ブルゴーニュの火器

 欧州に伝播した初期の火器がどのように発展したかを知る一助としてThe Artillery of the Dukes of Burgundy"https://boydellandbrewer.com/the-artillery-of-the-dukes-of-burgundy-1363-1477-hb.html"を読んでみた。ヴァロア=ブルゴーニュ家"https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Valois-Burgundy"4代の時代、つまり1363年から1477年までを対象にブルゴーニュ家の火薬兵器についてまとめた本だ。
 14世紀後半から15世紀後半までの約100年は、まさに欧州で火薬兵器が急速に進歩した時代に当たる。加えてヴァロア=ブルゴーニュ家は他の政治勢力に比べて非常に充実した史料が残されていることで有名。要するにそれだけ官僚制が充実していたわけだが、後世にとっては貴重な文献が山ほど残されているという点でありがたい存在だ。
 加えてブルゴーニュ家は当時の各政治勢力の中でも最も火器が充実していたことで知られている。14世紀前半から中盤にかけてはイングランドが、また15世紀中盤以降はフランス王国が同様に火器の使用に長けてくることになるのだが、それらの間をつなぐ情報源としてブルゴーニュ家が役に立つ。もちろん彼らの史料だけで欧州の火器使用について全てをカバーできるわけではないが、参考になるのは事実だ。

 内容はまず、欧州における初期の火器についての歴史概要、それから4人のブルゴーニュ公それぞれの軍事経歴について、特に火器に焦点を当ててまとめている。続いてブルゴーニュ公がらみの史料分析を行い、最後には現存する当時の火器について写真を含めた紹介があり、後はいくつか付属史料が掲載されている。
 各ブルゴーニュ公の行った軍事作戦については、史料からの(英訳)引用がかなり多く使われているため、確認しようと思えばある程度は元となるソースまで確認できるのはありがたいところ。また複数の説がある場合は元史料まで含めてそれを紹介し、そのうえで例えば現場に居合わせた当事者の書いたものを重視するといったスタンスで説明しているのも説得力がある。
 ブルゴーニュ家が当時の欧州でも最先端の火器を揃えられたのは、経済の発達した低地諸国南部(今のベルギー)を領土に加えたからであるが、この低地諸国にある諸都市が自前の火器を大量に保有していたことが改めて確認できた。実際、歴代ブルゴーニュ公が行った戦争の多くは低地諸国における反乱鎮圧だったのだが、そこでは公たちの敵もまた火器を並べて抵抗するのが当たり前だったという。それどこからこれらの諸都市は彼ら同士の争いにも火器を使っていた、というかむしろそちらの方が本来の使い方だったようにすら思える。
 日本でも室町時代まではよく見られた村落の自力救済思想が、同じ中世欧州でも根強く存在していたことが分かる。しかも低地諸国はなまじ経済力を持っていたために、準備できる兵器も過激だ。1キロしか離れていない隣の都市と砲撃戦を繰り広げたり、お祭りで酔った勢いのまま攻めてきた敵兵に対してわざわざ城外に出て攻撃を仕掛けたりと、なかなかアグレッシブな話がいくつも紹介されている。
 また、イングランドと長期にわたって協力するなど、一見して自らの領土拡張だけを考えていたように見えるフィリップ善良公が、一方でずっとフス派に対する十字軍に加わりたいと考えていたことも指摘されている。弱肉強食の時代に生きていたと思える人物が、一方では信仰心の発露としての十字軍にあこがれを抱き続けていたというこの一見矛盾しているような話を見ても、中世の戦争を近代の感覚で捉えると間違えそうなことが分かる。
 他にも面白い話はある。例えば14世紀には砲弾の一種として広く使われていたクロスボウの矢は、15世紀に入るとほぼ廃れた。しかし例えば1437年の戦いではブルッヘのギルドが急いで武器を揃えなければならなくなり、おそらくは倉庫の奥でほこりをかぶっていた矢を引っ張り出して戦闘に使ったという例があった(p118)。もっと凄いのは1468年のリエージュでの戦闘で、ブルゴーニュ軍の攻撃を受けた市民たちはボンバード、クロスボウと並んで「スリング」まで使って抵抗している。スリングが中世を通じて使われていたことはこちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56013045.html"に書いている通りだ。
 ただしあくまでブルゴーニュ家の話が中心なので、例えば同時期に彼らとは違うやり方で火器を活用したというイングランドのヘンリー5世が具体的にどのような使い方をしたのかといったことをこの本で知るのは難しい。
 もう一つ、著者が繰り返し「城攻めにおいて火器は決定的な兵器ではない」と主張している点について。ご指摘はその通りだが、こちらが知りたいのは「火器登場以前に比べ、どれだけ中世風の城が落ちやすくなったのか」である。100%城が落ちるわけではないことを改めて強調されても、そんなのは当たり前であり新たな知見は得られない。せっかく中世の軍事史に詳しいのなら、火器登場以前の城攻めと比べて、例えば短期間で降伏に追い込まれる割合が上昇したのか変わらないのか、といったデータを見せてほしかった。

 しかし一番の注目点は一次史料を分析した章だろう。巻末の付属にもあるのだが、ブルゴーニュ公のアーカイヴには彼らが保有していた火器に関する大量の史料が残されている。そこには当時存在した様々な火器についての記述があり、解釈の難しい部分はあるものの、特に15世紀にどのような火器が使われていたのかについてのまとめが読める。実際、16世紀以降については大砲の分類なども調べやすい(例"http://home.mysoul.com.au/graemecook/Renaissance/04_Artillery.htm")が、それより古い時代については意外にいい資料がなかった。
 もちろんこの本にも限界はある。というか当時の文献に出てくるテクニカルタームは、現代人には分かりにくいものが多い。残された史料では詳細が省略されていることも多く、この本に載っている分類もかなり推測交じりだ。それでも興味深いのは確かなので、以下簡単に紹介しよう。
 まずボンバード。主に15世紀前半の史料によく出てくるのだが、これは要するに大きな大砲を意味するらしい。典型例がブルゴーニュ公からスコットランド王に送られたモンス・メグ"https://en.wikipedia.org/wiki/Mons_Meg"だろう。一方、同じように世紀の初期によく出てくるキャノンという言葉は、当時はボンバード以外の火器全般を示す用語だったようだ。16世紀にはキャノンは特定の口径長を持つ兵器の名称となっており、時代によって言葉の意味が違っている。
 クロヴリヌ(カルヴァリン)も同じで、後には大型の大砲を示す言葉になったが、ブルゴーニュ公の史料では全て手持ち兵器、つまりハンドガンとなっている。ただ使用例は世紀の中盤で、終盤になるとアーケブスが出てくるそうだ。またクロヴリヌが興味深いのは基本的に後装式であることだ。薬室と銃身が別々になったハンドガンがこの時期から使われていたというのは、意外に知られていないことだろう。
 クルトーは世紀の終盤に出てきた名称で、おそらくかなり大型の大砲であるということくらいしか分からない。クロポドーは世紀中盤に出てくる火器で、かなり細長い(つまり口径長が長い)タイプの大砲である。それと似ていると思われるのがセルパンティーヌで、こちらは世紀の終盤に登場。クロポドーよりは重い大砲で、クロポドーよりさらに細長かったのではないかと推測している。
 逆に口径長が短い兵器としては、世紀終盤に登場したペトローがそうではないかと思われる。これは「モーター(臼砲)のような兵器」とも書かれており、もしかしたらブルゴーニュではモーターのことをペトローと呼んでいたのかもしれない。そして口径長で中間的なのがヴグレール。大型、中型、小型の3種類が存在し、それぞれ大雑把なサイズが決まっているそうだ。
 世紀前半までボンバードとそれ以外(キャノン)という大雑把な分け方だったのが、終盤になると口径長に応じてもっともらしい分類が出来上がっているのが興味深い。16世紀以降になると明らかに口径長が重要な分類の基準になっていくのだが、そうした流れは15世紀を通じて次第に出来上がってきたのだろう。そうしたことが分かるだけでもブルゴーニュ家の史料には十分存在価値がある。
 そしてさらに面白いのリボードカン"https://en.wikipedia.org/wiki/Ribauldequin"。それ自体が火器の一種として紹介されることが多いのだが、この本では火器ではなくそれを乗せる車両の名称だと指摘している。実際「リボードカンと呼ばれる車両」とか「リボードカンに乗せるクロポドー」といった使用例が多数見つかる。この本を読まなければそうした事実も知ることはなかったわけで、これだけでも買った甲斐があったと言える。
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