人口推計

 前の話("https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56464313.html"と"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56466581.html")のおこぼれ。まずイングランドの人口についてだが、17世紀の人口推移はこちら"http://www2.warwick.ac.uk/fac/soc/economics/staff/sbroadberry/wp/britishgdplongrun8a.pdf"のp54にある。見ると1600年の411万人が1650年頃には531万人と半世紀で100万人以上急増しているが、1700年には520万人と足踏みが続いたことが分かる。Turchinはこの時期の永年サイクルにおける危機局面を1640-60年としており、人口が頭打ちになった時期と一致する。
 一方、中世末期のサイクルについてはこちら"https://www2.warwick.ac.uk/fac/soc/economics/staff/sbroadberry/wp/medievalpopulation7.pdf"のp22にデータがある。それを見るとピークは黒死病が広がる直前の1348年で、その時の人口は481万人となっている。一方Turchinはピークの時期を1300年前後、人口は600万人としており、違う推計に基づいている様子が窺える。
 もっと異なるものものある。1978年に書かれたこちらの本"http://www.arabgeographers.net/up/uploads/14299936761.pdf"に載っているイングランドとウエールズの人口推移(p43)を見ると、中世末期のピークが1350年頃にあるのはいいんだが、人口は375万人だ。そして1650年頃にはそもそも急成長と停滞という動きがなく、1500年頃から続く緩やかな成長の途中という位置づけになっている。
 以前、こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56191014.html"で調べてみたボヘミアはどうだろうか。p85にはチェコスロバキア全体の推計が載っているが、それによれば1300-1400年にかけて300万人から250万人へと人口が減ったことになっている。つまり想像したように、カレル4世の治世直後から人口が減っていたと見ているようだ。これまで紹介した他の統計と完全に一致しているわけではないが、大雑把な流れは似ている。
 東アジア諸国ではどうか。p181にあるグラフを見ると、江戸時代中期以降の停滞はきちんと描かれているが、鎌倉時代にあったとされる停滞が見当たらない。日本の研究者の推計"http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110907/283250/?P=2"では縄文末期、平安~鎌倉、江戸後半のそれぞれに人口減があったそうだが、こうした研究が反映されたのは割と最近なのだろう。
 朝鮮の場合、モンゴルに支配されていた13世紀に人口減があった後に、17世紀前半にもう一度人口減に見舞われている。後者はこちら"https://www.researchgate.net/figure/221771303_fig4_Figure-4-Population-growth-pattern-during-the-Joseon-dynasty-estimated-by-historical"のデータと一致しており、日本と女真族の侵攻があった時期に相当する。李氏朝鮮は500年ほど続いたが、その前半部分で1つの永年サイクルを形成していた可能性がある。
 中国はどうか。China Proper(p171)のグラフを見るとかなり派手に上下している。まずは後漢末期からの人口減。隋唐帝国時代になってようやく上向き、宋の時代にピークとなるがそれからは再び低下。そして明及び清でも同様に1つのサイクルが形成されている。他にはこんなグラフ"http://www.china-profile.com/data/fig_pop_0-2050.htm"もある。
 一方、東南アジアの動向についてはほとんどサイクルの見当たらないのっぺりと成長を続けるグラフが紹介されている(p190-203)。唯一、ビルマにおいて13世紀にちょっとしたピークが存在するだけだ。この時期はLiebermanによれば、確かに東南アジアのCharter Statesが崩壊へ向かっていた時期とされる。パガン朝は同時期にモンゴルとの戦争もあって滅亡に至っており、そうした流れを示したものだろう。
 だが同じようにこの時期混乱に見舞われていたタイやインドシナの人口グラフにはそうしたピークが存在しない。人口減がビルマだけに見られたというのはあまり説得力のあるグラフとは言えないだろう。

 もう一つ、エリートの凝集度と関連する話題だが、Peter Tuchinが米国の二大政党について、共和党が「上位1%のための」、民主党が「上位10%のための」政党であるとの話"http://peterturchin.com/cliodynamica/listen-liberal-part-ii/"を紹介している。トップ1%はエリートや富裕層、一方上位10%は専門家、テクノクラートたちだ。
 去年の選挙ではラストベルト地帯を中心に大衆層が民主党ではなく共和党側に転じたことがトランプ勝利の一因となった。その背景には、FDR以来、大衆の政党という立場にあったはずの民主党が、いつの間にか下位90%を切り捨てテクノクラートの政党になっていたことがある、という指摘だ。民主党はそれこそNAFTAのような仕組みを推進したエコノミストたちのための党になり、グローバル化によって職を失う大衆のことを忘れてしまったのだそうだ。
 NAFTAの後、2010年までにこの条約によって職を失った米国人は70万人に達した、という調査がある。民主党のコアとなる支持者たち、つまりテクノクラートにとって自由貿易はプラスに働いたのかもしれないが、残る90%は不満を募らせた。そこに、従来の共和党主流派とは異なる主張を掲げたトランプが登場してきたため、90%の支持がそちらに流れた。リベラルが大衆の支持を失い、代わりにポピュリストが台頭してきたという恰好だろう。
 個人的にはこの分析がどこまで正しいかは分からない。少なくとも今回の選挙に関して言えば民主党が負けたというよりクリントンの個人的な不人気ぶりが足を引っ張ったと見た方が実態に近いと思う。ただそのクリントンの人気のなさがワシントンのインサイダーに対する不信に由来するのだとすれば、民主党のエスタブリッシュメントはその事実を受け止めて対応を考える必要はあるだろう。
 むしろ興味深いのは、米国の亀裂が「上位1%」と「10%」の間に存在しているという指摘の方だ。上位10%(より正確には1~10%)の中には、エリート過剰生産の過程で「1%」に挑戦する対抗エリートになる候補者たちが含まれている。その面々と既存の1%とが対立する仕組みがビルトインされている政治体制においては、そりゃ危機が訪れる可能性は高いだろう。
 そう考えると今回の選挙で本当に重要だったのはトランプの当選よりもサンダースの躍進だったのかもしれない。トランプは「1%を支持する政党」が対抗エリートを擁立するという捩れによって生まれた存在だが、捩れがある分だけ体制側が彼を取り込む余地がある。だがサンダースは1%でない政党の、しかも反エスタブリッシュメントが担ぎ上げた候補者だ。その行動はそのまま既存の体制に対するより深刻な挑戦と見るべきなのかもしれない。
 もちろんこの分析自体が正しいかどうかという問題もある。Turchin自身はどうもグローバル化に反対し、孤立主義を好んでいる様子が窺える"https://twitter.com/Peter_Turchin/status/854750219954683904"だけに、この分析についてもグローバル化を進めた勢力に対する不信感が結論より先にあったかもしれない。永年サイクルという現象の分析はともかく、現在の米国政治に対する彼の見方については慎重に捉えておく方が安全だろう。

 一方日本ではこれまで指摘したように、エリート層がより分散している。ピケティが話題になったとき、日本の問題は1%より上位5%と下位90%にあるとの指摘があった"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55158707.html"のもその一例。江戸時代の武士が人口の10%を占めていたという話は、米国に存在するような1%と10%の対立構造が日本では曖昧になっているとも捉えられる。
 米国では1%がエリート・富裕層、10%はテクノクラート・専門家という具合に両者の色合いが完全に分かれ、いわば「文化の違う」状況になっている。だから対抗エリートと既存エリートが激しく対立するのだろう。だが日本では、実際にはトップ1%とトップ10%との格差が大きかったとしても、文化的には両者とも同じクラスターである「武士階級」に所属していた。トップ10%の収入は欧米のエリートたちのレベルに比べれば微々たるものだったとしても、彼らには「支配層の一翼」という地位が与えられている。
 対抗エリートと既存エリートの対立が歴史的な2大政党制に完全にビルトインされている米国、対抗エリートも含めて支配層に取り込んだうえで、1%と10%の双方が入り乱れた派閥を形成して「緩やかな内紛」を続ける日本。永年サイクルに生じている違いには、そうした歴史的な経緯が影響しているのかもしれない。
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