sheherazadeさんが大デュマの"Le Capitaine Richard"を翻訳し、電子書店で出版するらしい"http://blog.livedoor.jp/sheherazade/archives/50922692.html"。1809年戦役や1812年戦役を舞台とした小説とのこと。そういえば大デュマの父親であるデュマ将軍の活躍話として、ナポレオンのイタリア遠征時にたった一人で橋の上に立ち、襲い掛かってきたオーストリア軍を蹴散らしたという話がある。これについて、論拠になっているのが大デュマの記した回想録だけなので信用に値しないと指摘している人がいた。本当のところは分からないが。
話を戻してLe Capitaine Richardだが、ネット上に英訳したものが見つかった"http://www.cadytech.com/dumas/stories/the_twin_lieutenants.php"ので第三章だけ斜め読みしてみた。で、発見した「史実との違い」が三ヶ所。もっと詳しく調べればさらに違いが見つかるかもしれないが、とりあえずこの3つについて大雑把にチェックしてみよう。
一つはナポレオンがドナウヴェルトに到着した時、ベルティエが彼を待っていたという部分。大デュマはナポレオンに「ボンジュール」と呼びかけさせているが、実際にはそんなことはなかった。この時、ベルティエはアウグスブルクへ出かけていてドナウヴェルトの司令部には不在だったのである(Petre "Napoleon and the Archduke Charles" p91など)。仕方なくナポレオンは司令部に残された命令書を参考にしながら事態の把握に努めたそうだ。
大デュマは史実を取り入れて話がまどろっこしくなるのを嫌ったのかもしれない。一方、ベルティエがいないことで不機嫌になるナポレオンなどを描いて彼の暴君ぶりを示す手もある。これまた事実かどうかは不明だが、まだ体罰が残っていた時代の軍人らしくナポレオンも手が早かったそうで、時にはベルティエの頭髪を掴んで頭を壁に叩きつけることもあったとか。正直、親しくおつきあいしたい人物ではない。
二番目の「史実との違い」は、ランズフートで最初にオーストリア軍と戦ったバイエルン軍の師団を「デュロック師団」としているところだ。もちろんこんなところでデュロックが師団を率いている訳がない。当時、バイエルン師団を指揮していたのはマンハイム生まれのドゥロワ将軍"http://www.histoire-empire.org/persos/deroy/deroy.htm"。先祖はピカルディー出身なのでフランス語風に読んでも問題ないだろう。ただし、大デュマではなく英訳者が勘違いしてDeroyをDurocにしてしまった可能性もある。
最後の問題点は、サチーレという地名が出てくること。サチーレの戦いは1809年4月16日"http://www.napoleon-series.org/military/listings/c_austria.html"、そしてナポレオンがドナウヴェルトに到着したのは翌17日だ。たった1日でイタリアから南ドイツまで駆け抜けるのは人間の伝令には不可能。ここは明らかに大デュマが小説的面白さを優先した部分である。久方ぶりの出会いを演出するため、史実を少しばかり変えたわけだ。
なおsheherazadeさんはナポレオンの伝令についても記している"http://blog.livedoor.jp/sheherazade/archives/50920652.html"。ちょうど今読んでいたAndrew Uffindellの"The Eagle's Last Triumph"に、1815年6月16日にナポレオンが出した伝令についての詳しい分析が載っていたので、近いうちにそれについて書くことにしよう。
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2007/03/29 URL 編集
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