東西史 書評

 面白い文章"https://journals.library.ualberta.ca/cjs/index.php/CJS/article/view/25677/20268"を見つけたので。こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55806472.html"などで著書を紹介したAndradeが、イアン・モリスの本("https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54698300.html"など)とHoffmanの本("https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56266742.html"など)について記した書評である。題名を見ても分かるようにかなり手厳しいことを書いている。
 Andradeの言い分はシンプルで、要するにモリスもHoffmanも最近の研究結果を把握せず、古い軍事革命論をそのままなぞっているに等しいという指摘だ。軍事革命論と言っているが、要するにこのblogでも紹介している西暦1500年を重視する思考法が強くにじみ出ている点を問題視している。ポメランツの大分岐に代表される西暦1800年を重視する最近のトレンドを踏まえていないところがおかしいと見ているのだろう。
 ただ、この指摘を読んで疑問を感じる人もいるだろう。まずモリスの本に出てくる社会発展指数だが、Andradeも認めているように指数そのものは1500年ではなく1800年になってようやく西洋(50.63)が東洋(49.78)を抜いている。だからむしろモリスの指摘は1500年より1800年の方が重要だと解釈することだってできる。
 実際にAndradeが噛みついているのは社会発展指数を構成する4要素のうちの1つ、戦争実行能力の部分である。確かにこの指数をみると1500年の時点で西洋(0.13)が東洋(0.10)を抜いているし、その後も1600年が0.18と0.12、1700年が0.35と0.15という具合に、どんどん両者の差が開いている。これは、特に中国の軍事力の推移を見る限り実態に合わない、というのが彼の主張だ。というかここ以外に論点はないと言ってもいい。
 一方Hoffmanについては、欧州が1500年から1800年の間に世界の35%を支配したという主張に対し、その大半はアメリカ大陸であり、旧世界ではシベリア、南アジアの一部、そして東南アジアの一部しかないと指摘している。またモリス同様、いったん軍事技術で東洋を抜いた後は西洋が一方的にリードを広げ続けたというHoffmanの言い方にも噛みついている。

 それぞれ聞くべきところはある。特にHoffmanのモデルにおいて、距離の近さが技術の拡散に有利に働くという想定は、軍事技術に関してはもしかしたら当てはまらないかもしれない。以前にも書いた通り、中国で発明された火薬や銃砲がユーラシアの他地域をすっ飛ばして欧州にピンポイントで伝播したように見える現象を説明できないからだ。軍事技術については、距離よりもむしろ受け入れ側の様々な条件の方が技術伝播に大きな影響を及ぼすと考えた方がいいのかもしれない。
 だが一方で無理筋と思える批判も目立つ。なるほどモリスの戦争実行能力は細かいニュアンスを反映しきれていないかもしれないが、そもそも250点満点の0.1~0.4点の範囲でしかない部分にケチをつけてもあまり意味があるようには思えない。はっきり言って、該当部分をAndrade説に合わせて変更したとしても最終的な社会発展指数の流れに与える影響はほぼないだろう。少なくとも、この微細な数字を論拠にモリスが古い軍事革命論者であると決めつけるのは無理がある。
 Hoffmanの議論は軍事的な側面を重視しているため、よりクリティカルになり得る。だがこの部分についてもAndradeの議論には行き過ぎな部分があるように思う。例えば世界の35%を支配したという言説についても、少なくとも1500年以前はもっと狭い範囲しか支配していなかったことを考えるなら決して無視していいものではない。それにAndradeは触れていないが、他地域の勢力が欧州で領土を獲得・拡大する場面は、オスマン帝国のスレイマン以降なくなってしまう。その事実も無視はできない。

 Andradeはこの書評において、特に中国を代表とするアジアの軍事力が決して欧州に劣っていなかった面を強調している。だから軍事力を理由に1500年以降の「分岐」を強調するのは拙いという見解だ。だがそれはニュアンス的なものに過ぎない。特定の側面を見れば確かにこの時期の西と東の差はほとんどなかったが、一方で明確に差が存在した部分もある。何よりAndrade自身、艦船と要塞という2つの分野では欧州が中国に勝っていたとはっきり認めている"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54315361.html"。
 艦船で欧州が持っていた優位は2つ、欧州の船が大きくて積載する大砲が多い点と、風上への航行機能に勝っていたことだ。Andradeは論文"https://journals.library.ualberta.ca/cjs/index.php/cjs/article/view/8873/8111"の中で、スペインの宣教師の証言やオランダ提督の手紙(p195-196)に見られるオランダ艦の強さを紹介しているくらいだ。
 中国側の証言も同じ。達觀樓集"http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=128314"には「其舟長五十丈、廣六、七丈、名曰夾版、内有三層、皆置大銃外向、可以穿裂石城、震數十里、人船當之粉碎、是其流毒海上之長技有如此者」(108/122)という証言があるし、明史"http://ctext.org/library.pl?if=en&file=64339"にも「巨舟大砲、舟長三十丈広六丈厚二尺余(中略)桅下置二丈巨鐵砲、發之可洞裂石城、震數十里、世所稱紅夷砲、即其制也」(146/152)と書かれている。
 經國雄略"http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007545366-00"にも「巨艦大如山、而固如鐵桶、堅不可破」とあるそうだ"http://big5.xjass.cn/ls/content/2016-09/09/content_420890.htm"。一方17世紀の旅行者であるPeter Mundyによれば、中国のジャンク船は「小さな銃砲であるドレイク"https://en.wikipedia.org/wiki/Minion_(cannon)"」、つまり対人兵器レベルの火器で武装していたという("https://archive.org/details/travelsofpetermu31mund" p203)。
 ちなみに風上への航行については、例えば裨海紀游"http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=575110"が欧州の船について「又多巧思、為帆如蛛網盤旋、八面受風、無往不順」と述べる一方で中国船の航行能力が劣っていると書いている。Andradeの別の本"https://books.google.co.jp/books?id=6yzRscizpLMC"でも鄭芝龍の報告に「蛮族の船は外海へ向けて風上にタックし(中略)我々が追えば追うほど彼らは遠ざかった」(p315)とあることが記されている。これは火薬とは関係ない技術だろう。
 だが巨大な艦船に搭載された大砲に加え、ルネサンス式稜堡もまた火器に対抗して編み出され、それが欧州の世界制覇に一定の役割を果たしたのだとすれば、火薬兵器が欧州の軍事的優位につながったというHoffmanの主張を全面的に否定するのは難しい。確かに火器そのものや、それを陸上で使用する際のドクトリンにおいては東西は均衡していたかもしれないが、船での利用や火器に対する防御で欧州が東洋を凌駕していたのは確かだ。Andradeの指摘は細部では正しいかもしれないが、全体の論に影響を与えうるようなものには見えない。

 Andradeは他に東洋が欧州に負けていたわけではない事例として、ポルトガル人が到着する前の1500年代初頭時点で、既にインドが「優れたマッチロック式の銃」を製造していたとの説も紹介している(p64)。この話はDaehnhardt"http://americansocietyofarmscollectors.org/wp-content/uploads/2013/05/B037_Daehnhardt.pdf"が指摘しているのだが、それによると1510年にゴアが落ちた時にポルトガルの指揮官が書いた報告書の中に「ゴアで製造されているマスケットは、我々がドイツから手に入れたものより良い」(p6)との文章があるそうだ。
 だがこちら"http://www.u.arizona.edu/~wbraynen/globalsocietyjustice/papers/eaton.pdf"によればインドの技術は1510年より前にオスマン帝国から、つまり西方から伝わったもの(p18)だそうだ。それにこの時期に火器が使われていたのはインドでも一部にとどまっており、バーブルの日記"https://archive.org/details/baburnamainengli01babuuoft"によれば1519年時点で彼が戦った相手は「それまで銃を見たことが全くなかった」(p368-369)。
 オスマン帝国はハンガリーあたりから火器を導入したと言われている。少なくとも西欧より古い使用例は見当たらないようだ"https://en.wikipedia.org/wiki/Ottoman_weapons"。以上を踏まえるなら、インドにおける古い「マッチロック」の例を西洋の軍事的優位に対する異論の証拠として使うのはいささか無理があるように思う。
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