ルイスはNBAチームでGMを務めている人物の話を本の冒頭に紹介している。その中に、同チームに所属する選手を巡るトレード話が出てくる。彼らは当初、その選手をトレードすることに乗り気でなかったが、改めて分析すると「自分たちのチームに所属しているという事実が、彼についての判断を歪めていた」(p42)ことに気づいた。自分が保有するものについて、その正当な価値より高く評価してしまう「保有効果」に捕らわれていたわけだ。
チーム別の表を見ると最初に載っているのがSnaps Lost。これは16シーズンの当該チーム全スナップにおいてプレイに参加した選手を調べ、彼らのうち何%が17シーズンにはチームを去っているかをまとめたものだ。ChiefsやSteelersなどの数値が極めて少ない、つまり彼らの選手の入れ替わりが少ないのに対し、49ersやBillsでは全スナップの3分の1以上がチームを去っていることが分かる。
しかしこの数字を単独で見ても保有効果は分からない。もう一つの数値、即ちQuality Snaps Lostと比較することでこの効果が浮かび上がってくる。この数値は失われたスナップ数のうち、実際に他チームのロースターに名を連ねた者、即ち市場で値段がついて売れた者のみを数えたものである。ということは、最初の数値との差は「チームから放出された後に他チームに拾われなかった選手」のスナップ数になるわけで、そうした選手たちは「保有チームからは高く評価されていたものの、実際の価値はそれより低かった者たち」となる。
このデータで測ると「保有効果」が最も大きかったのはJetsだ。Snaps Lostが34.1%に達しているのに対し、Quality Snaps Lostはたったの5.4%。実際はその後にDavid HarrisがPatriotsに拾われているので後者の数字はもう少し高くなるが、最大でも22分の1つまり4.5%にしかならないため、24%以上のスナップ数が「保有効果」によるものであったことは間違いない。16シーズンのJetsは、スナップ数の約4分の1を他チームが欲しがらない選手たちで埋め合わせていたことになる。
Jetsが今オフにベテランを容赦なく切っていったのはよく知られている。問題は切られたベテランたちが次の仕事先を見つけられないこと。チームがFA市場で評価されない選手たちを後生大事に抱えていたことが明らかになった格好だ。保有効果に惑わされ、本当はそれだけの価値がない選手に余計なサラリーを払っていたわけで、今オフの行動はタンキングというより「重荷を投げ捨てているだけ」というのがOver The Capの評価だ。
他にも人間には様々なヒューリスティックがある。もしAIに何らかの効用があるとしたら、それはAIがヒューリスティックに捕らわれない判断をする部分かもしれない。ただしヒューリスティックが働きやすい局面というのは、何が最適解なのかが分かりにくい場面でもある。AIであれ何であれ、最適解を導くにはそれを得るためのデータを与える必要があるが、そもそも手元にあるデータが最適解を得るのに適当なデータである保証はない。
これまたルイスの本ではNBAでの実例が紹介されている。大学時代のデータを集めても選手の活躍を完全に予想することはできない。そのためGMは色々と苦労して、例えば最初の2歩のすばやさといったデータまで集め始めるようになった。こうしたデータはどこかに転がっているものではなく、意図的に手に入れようとしなければならないものだ。でもそのデータが役に立つという保証がない状態で、どうやって手に入れるべきデータを決めればいいのだろうか。
囲碁将棋といった明白なルールの決まった状況であれば、AIを使って最適解を手に入れるためのデータを見つけ出すこともできなくはないだろう。実際にはそれでさえ人間のヒューリスティックで見つけることはできず、機械学習というアルゴリズムを活用する必要があったのだが、機械学習を進めるうえで必要なデータが何であるかを考えるところから始める必要はおそらくなかった。でもAIをもっと実際的に役立つものにしたければ、その際には「必要なデータは何であり、それはどうやって手に入れるのか」という問題が立ちはだかってきそうな気がする。
というわけで、ヒューリスティックに関する知識が増えたからと言って人間が今すぐヒューリスティックから自由になれるとは思えない。たとえAIの発展が期待されるとしても、では全ての判断をAIに任せた方が人間よりましだと確実に言えるようになるには、まだ乗り越えなければならない問題がありそう。もちろんそれでも我々が前に進んでいるのは確かなんだろうが、前途はまだ茫漠たるものだ。
コメント
No title
『重箱の隅』的な感想で恐縮ですが、あのPatsから放出された選手だからという、バイアスも多少はあるのではないでしょうか?
Pats/Belichickブランドなら大丈夫じゃない??と言う「近似ショートカット」が働いて・・・どうでしょう?
2017/08/28 URL 編集
No title
具体的なデータがあるわけではないのですが、ご指摘のような面は確かにあると思います。
一方でPatsの獲得する選手の方は、優勝してリングを手に入れたいという目的から比較的安く契約する人もいるようです(Revisなど)。
一度「強豪」という評価を手に入れればチーム作りにまで利益が及ぶのだとすれば、実においしい(他チームにとっては不公平な)話ではあります。
2017/08/28 URL 編集