」で、リニーにいる敵を「包囲するのに貢献すべく戻ってくる」ことを求め、続いて3時15分に「皇帝が命じたように動くことを躊躇わず」「ブリー高地とサン=タマンへ向かえ」と話している。
 17日のネイに対する手紙だけ見れば、ナポレオンが直接デルロンに方向転換を命じたにもかかわらずネイが反対命令を出したせいで決定的な勝利を得られなかったと批判しているようにも見える。だがそう解釈してしまうと、ナポレオンが後々に至るまでデルロンの移動を「不可解」「説明が難しい」と評していた事実との間に矛盾が生じる。そうではなく、ナポレオンは最初からキャトル=ブラ経由でサン=タマンへ向かうようネイに要請し続けており、「例えばデルロンをそのように動かしていれば決定的な勝利が得られたはずだったのに」と文句をつけたと考えれば、この矛盾は回避できる。
 要するにフランスにおける「伝統ある」反対命令説は、その根っこにある矛盾に目をつむった主張なのだ。Fausse Manoeuvreの筆者の理屈によれば、ナポレオンの命令を覆せるのはより明確な命令しかなく、それを出せるのはネイしかいないことになる。でもナポレオンがそんな命令を出していなければ、Uターンのためにネイの命令が必要だという理屈も成立しなくなる。デルロンが自分の判断で方向を変え、さらに自分の判断でUターンを決めたというde Witの説でも問題なく事態が説明できるのだ。信頼できる一次史料と最も矛盾が少ない説を選ぶなら、Fausse Manoeuvreよりde Witを採用すべきだろう。

 ではなぜFausse Manoeuvreの筆者はこんな矛盾だらけの説を擁護したのだろうか。おそらくナショナリズムが背景にあったと思われる。この文章が書かれたのは第一次大戦直前、ナショナリズムが最も猖獗を極めた時期だ。特に軍隊という組織ではその影響は大きかったようで、その一例と言える話がこちら"http://militarywardiplomacy.blogspot.jp/2017/09/blog-post_16.html"にもある。日露戦争後のロシア参謀大学校における事例だ。
 彼らは日露戦争の経験を経て従来の学説の実証的な妥当性を再検討すべきだったが、実際には「ロシア軍の伝統的思考」を疑おうとせずほとんど見解を変えなかったという。もちろん中には白兵より火力を重視すべきだと主張した人物もいたそうだが、彼は「ピョートルやスヴォーロフのような偉人の軍事思想の価値」を軽視しているわけではないと言い訳しながら自分の説を主張しなければならなかった。それでも彼は「伝統的思考」に安住しなかっただけ、研究者としては誠実だったのかもしれない。
 残念ながらFausse Manoeuvreの筆者は、そこまで学問的に誠実な人間ではなかったのではないか。そもそもこの文章もフランス軍の参謀本部が出している雑誌に載せたものであり、軍の意向を完全に無視して書くことができる類の文章ではなかった可能性がある。むしろ軍主流派に媚を売るような書き方をした方が覚えがめでたく、組織の中でいい地位を得るためには適切な対応だったのかもしれない。だとすればナショナリズムの時代においてフランス国内でも軍内でも人気が高かったであろうナポレオンの無謬性を高める「ナポレオンよりも親ナポレオン」な文章にする方が妥当である。
 伝統的な説に異論を唱えたのが、外国人であるイタリア軍の将軍だったのも象徴的と言える。Pollioにとってナポレオンもワーテルローも、所詮は異国の出来事にすぎない。だからこそ逆に客観的に見て判断することもできる。ネイの「反対命令説」を揺るがす史料が新たに見つかれば、その事実を客観的に指摘できるし、そうすることで何らかの反作用を被る懸念もない。イタリアでなら「親ナポレオン」でなくてもダメージは少なかっただろう。
 ここではナショナリズムは現実から目を逸らす装置として機能している。ロシアは第一次大戦でその咎めを受けることになったし、エラン・ヴィタールに力点を置いたフランスは国家の崩壊直前まで追い詰められたという。ホモ・サピエンスは協力することで繁栄を遂げていた生物であり、協力を引き出すための理念が大きな力を持つことは否定できないが、だからといって理念を優先して現実を否定するようになってしまうと大きな反動を受ける。その兆しが1910年に書かれたこの記事の中に既に表れていたのかもしれない。
 21世紀の現在においてナポレオン戦争は歴史の彼方の出来事だ。だからたとえフランス人であっても1910年よりは客観的に判断できるようになっているだろう。でももっと新しい戦争については、誰もが客観的事実より主観的理念に引きずられるリスクを抱えている。歴史がなかなか科学にならない理由の一つがここにある。
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