しかし16世紀後半に流行ったホイールロックとマッチロックの組み合わせは、30年戦争の前になると戦場から姿を消していった。代わりに17世紀後半からフリントロックが登場すると、今度はフリントロックにマッチロックを組み合わせた武器が出てくるようになったという。新しいものに対する不安感から枯れた技術を持ち出そうとする人は昔からいたようだ。
まず、Merzの図にはロックプレートと呼ばれる金属製の板にまとめてマッチロックのメカニズムが組み込まれているのだが、こうした機構は1500年頃にならないと生まれてこなかった。他にこうした機構を描いたもので最も古いのは1516年のもので、しかもその図ではこの機構はネジではなく釘でストックに固定されているという。1520年代になってもなおサーペンタインを釘付けしているだけのマッチロックが存在していた。
またサーペンタインの支点に使われるピンに至っては、似たようなものが登場するのは1600年頃。バレルの側面にある火皿についている火蓋が登場するのは15世紀末だ。ほくちを止めるクランプ(締め具)の形状は1550年頃の火器まで下らないと見当たらない。つまり、Merzの図に描かれているものの多くは、他ではもっと遅い時代にならないと使われないものが多いのだ。Merzがこの本を書き始めたのは1475年だが、彼が死去したのは1501年。だからこの図が書かれたのは15世紀末頃ではないかと、この筆者は推測している。
フリントと金属の摩擦で点火するという点ではホイールロックと似ているが、この銃は銃身内にフリントとこすり合わせるために金属の棒が入れられており、棒の後部はリング状となっている。このリングを思いっきり引っ張ることでフリントと金属が火花を発し、それが火薬に点火するという仕組みだ。筆者は銃の製造時期を1525-30年頃と見ており、この時期にホイールロック以外にも様々な点火法のアイデアが試されていたことが分かる。
火薬兵器の発展過程では、トンデモ兵器と呼べるものまで含めて様々な試行錯誤がなされたことは中国の歴史を見れば分かる。そして火薬兵器が割と完成度の高い状態で伝播したと言われる西欧でも、まだ改善の余地があった部分では様々なトライ&エラーが行われていたようだ。偽ブランド品ならぬ偽ホイールロックも含め、人間社会の営みはどこでもいつでも似たようなもの、と考えるべきかもしれない。
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