従って14世紀のうちから火縄は使われるようになった。特に「小さな銃砲については、マッチロック時代の最後、およそ1730年代まで使われたと記録にある」。一方「大型のもの、即ち大砲については、14世紀から点火用の鉄あるいは火縄を挟んだリンストック」を使って着火されていた、というのがこの人物の主張だ。
そして興味深いのは、様々な現存する火縄についての写真が掲載されていること。残されているものを見ると、火縄は35~40メートルあるものを束ねているものが残っているが、実際に使用する際には個々の兵士用に2~3メートルの長さにして渡していたようだ。古いものになると15~16世紀のものも少数ながら残っているそうで、実際の火縄がどんなものだったかが分かる。
生き残っている火縄の太さを見ると、サイズは様々だが早い時期はおよそ2センチ、それが16世紀中ごろになると1センチから1.5センチまで狭まったという。一方、ごく初期のマッチロック(1410~1530年)機構を調べると、太さ2センチもある火縄を挟めるような構造をしているものはない。そのため筆者は火縄の役割について、予め火挟みにセットしておいた火口(ほくち)"
https://kotobank.jp/word/%E7%81%AB%E5%8F%A3-132752"に着火するためだけに使われたと見ている。だから初期の点火法はマッチロックではなくティンダーロックと呼ぶべきだ、というのが筆者の主張だ。
アルケブスの火挟みが蝶ナットによって大きく開くようになり、火縄そのものを固定することができるようになったのは16世紀中ごろから。火縄自体が細くなったのもこの時期であり、おそらくこの時期に火口を使う方法から火縄で直接点火する方法にシフトしたのだろう。つまり16世紀前半のイタリア戦争の時期には、まだ火口が使われていたと考えられる。ゴンサロ・デ=コルドバやコロンナの兵たちが持っていた銃は火口がなければ撃てないタイプだったのかもしれない。
これらの折れ曲がった針金状のものの現物も写真が掲載されている。特徴的なのは、図からは分からないのだが、先端が太くなっているものが多い点にある。この部分を予め赤くなるまで熱し、それを大砲の火門に押し付けて点火するそうだ。以前、針金で実験した人がすぐ冷えてしまうと指摘していたが、先端を太くして質量を増すことで、簡単には冷えないようにしているのだろう。
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