ハンドゴン史

 欧州におけるハンドゴンの歴史についてはこちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55649412.html"で簡単に紹介したが、こちらの掲示板"http://vikingsword.com/vb/showthread.php?t=18049"ではコレクターがより詳細な見分け方を紹介している。これを参照しながら大雑把なハンドゴンの歴史を見ていこう。

 まず最古のものはMilemeteに描かれたPot-de-ferであり、その実物がロスフルトガンである、というのが筆者の主張。Milemeteの図ではもっと大きなサイズに見えるが、中世の画家は重要なものを大きく描く傾向があったため、実態は長さ30センチのロスフルトガン程度だったと思われる。あとロスフルトガンの特徴としてはタッチホールが上方の後尾近くにあり、くぼみや囲いのない小さな円形であること、そして銃口に「平らな縁」があることだという。
 14世紀半ばのロスフルトガンの次に残されているものは1360-70年頃のものだという。1385年にポルトガルのアルジュバロータで行われた戦い"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Aljubarrota"の古戦場から発見されたものだが、この戦いにはポルトガルとカスティリアに加え、前者はイングランドが、後者はフランスなどが同盟国として参加していたそうなので、火器はそのあたりから持ち込まれた可能性もある。
 ここで見つかったハンドゴンは、青銅製だったロスフルトガンとは異なり、鍛鉄製だった。こちら"http://vikingsword.com/vb/showpost.php?p=165518&postcount=2"の一番上の写真左端に写っているのがそれで、長さは13.4センチ、外径は最大4.3センチ、タッチホールは円形ではなく2.5ミリ×3.6ミリの不定形で、後尾から1センチ前方に存在する。銃口は少し盛り上がっている。
 14世紀末になるとハンドゴンの外側が六角形や八角形になったものが登場する。上に紹介した写真で言えば左から2~4番目のものと、一番奥にあるものなどがその事例と言える。タッチホールは引き続き円形で、銃身の上、後尾の近くにあり、比較的小さい。ただし、別の人物のコレクションには似たような形状でありながらタッチホールの位置がかなり前の方にあるものも存在する"http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=10578"そうで、簡単に判断はできない。
 ここまで紹介してきたものは、いずれもハンドゴンとしては口径が大きかった。筆者は別のスレッド"http://vikingsword.com/vb/showthread.php?t=19127"で1400年頃以前の口径は30~35ミリだったと指摘、それが15世紀にはいると20ミリへと縮小したことを指摘している。実際には1400-02年のものと思われる出土品に11~13ミリの鉛製clod shot"http://vikingsword.com/vb/showthread.php?t=13586"が見つかったそうなので、もう少し前から小口径のハンドゴンが生まれていたのかもしれない。
 興味深いことにこの変化は中国で起きた手把銅銃の小口径化から少し遅れて生じている。中国では元代にやはり直径3センチほどの銃がいくつか存在したが、明の時代である1370年代以降は1.5センチ前後が標準になる("https://books.google.co.jp/books?id=hNcZJ35dIyUC" p290-292)。西欧ではもしかしたら弾丸が石から鉛に変わるという現象があったのではないかと思われるが中国がどうだったかは不明。また銃砲のように小口径化の流れが中国から西欧へ伝わったものであるかどうかは判断がつかない。
 この1400年前後以降、ハンドゴンの銃身は細くなっただけでなく長くなっていったという。著者が知る限り最も古いソケットを持ったハンドゴン(銃身の後部に棒を取り付ける、乙女戦争によく描かれているタイプ)は1400-1410年のものだそうだ"http://vikingsword.com/vb/showpost.php?p=165521&postcount=3"。このハンドゴンは長さ32.2センチの六角形で、後部に付けた棒を含めれば125.6センチ、外径3.9センチで口径は2センチ、タッチホールはソケットのすぐ前にあり、3.8ミリ×4.7ミリのサイズだ。銃についているフックは1430年頃に後付けされたものだという。
 1430年頃になると最初からフックを溶接したタイプが登場する。この掲示板では例えばこちら"http://vikingsword.com/vb/showpost.php?p=165556&postcount=13"の2番目の写真や、こちら"http://vikingsword.com/vb/showpost.php?p=165560&postcount=17"の1番上に写っているもののうち銃口の盛り上がりがないものなどがこの頃に作られたそうだ。フス戦争でもこのタイプのハンドゴンが多かったようである。さらに15世紀後半から末にかけて、ハックブートの後尾に鉄製の柄がついたものが出てくるという。
 1460年頃から、それまで銃身の上部についていたタッチホールが右側へと移動する。八角形の銃身では右上の角に当たる部分にタッチホールが穿たれるようになる("http://www.vikingsword.com/vb/showpost.php?p=101492&postcount=5"の3番目の写真やこちら"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=48248&stc=1"参照)。また単に穴が開いていただけのタッチホールが大きなくぼみとなり、火皿のような形状になりつつある。こうした形状は15世紀末まで続き、1490-1500年には王冠に似た銃口も登場した"http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=7419"。
 照準器もまた、年代測定に使われるという。基本的に15世紀半ば以降に現れるものだが、こちら"http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=18046"の銃は1417年製のようで、もっと早い時期から照準器があった可能性はある。この時期の照準器はリアサイト(照門)で、タッチホールの背後にシールドがあり、そこの中央に溝が掘られているそうだ。
 パッサウの博物館にあるハンドゴンはいくつかのタイプに分かれる。そのうち1460年代のものはスマートな八角形で、タッチホールは右上の角にあり、目立つマズルリングがついている。1481年に製造されたものになるとタッチホールが既に右側に動き、火皿の原型らしきものが現れている。銃口部はベルのような形状になっており、そして小さなフロントサイト(照星)まであるそうだ。
 1490-1500年頃のものになるとタッチホールは直径1.5センチまで大きくなり、後の火皿の直接の先祖と言われている。火蓋が最初に採用されたのは同時期の青銅製の銃身だという。1530-40年頃になると銃身が130センチと大幅に長身化し、いかにも銃らしい形状になってくる。こちら"http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=17960"にはこの時期の銃の写真がある。拠点防御用に使われた銃のフックは、遅いものになると18世紀後半まで存在していたそうだ。

 青銅製の銃はまた違う流れをたどったらしい。有名なタンネンベルクガン("http://www.musketeer.ch/blackpowder/handgonne.html"のFig. 2)は出土場所との関連から14世紀のものとされているが、筆者は城を破棄した後に銃を落とした可能性があるとして製造時期を1440-50年と推定している。そしてこの形状のものは16世紀中ごろまで作られていたという。ただ筆者がレチェットの壁画("http://www.e-rara.ch/zut/doi/10.3931/e-rara-13414" 189)に出てくるタンネンベルクガンと似たハンドゴンについてどう評価しているのかは分からない。
 1480年頃までは八角形のものが中心で、装填しやすいよう銃口は広がっていた。1490年頃からは八角形と円形の2種類になり、照準器がつけられたほか火皿に火蓋が取り付けられるようになった。またこの頃からドイツでも最先端の製造拠点だったニュルンベルクでは、銃の太さを3段階(タンネンベルクガンでは2段階)で変更したハンドゴンが製造されるようになったという。さらに1512-15年には銃口部が長くなり、フロントサイトが取り付けられた"http://www.vikingsword.com/vb/showpost.php?p=91943&postcount=4"。
 1530年になると銃口部分が八角形になるといった変化が生じているが、1540年代から50年代以降にはこうした青銅銃はあまり作られなくなっていったようだ。銃にしては大きく、三脚などの上にのせて使われることもあったというが、やがてもっと大型の大砲に役割を取られていったのかもしれない。16世紀半ば以降は、銃は鍛鉄、大砲は青銅という分類がほぼ確立していったように見える。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック