火縄の歴史

 以前、火縄の歴史について調べたことがある("https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56168824.html"と"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56172614.html")。通説では欧州で火器が使われ始めた時期には火縄ではなく焼いた針金が使われていたとされていること、それに対し欧州では最初期から火縄が使われていたという見解もあること、しかし中国で火縄がいつ発明されたかは分からなかったことなどをまとめた。
 今回紹介するのはどちらかと言うと通説に反する見解、つまり火縄は欧州では初期から存在したとする主張の1つだ。そう指摘しているのは自らも古い火縄を収集している人物のようで、こちらの掲示板"http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?p=140402"に大量の写真と合わせて自らの主張を掲載している。

 こちらで論拠としているのも、Milemeteの絵に出てくる図が針金には見えないという点だ。「銃砲に点火するため実際に使われている物質が何なのか、明白に見分けることはできない。少なくともクライストチャーチのマニュスクリプト"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?s=756f6bfa300aa28df6e6e0e73bcb792e&attachmentid=89835"にあるいささか長く分厚い物体は、リンストックに固定された火縄の切れ端とよく似ている」というのが投稿者の指摘だ。
 従って14世紀のうちから火縄は使われるようになった。特に「小さな銃砲については、マッチロック時代の最後、およそ1730年代まで使われたと記録にある」。一方「大型のもの、即ち大砲については、14世紀から点火用の鉄あるいは火縄を挟んだリンストック」を使って着火されていた、というのがこの人物の主張だ。
 そして興味深いのは、様々な現存する火縄についての写真が掲載されていること。残されているものを見ると、火縄は35~40メートルあるものを束ねているものが残っているが、実際に使用する際には個々の兵士用に2~3メートルの長さにして渡していたようだ。古いものになると15~16世紀のものも少数ながら残っているそうで、実際の火縄がどんなものだったかが分かる。
 生き残っている火縄の太さを見ると、サイズは様々だが早い時期はおよそ2センチ、それが16世紀中ごろになると1センチから1.5センチまで狭まったという。一方、ごく初期のマッチロック(1410~1530年)機構を調べると、太さ2センチもある火縄を挟めるような構造をしているものはない。そのため筆者は火縄の役割について、予め火挟みにセットしておいた火口(ほくち)"https://kotobank.jp/word/%E7%81%AB%E5%8F%A3-132752"に着火するためだけに使われたと見ている。だから初期の点火法はマッチロックではなくティンダーロックと呼ぶべきだ、というのが筆者の主張だ。
 確かに、世界最古のマッチロックを描いた図と言われるこちら"https://bildsuche.digitale-sammlungen.de/index.html?c=viewer&l=de&bandnummer=bsb00045460&pimage=00021&v=100&nav="を見ても、火縄を挟むには火挟みが小さい気がする。この図は1475年にMartin Merz"https://de.wikipedia.org/wiki/Martin_Merz"が書いたとされている。そして1500年頃のものと思われるマッチロック機構の写真("http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=69153"と"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=69154")を見ても、写真では細い縄を無理やり挟んでいるものの、直径2センチの火縄が挟めるようには見えない。
 もっと古い1411年のサーペンタインロック"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=91194"を見ると、簡略過ぎるため火挟みの構造やそこに挟まれているものが何であるかを特定するのは困難だ。だが見た限り、そこにあるのが長い縄ではなく短い棒のようなものであることは否定できない。これも火口の一種だとするなら、確かに初期の引き金機構はマッチロックではなくティンダーロックということになりそうだ。
 アルケブスの火挟みが蝶ナットによって大きく開くようになり、火縄そのものを固定することができるようになったのは16世紀中ごろから。火縄自体が細くなったのもこの時期であり、おそらくこの時期に火口を使う方法から火縄で直接点火する方法にシフトしたのだろう。つまり16世紀前半のイタリア戦争の時期には、まだ火口が使われていたと考えられる。ゴンサロ・デ=コルドバやコロンナの兵たちが持っていた銃は火口がなければ撃てないタイプだったのかもしれない。

 同じ筆者は掲示板で別の主張もしている。一つは、大砲で使われていた火縄以外の点火法、つまり点火鉄igniting ironsに関する指摘"http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=10029"だ。Milemeteの後、しばらくリンストックを使ったと見られる図像が現れなくなり、代わりに金属を使用して点火したと考えられる図が続く。有名なBellifortisだけでも、よく見かけるこちらの図"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=44136"の他に、こういう図"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=44138"も存在するという。
 これらの折れ曲がった針金状のものの現物も写真が掲載されている。特徴的なのは、図からは分からないのだが、先端が太くなっているものが多い点にある。この部分を予め赤くなるまで熱し、それを大砲の火門に押し付けて点火するそうだ。以前、針金で実験した人がすぐ冷えてしまうと指摘していたが、先端を太くして質量を増すことで、簡単には冷えないようにしているのだろう。
 古い図像でそうした使い方をはっきり分かるように示しているのが、1460年頃に描かれたとされているもの"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=85980"だ。以前にも紹介したが、大砲の近くにフライパンのようなものを用意してそこで火を燃やし、この火を使って赤くなるまで加熱した金属の棒を点火のために使用している様子が明確に描かれている。
 もちろんこれらは絵であるため、解釈の余地が大きい。だからこうした道具がどこまで幅広く使われていたかを厳密に調べるのは難しいだろう。The Artillery of the Dukes of Burgundy"https://boydellandbrewer.com/the-artillery-of-the-dukes-of-burgundy-1363-1477-hb.html"が、熱した鉄の棒を使ったという点火法について「純粋な憶測」(p258)と指摘している点は無視できない。それでも使えるソース(図像や遺物)から考えるなら、こうした点火法が特に大砲で使用されていた可能性は高いと思う。

 さらに話が点火法から離れてしまうが、この著者は初期の銃砲においては石で作った弾がほとんど砲口付近にセットされていたのではないかとの主張もしている"http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=15361"。例えば1340年頃の図に描かれた銃砲"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=86010"では、点火作業をしている時点で弾が半分ほど砲口から顔を出している。
 他にもそうした図像は多い。1340年代の城攻めの様子を描いた図"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=86019"や、1344年の図"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=86695"にも同じものが描かれている。遺物を見ても、初期のものと思われる銃砲の中には、極端に砲身が短く弾が砲口から顔を出しかねないものがある"http://www.vikingsword.com/vb/attachment.php?attachmentid=86099"。
 これらの図像を見て思い出すのは当然「碗口銃」"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55899547.html"だ。欧州でこうした「弾が砲口から顔を覗かせている」銃砲が存在した時代に中国でも似た形状の火器が存在したのは重要である。ユーラシアの西に伝わった兵器の中にこうしたものがあり、それが欧州でも最初は真似されたと考えるのがおそらく妥当なんだろう。
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