まず最古のものはMilemeteに描かれたPot-de-ferであり、その実物がロスフルトガンである、というのが筆者の主張。Milemeteの図ではもっと大きなサイズに見えるが、中世の画家は重要なものを大きく描く傾向があったため、実態は長さ30センチのロスフルトガン程度だったと思われる。あとロスフルトガンの特徴としてはタッチホールが上方の後尾近くにあり、くぼみや囲いのない小さな円形であること、そして銃口に「平らな縁」があることだという。
興味深いことにこの変化は中国で起きた手把銅銃の小口径化から少し遅れて生じている。中国では元代にやはり直径3センチほどの銃がいくつか存在したが、明の時代である1370年代以降は1.5センチ前後が標準になる("
https://books.google.co.jp/books?id=hNcZJ35dIyUC" p290-292)。西欧ではもしかしたら弾丸が石から鉛に変わるという現象があったのではないかと思われるが中国がどうだったかは不明。また銃砲のように小口径化の流れが中国から西欧へ伝わったものであるかどうかは判断がつかない。
この1400年前後以降、ハンドゴンの銃身は細くなっただけでなく長くなっていったという。著者が知る限り最も古いソケットを持ったハンドゴン(銃身の後部に棒を取り付ける、乙女戦争によく描かれているタイプ)は1400-1410年のものだそうだ"
http://vikingsword.com/vb/showpost.php?p=165521&postcount=3"。このハンドゴンは長さ32.2センチの六角形で、後部に付けた棒を含めれば125.6センチ、外径3.9センチで口径は2センチ、タッチホールはソケットのすぐ前にあり、3.8ミリ×4.7ミリのサイズだ。銃についているフックは1430年頃に後付けされたものだという。
パッサウの博物館にあるハンドゴンはいくつかのタイプに分かれる。そのうち1460年代のものはスマートな八角形で、タッチホールは右上の角にあり、目立つマズルリングがついている。1481年に製造されたものになるとタッチホールが既に右側に動き、火皿の原型らしきものが現れている。銃口部はベルのような形状になっており、そして小さなフロントサイト(照星)まであるそうだ。
1530年になると銃口部分が八角形になるといった変化が生じているが、1540年代から50年代以降にはこうした青銅銃はあまり作られなくなっていったようだ。銃にしては大きく、三脚などの上にのせて使われることもあったというが、やがてもっと大型の大砲に役割を取られていったのかもしれない。16世紀半ば以降は、銃は鍛鉄、大砲は青銅という分類がほぼ確立していったように見える。
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