歴史と進化

 Peter Turchinが歴史学と文化進化(Cultural Evolution)"https://www.ai-gakkai.or.jp/my-bookmark_vol31-no6/"との連携について書いている"http://peterturchin.com/cliodynamica/history-cultural-evolution-natural-allies/"。両者は「自然な仲間」であり、それぞれが手を取り合っていく必要があるという主張だ。
 彼がその論拠としているのが、自然科学と博物学(Natural History)の間に存在した連携関係。フンボルトのような博物学者(naturalist)の存在なくして進化の理論はあり得なかった。博物学によって一般理論を支える経験的な内容物が整えられたのであり、何より生物学における進化論の祖であるダーウィンとウォレスはいずれもすばらしい博物学者でもあった。
 同じことが文化進化と歴史学との間にもあるはずだ、とTurchinは主張している。そのため、歴史家の持つ詳細なデータを集めたSeshat計画"http://seshatdatabank.info/"が動いているのであり、協力する歴史家と考古学者は100人近くに達しているという。Seshatが取り上げている「世界サンプル30」の中には日本の「Kansai」も含まれており"http://seshatdatabank.info/methods/world-sample-30/"、協力者の中には日本人らしい名前も含まれている。
 そうすることのメリットとして、もう一つTurchinが指摘しているのが実は「予算の確保」だ。どうやら米国でも実用的な利益に結びつく研究の方が優遇されるようで、「歴史や他の人文科学が酷い予算不足にあるのはそれが理由だ」。歴史家の方は「一般的な法則には興味を持たず、実際にはその多数が歴史にそのようなものがあることすら信じていない」のだが、だとすれば歴史を学んでも将来に役立つ知識は得られなくなる。それこそが予算を減らされる理由ということだろう。
 要するにTurchinはここで自分たちの研究予算を稼ぐために歴史学をだしに使っているとも言える。もちろん歴史学の側だってうまく連携すれば予算が増えるのだから協力した方がお互いWin-Winだろ、という理屈。「歴史家も進化論者も偶発性を愛している」といった言い回しも含めて歴史家を仲間につけ、予算獲得に向けた「自然な味方」を増やそうとしているとも言える。もちろんその結果として妥当性の高い理論が新たに生まれるのならそれ自体はいいことだ。

 興味深いのはTurchin自身、「とんでもない量の歴史を読み、それが私をよりよい理論家にしてくれた」と述べている部分だろう。理論を構築するためには経験的な事実の積み重ねを経由した方がいいというのは、ダーウィンがガラパゴスまで出かけてフィンチを観察し、そこから自然選択にたどり着いたことからも分かる。純粋に論理で構築される数学などを除けば、理論を打ち立てるうえで帰納的な方法は有効と言えそうだ。
 そう考えたときに思い出したのが、こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/52491763.html"で指摘した話。現代においてクラウゼヴィッツやジョミニを論じる人々が、彼らの時代の軍事史についてあまり詳しそうに見えないという問題だ。ジョミニやクラウゼヴィッツ自身は間違いなく自らの経験から帰納的に理論を編み上げていったのだろう。だが現代の理論家たちは当時の戦争を体験することはできない。それどころか日本にいれば現代の戦争だってほとんど体験できないだろう。
 ならばせめて歴史をもっと学ぶべきなんだろうけど、果たしてどこまでやっているのかというと何とも心許ない。少なくともナポレオン戦争やフランス革命戦争について、理論家はもっと学んだ方がいいのではないだろうか。戦争の様相が変わったのだからその必要はないと主張するなら、なぜクラウゼヴィッツやジョミニを取り上げるのかという問題が出てくる。彼らの理論が時代を超えた普遍性を持っているのであれば、同じように時代を超えた軍事史をきちんと学ぶ必要がある。どうも理論にかまけて事実をなおざりにしているように見えてしまうのだ。
 ただしその問題の原因は歴史の側にもあるかもしれない。軍事史については伝統的な説明がいつまでも残っている一方、新しい切り口による研究がなかなか広まっていない印象がある。軍事理論や現代の軍事についてはもちろん色々な発展があるのだが、「歴史」になってしまうとどうもマニア以外の関心が薄れてしまう。結果、古い説明がいつまでも残る。
 困ったことに、ナポレオン戦争後の19世紀~20世紀初頭は、実証的な歴史学の手法が必ずしも十分に確立されていない時期であった。その典型例がThiers("https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/857100.html"のコメント欄)だが、彼らが生み出した「伝説」「神話」がかなり広まった結果として、本来なら経験的な事実を学ぶはずの軍事史がゆがめられている。もちろん同時代にも優れた軍事史家はいたし、そうした人々はきちんと事実を踏まえた歴史をまとめているんだが、いかんせんそれらはマニアックな雑誌や書籍でしか読むことができず、広く一般に流布していない。
 理論を支えるべき歴史が砂上の楼閣であれば、そりゃ理論だってあやふやになるだろう。だから軍事理論を発展させたければ、進化論に博物学が貢献したように、事実に力点を置いた軍事史を充実させることが必要になる。でも残念ながら歴史だけでは食っていくのが苦しいのが現代という時代だ。理論なら「これを知れば将来の役に立つ」という売り込みができるが、今では使われない兵器と使われない戦術が存在した時代の軍事史のために金を払うパトロンは、果たしてどのくらいいるだろうか。
 Turchinの取り組みは広く歴史一般を対象にしたものだが、この取り組みが上手くいけば歴史と歴史理論の双方にとって(予算的な意味で)プラスになるという期待がある。そうなれば歴史一般だけでなく、その恩恵が軍事史まで及ぶ可能性だって出てくるだろう。クラウゼヴィッツやジョミニの理論だけでなく、彼らの書いた歴史についての研究や分析が今よりも盛んになるかもしれないのだ。Turchinの奮闘に期待したい。
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