ドナウ左岸 2

 承前。ネイがナポレオンからの最初の命令を受け、配下の各部隊に具体的な命令を出し始めたのは正午頃と見られる(公式戦史"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k8730004" p20)。その命令文(p302-303)を見ると、各部隊の移動開始は午後2時からとなっている。出発時刻が遅いため、各部隊が目的地に到着するのは午後8時から9時頃になる見通しだった。もちろんそれまでには皇帝がベルティエ経由で出した2番目の命令が彼の下に届いていたと思われるが、ネイがこの日の行軍計画を途中で変更した様子はない。つまり彼は皇帝が出した最初の命令に従うように部隊を移動させたことになる。
 まずバラギュイ=ディリエの徒歩竜騎兵はハイデンハイム近くのハーブレヒティンゲンに向かうことになった。デュポン師団はハウゼンとビッシンゲン、ロワゾン師団はブルクベルク、マレ師団はブレンツ川の背後、そしてガザン師団はメドリンゲンを目指す。部隊の移動は決して容易ではなく、デュポン師団が目的地に到着したのは日付が変わった午前3時になったそうだ。
 マレ師団の第59戦列歩兵連隊はグンデルフィンゲン、ラウインゲン、ディリンゲンといったドナウ河畔の地域に展開した。同師団の第22軽歩兵連隊はシュテツィンゲンとゾントハイムを占拠し、ウルム方面を偵察。ロワゾン師団の第6軽連隊はシュテッテンを、デュポン師団の第9軽連隊はネレンシュテッテンを占拠した。
 部隊配置を見て分かるのは、ネイが主力をウルムからハイデンハイム、あるいはドナウヴェルト方面へ向かう街道周辺に配置していることだ。この方面への敵突破に備えよというナポレオンの最初の命令を受けたものだろう。一方、ナポレオンが2番目に出したギュンツブルク橋の奪取を含めたドナウ河沿いへの部隊展開については明らかに不十分。そもそもギュンツブルクには1つの部隊も向かっておらず、この命令の実行がいわば後回しにされたことが分かる。

 一方、8日を通じて入ってきた情報を分析したナポレオンは、敵の動きが発見できなかったにもかかわらず、マックがアウグスブルク方面へ向かっているとの確信を深めた。彼は最初からこの方面に向かっていたスールトとダヴ―のみならず、マルモンとランヌまでこちらへ向かわせる決断をした。ネイの隣にいるランヌが左翼側へシフトするのに合わせ、大陸軍最右翼を形成するネイもまた左側への移動が求められた。
 ナポレオンが8日から9日にかけての真夜中にベルティエを通じて出した命令(p365-366)では、ネイに対して「即座にギュンツブルクへ到着することが肝要だ」と指摘。ガザン師団をドナウ右岸に投じるよう命じたほか、ウルムの敵が東へ向かう場合は彼らとドナウヴェルトの間に位置するよう心掛け、大陸軍の連絡線を守るよう求めた。
 だが、ここでもネイが9日に部下に出した命令(p366-367)は、ナポレオンの命令全部を実行するものではなかった。彼は確かにギュンツブルクを占拠するためマレ師団をそちらに送り出したものの、ドナウ右岸へ移動するよう言われていたガザン師団については、グンデルフィンゲン(ドナウ左岸)に宿営するよう命じている。
 デュポン師団はアルベックへ、ロワゾン師団はランゲナウに向かうことになっており、いわば相次いでウルムに接近していた。バラギュイ=ディリエ師団は引き続きハーブレヒティンゲンにとどまり、ブールシエの竜騎兵師団はネレンシュテッテンに向かってそこに到着したらデュポンとロワゾンに連絡することになっていた。兵力の大半はドナウ渡河よりもウルムに対する警戒に当てられたように見える。
 ここから、公式戦史では「ネイ元帥が皇帝よりもドナウ左岸を懸念しているに見えた」(p32)との見方を導き出している。一方で8日の命令とそれを受けたネイの行動を見てもわかるように、単に第6軍団の命令への反応が遅かっただけだとも考えられる。実際、ネイ軍団はこの戦役を通じて命令を受けても動き出すのは午後になってからのケースが目立ったという指摘もあり、この時も単に命令受領とその実行との間にタイムラグが生じただけかもしれない。
 ナポレオンは9日正午、さらに新たな命令をネイに送った(p390-391)。主戦場はアウグスブルクになるという確信をさらに深めていた皇帝は、マックはウルムを発したと判断し、この方面の部隊数を減らしてもいいと考えたようだ。彼はガザン師団だけでなく、同様にドナウ河に接近していると思っていたバラギュイ=ディリエの徒歩竜騎兵についても前者と一緒にアウグスブルクへ向かわせるようネイに命じた。
 さらにベルティエの書いたこの命令書には「ウルムについて言えば敵がそこを大軍で占拠していることはあり得ない。もし3000人から4000人がそこにいるのなら、彼らを追い払うため1個師団を送れ。もしもっと多くの戦力がそこを占拠しているのなら、そなたは全軍でそこを奪取せよ」との記述もある。上手く情報を入手できなければ、たとえナポレオンであっても判断ミスを犯すことはあり、さらに判断ミスが重なれば間違った決断を下すという一例だろう。
 また皇帝はランヌに対し、ツスマーズハウゼンを経てアウグスブルクへ向かうよう命令を出している。ただしこの日、ネイがギュンツブルクで敵と遭遇していることを早くに知ったランヌは、結局ツスマーズハウゼンまでで移動を止めていた。
 ミュラに対しては午前2時に命令が出されており、その中でランヌやネイとの連携には言及がなされていたが、ネイとの協力には触れられていなかった。ミュラは命令に従って自らの各師団をツスマーズハウゼンとアウグスブルクの間に展開した。午後3時、ギュンツブルクからの砲声が聞こえてきたのを受けてミュラはいくつかの部隊とともにこの方面へ行軍。ロスハウプテン正面で敵と遭遇し、日没時にはこの村を奪取している。

 この日、ネイ軍団の前衛部隊はアルベックでオーストリア軍と接触し小競り合いを行った。午後6時にはデュポン師団がそこに到着し最終的に敵を後退させている。一方ロワゾン師団はブルクベルクからランゲナウに到着。9日から10日にかけての夜間に第1旅団がオーバー=エルヒンゲンへと進んだ。部隊の一部はさらにエルヒンゲン橋まで前進し、そこを守備していたオーストリア軍を排除。57人の捕虜と大砲1門を奪っている。
 ギュンツブルクに向かったマレ師団がそこでオーストリア軍と衝突したことは既に述べている"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56299853.html"。ネイは戦闘終了後、9日の夕方になってこの戦闘に関する報告をベルティエ宛に書き記した(p391-392)。800人から900人の捕虜と5門の大砲を奪った一方、フランス側では300人の死傷者が出た。
 しかしそれより重要なのは、ウルムの戦力に対する以下の指摘だろう。ネイ曰く「彼らはギュンツブルクで1万5000人[p35では1500人となっている]の増援を受けた。(中略)敵の増援はシャフハウゼンから到着した。どうやらウルムは[イラー河沿いに展開する]敵戦線の左翼側を構成しているらしい」。敵はレッヒ河に接近しているのではなくイラー河にとどまっているというこの推測は、ナポレオンの想定よりも事実に近かった。だがナポレオンがこの情報も加えて新たに判断し直すには、どうしても時間が必要だった。
 10日朝の各部隊の位置は以下の通り。マレ師団は前日の勝利の後にギュンツブルクでドナウ右岸に渡り、そこからライプハイムまで広がっていた。夜の間にエルヒンゲンで小競り合いをしていたロワゾン師団は、改めてランゲナウに部隊を集めていた。デュポンはアルベックに、ガザンはグンデルフィンゲンにおり、軽騎兵はデュポンの右側にいた。徒歩竜騎兵はハーブレヒティンゲンで野営し、それから各地に部隊を派出しつつシュテツィンゲンへ向かうよう命令を受けた。ブールシエは2個連隊のみをデュポンの下に残し、他の4個連隊を率いてランゲナウに向かった。
 ネイ軍団以外を見ると、ベルナドット軍団がインゴルシュタットに、マルモンはノイブルクに、ダヴ―はアイヒャッハにいた。スールト、親衛隊、ナンス―ティとワルテの騎兵師団はアウグスブルクに、帝国司令部はドナウヴェルトにあった。皇帝はツスマーズハウゼンにおり、そこにミュラとランヌもいた。

 以下次回。
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