口径長の歴史 下

 長砲身化が進んだ16世紀においても、前に紹介したこちらの文献"http://www.staugustinelighthouse.org/LAMP/Conservation/Meide2002_Bronze.pdf"にあるようにペリエやモーターのように口径長の短い大砲は存在した。口径長が伸びたのは、主にカルヴァリン砲に代表される通常で32~34倍、長いものだと40倍以上に達した砲兵が登場したのが一因だ。欧州では確かに「古典的大砲」と呼ばれる口径長の長い大砲が広まっていたことが分かる。
 それが17世紀以降に再び短くなっていったのはなぜか。こちら"https://books.google.co.jp/books?id=tUpAAAAAYAAJ"のp201に面白い話が紹介されている。こちら"http://www.napoleon-series.org/military/OrdnanceJournal/Issue3/c_tableofcontents.html"のAustrian 15th to 19th Century Artilleryに翻訳が載っているのだが、それによると長砲身化が逆流を始めたのは「偶然の発見」のためだという。
 フィリップスブルク攻囲の際に、オーストリアの大砲3門の砲口が損傷を受けた。帝国大尉だったヴィスコツィルは壊れた砲口部分を切り落とし、重心バランスを取るため新たな砲口にリングを嵌めた。誰もが驚いたことに、切り詰めた大砲の射程はそれ以前より長くなっており、城壁の頂点に当てるため200歩の地点から狙う必要があったという。「かくしてより短い砲身の時代が始まった」という。
 このフィリップスブルク攻囲が何年のものであるかについては、元の文献には書かれていない。英訳の方では1734年と想定しているが、これまでも書いてきた通り、実際は17世紀の頃から口径長が短くなる傾向があった。フィリップスブルク攻囲に絡んでこうした逸話が存在した可能性はあるが、それが短砲身化のきっかけになったかどうかまでは分からない。
 そもそも、本当に短い方が射程が伸びるかどうか、私にはよくわからない。もともと長砲身化が進んだのは、火薬が燃焼しきったところで砲弾が砲口を離れるようにするためだったという。つまりぎりぎりまで砲弾を加速するのが狙いなわけで、そのため砲身が長くなるほど射程も伸び、正確性も増すと考えられていた。
 でも実際には空気抵抗の問題などがあり、必ずしも砲身の長さに比例して射程が伸びるとは限らなかったようだ。物理的な原理は正直よく分からないが、例えばこちら"http://www11.plala.or.jp/guutara/html/kyousitu/homeroom/kounaidandougaku.htm"には、弾丸の速度が銃口に達するよりも前に最大値に達し、その後は微妙に下がっている様子を描いたグラフがある。また銃口から出た後"http://www11.plala.or.jp/guutara/html/kyousitu/homeroom/kougaidandougaku.htm"には空気抵抗で速度が落ちるのだが、球形の砲弾は空気抵抗を考えた構造にはなっていない。
 Benjamin Robinsが記したNew Principles of Gunnery"https://books.google.co.jp/books?id=SN5eAAAAcAAJ"の中には、彼が実験で得られた結果として「同口径だが長さの異なる大砲を撃つと、しばしば短い大砲の射程が長いものを超える」(p261)事例が紹介されている。砲身の短いほうが射程が長くなったというフィリップスブルクの現象と同じだ。17世紀になって口径長が短くなっているということは、砲身を長くすることが必ずしもいい結果を生み出すとは限らないことに現場が経験的に気づいていた可能性を示す。
 加えて長い砲身は重量増というデメリットを生み出す。こちら"http://www.napoleon-series.org/military/OrdnanceJournal/Issue4/SOJ_4-2a_Calibres_des_France.pdf"に載っている16世紀の7ポンド砲(口径長28倍)は大砲自体の重量が1200キログラムあったが、17世紀の8ポンド砲(23倍)は895キログラムまで軽量化が進んでいる。そして18世紀のグリヴォーバル式8ポンド砲"http://www.napoleon-series.org/military/OrdnanceJournal/Issue7/SOJ-07_Part3_Weights.pdf"(17.4倍)の重量は580.5キログラムだ。
 軽量化を気にしなくていいのは要塞防衛用の大砲くらいだろう。野戦用の大砲は当然、艦載砲でも搭載する砲を増やしたければできるだけ軽量な方が望ましいし、また艦に載せる場合は長すぎると取り回しが不便である。カロネードのように10倍未満まで口径長を切り詰めた大砲が海軍側から歓迎されたのを見ても、効果的な兵器を求めた結果の短砲身化であったと推測される。
 この短砲身化が頂点に達したのがナポレオン戦争期なのだろう。この時期は口径長が短くなったのと同時に大砲の種類の削減もとことん進展している。例えばワーテルロー戦役でフランス軍が投入したのは12ポンド砲36門、6ポンド砲142門、5.5プース曲射砲56門、6プース曲射砲12門の4種類だ。グリヴォーバル時代にあった4ポンド砲や8ポンド砲は姿を消している。プロイセンも4種類、英連合軍に至っては3種類の大砲しか使っていない("http://www.napoleon-series.org/military/OrdnanceJournal/Issue5/c_tableofcontents.html"のArtillery at Waterloo)。この時代、効率的に戦うためには種類を減らし、口径長を適切な短さに維持する必要があったのだと思われる。

 しかし19世紀も半ば以降になると、再び口径長が伸び始める。南北戦争で使われた大砲"https://en.wikipedia.org/wiki/Field_artillery_in_the_American_Civil_War"を見ると、6ポンド砲や12ポンド砲は引き続き10倍台半ばにとどまっているが、10ポンド・パロットライフル砲や3インチライフル砲といったライフル砲で口径長が再び20倍を超えている。
 なぜ伸びたのか。正確なことは知らないが、例えば砲弾の形状"http://www.wcfcle.org/images/West_Point_Foundry/Picture9.jpg"がそれまでの球形から釣り鐘型に変わったのが影響したのかもしれない。この形状なら空気抵抗への対応力も高いだろう。一方、滑腔砲であった12ポンドナポレオン砲の砲弾は、こちら"http://relicman.com/artillery/zLibraryArt.110.Ball.12Pdr.4.62inch.1SolidShot.html"によれば引き続き球形のまま。空気抵抗は大きかっただろう。
 常に問題となっていた重量も、産業革命によって突破口が生まれた。それ以前は家畜の力で引っ張るしかなかったものが、鉄道や内燃機関を使用できるようになり、軽量化せずとも高い機動力を維持できるようになった。後装式の復活"https://togetter.com/li/498401"は、砲身が長すぎることによる作業の不便性を大幅に減らし、長砲身化によるデメリットを1つなくすことに寄与した。
 かくして20世紀にはかつての「古典的大砲」に負けず劣らず長い砲身が珍しくなくなった。例えば有名なアハトアハト"https://en.wikipedia.org/wiki/8.8_cm_Flak_18/36/37/41"は口径長が56倍という、ナポレオン戦争時代では考えられないレベルまで到達している。日本の九〇式野砲"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E3%80%87%E5%BC%8F%E9%87%8E%E7%A0%B2"は38倍にとどまるが、それでも古典的大砲なみの長さになる。
 最も極端な例は80センチ列車砲"https://en.wikipedia.org/wiki/Schwerer_Gustav"だろう。砲身長32.5メートル、口径長は40.6倍に達する。古典的大砲の時代でも大口径のキャノンは前装式のため20倍未満の口径長が普通だったのに、そうした抑制がなくなれば、新幹線の1両分(25メートル)すら超えるほど長い大砲が出てくるわけで、つまり短砲身化は技術的限界という環境の中での合理的選択に過ぎなかったことになる。技術の進歩によって環境が変われば、最適化の方向性は変わってくる。
 現代においては榴弾砲(Howitzer、つまり曲射砲)ですら30倍を超える口径長になっている"https://en.wikipedia.org/wiki/M777_howitzer"。20世紀後半に製造された英国製のモーター、つまり臼砲は15.8倍だ。口径長だけみれば現代は「新たな古典的大砲の時代」と言ってもいいかもしれない。
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