緩やかな内紛 下

 承前。何度も外から侵攻・支配されたイングランドと異なり、日本の場合は侵攻してきた例はあったが明確に支配された歴史はない。そのため外圧に対抗するための集権的な仕組みを採用しようというインセンティブは、イングランドに比べて低かったと思われる。またエリートを凝集するということは、エリートに入れない連中の排除に労力を注がなければならないことも意味する。「エリートワナビー」同士が妥協して権力を分け合うのに比べ、政治体制確立にかかるコストが増すのではないだろうか。
 隣国に侵攻される恐れがある場合、たとえコストがかかってもエリートの凝集と集権化を進めなければ生き残れないだろう。でもその懸念がないのならコストをかけてまでエリートを極端に凝集させる必要はない。むしろ「エリートワナビー」をうまく政治体制に取り込む方がコストパフォーマンスはいい。過酷な環境に置かれたグループの中では利他主義を極端まで進める必要が出てくるが、そうでないグループ内では利己主義をある程度残してもグループの生き残りは可能になる。それが日本風の政治体制ではないか。
 日本が「武を軽んじている」ように見えるのも、単に外部から危険が訪れるリスクが低かったからに過ぎない。何しろ武装は金がかかる。ただではない。コストと労力とそして必ず存在する内部からの批判を浴びながら軍事力を維持するのは、決して簡単な話ではない。だから平和ボケする。日本以外の東アジア諸国も、これまで中国の事例で紹介してきたように、欧州に比べれば歴史上平和な期間が長い。終わらない戦国時代を生き延びてきた欧州列強との争いで後れを取ったのは、相対的に平和だったかどうかという歴史的な条件の違いに過ぎない。
 中国では新しい王朝が始まった直後は武力に偏った君主がよく出てくる。明の永楽帝は3代目、清では中国をほぼ征服した3代目の順治帝から3代後の乾隆帝までは「十全武功」"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%A8%E6%AD%A6%E5%8A%9F"を通じて領土拡大に努めていた。でもそれぞれの王朝は後半に入ると武力に頼る度合いが減った。実のところこうした傾向は東アジアだけにあるのではない。上に紹介したポーランドやオスマン帝国は、いずれも領土を大きく拡大した後に平和ボケを起こしている。どの国であれ巨大化すれば中心部でアサビーヤが衰えるのは不思議ではない。

 こうした想定をすれば、日本で永年サイクルがうまく回っていない理由も想像できる。大陸諸国では永年サイクルの結果としてエリートワナビーが増えても、彼らとの間で権力を分け合うような仕組みは作れない。というか作ったら国が滅びる。だから危機局面になると限られた権力者の枠を巡ってエリートとエリートワナビーが争うことになる。その結果として政治体制が崩壊することもあるが、うまく危機・停滞局面を乗り切れば集権的な仕組みを残したまま新たな成長へと移行できる。
 一方、日本ではそもそも「エリートワナビー」や「エリートワナビーになりそうな層」を恒常的に権力の枠内に取り込む体制ができあがっている。だからサイクルの変化に合わせて分かりやすい危機が生じるのではなく、常に体制内での派閥争いが続くことになりやすい。分権的であっても国としての生き残りが可能ならば、無理に権力を集中させるより分散させることでエリート同士の対立がカタストロフに至らないようにする方が適切だったのだろう。
 小規模な地震が起きている時はエネルギーがたまりにくく、結果として大地震が起きにくいという。大陸諸国は派閥争いをしないよう押さえ込むことで普段は地震が起こさないようにしているが、時にたまったエネルギーが放出され大地震になる。日本は常に派閥争いをして小さな地震を起こすことで、体制が崩壊するような大地震を避けている。だから日本では分かりやすいサイクルが見つからない、のではなかろうか。
 上記の考察では「東王は剣を取らず 西王は天へ昇らず」と書いているが、天に昇ることで実体的な権力から離れるのは「東」の特徴ではなく平和が続いた国の特徴だ。権力が順調に回っている場合、無理にエリートワナビーを排除するのではなく取り込むことで体制の安定化を図ることは十分にあり得るだろう。もちろんその結果としてエリートが増えすぎれば派閥争いが起こり、緩い内紛に至る。そこにつけ込むことが可能な場所に隣国がいれば、これは亡国の危機だ。
 そこからさらに考えると、隣接する他国との抗争がなければ政治体制はどれも日本のように割と分権的になりやすい傾向を備えている可能性も想定できる。エリートの凝集はあくまで政治体生き残りのために必要だから行っているのであって、それを支えるアサビーヤは自然に生まれるものではない。政治体生き残りのリスクが少なければ、政治体のアサビーヤは日本程度にとどまるのが人間の本性だとも考えられるのだ。
 もちろんアサビーヤは時に上下する。明治政府が元老を通じて権力を凝集させられたのは、戦争に勝って生まれた政府だったからだろう。中国王朝の初期と同じだ。昭和になり権力の遠心化が進んでいったのも中国の王朝が時とともに平和ボケしていったのと同じ。元から日本人は国家や体制全体よりも自分たちの利己的なインセンティブを優先することが大陸諸国よりも多かったのであり、集権的な力を持つ政府が長期にわたって政策を主導する方がおかしかったのかもしれない。日本にアサビーヤがないわけではないだろうが、この列島がもたらす物理的な条件下におけるアサビーヤは大陸や大陸に近いイングランドのそれとは水準が違うと考えるべきではないだろうか。

 この「日本に明確なサイクルが見当たらない」説明を裏付けるには何が必要だろうか。まずはエリートとされる人の数が大陸諸国やイングランドより多いことを示す必要がある。もっと様々な時代、様々な国を対象にこのデータを調べる必要がありそうだ。また権力の集権度合いがどうであったかを比較する必要もある。君主が持つ性格の違いは傍証にはなりそうだが、定量的に見ることのできる指標とは言いがたい。
 帝国中心部、即ち安全な地域でアサビーヤが衰退するという説についてはPeter Turchinが説明している。だから日本と似たような状況にあった国を探し出すのは難しくはない(ポーランドやオスマン帝国は分権化が進んだ例になる)。ただ多くの場合、分権化が進むのは物理的な安全が理由ではなく、それこそ平和を謳歌する帝国中心部のようにその時の政治環境がもたらすものである。日本のように物理的要因で長期にわたって平和ボケを維持できた国は、あまり例がないかもしれない。
 できれば日本同様、孤立して外部からの攻撃を受けにくかった政治体制を探しだし、その政治体制下におけるエリート動向を調べることが望ましいだろう。ただしそうした条件に当てはまり、かつ歴史的な証拠が十分に残されている事例を探すのは難しそうだ。Charter Stateを成立させられるだけユーラシアのコア地域から影響を受け、かつ物理的な侵攻からかなり安全に守られていた地域となると、正直この列島以外はあまり思い浮かばない。
 もしあるとしたら、日本同様に危険から孤立しているアメリカなどはその事例になり得る可能性がある。だが残念ながらUSAの歴史はやっと永年サイクルが2回転目に入ったところであり、日本ほど長期にわたる孤立と安全の歴史を抱えているわけではない。そもそも合衆国自体は他地域からやってきた植民者が作った国であり、自立的な政治体制でないため、そのエリート文化は日本よりも一般的な西欧列強と似ている。
 それに日本の事例もあまり特殊視すべきではないかもしれない。エリートの凝集度にせよ、緩やかな内紛にせよ、あくまで程度の問題と捉えられる。永年サイクルまでがぼやけてしまうほど物理的な安全が確保された地域があまりないという点では確かに特殊に見えるが、だからと言って西欧や中国で働いてきた構造的なメカニズムが日本には存在しなかったとまで言うのは間違っているように思う。
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