ウルム戦役 16

 承前。ウルムの敗北についてマックに責任があったのは、これまでも述べてきたように明らかだろう。少なくともMaude"https://archive.org/details/ulmcampaign180500mauduoft"の主張より責任が重いのは確かだ。Maudeによる擁護は理屈が中心で具体的な証拠に乏しく、一方で彼が触れていない部分でマックの責任に帰せられる証拠がいくつも存在する。
 開戦前の時点において既に、ロシア軍と合流する前にフランス軍の攻撃を受ける可能性をカール大公が警告しているが、それに対しマックは楽観論を述べることで主戦派が戦争に踏み切るのを間接的に支援した。イラー河への前進はカール大公の初期計画自体に存在したが、マックはさらにその向こうまで多くの兵を送り出すことでフランス軍の攻撃への対処を難しくした。
 兵力を無駄に分散させるのはマックだけの悪癖ではないが、それでも分散した兵に個別に命令を送るという手間のかかる作業を続けていたため、いざという時にすぐに方針変更ができない状態に陥った。そして、これまたマックだけでなく彼の部下たちにも責任があるが、分散した兵力をいつものようにフランス軍に各個撃破されるきっかけを作った。
 シュヴァルツヴァルト方面にこだわり、フランス軍が実際にはドナウ左岸から接近している事実に気づくのが遅れた。その後もフランス軍がロシア軍に主力を振り向けているのではないかという根拠のない考えに基づいて作戦を立てた。極め付けはシュタインヘルのもたらしたあいまいな情報に頼り、フランス軍は退却しているという間違った判断を下したことだ。いずれもオーストリア軍の敗北につながる要因となった。
 もちろん、彼の責任でない部分もある。イタリア方面に主力を振り向けることでドイツ方面の戦力比が大きく不利になったのは、そもそもカール大公の基本計画に由来する。マックは戦役が始まった後になってティロルやイタリアから部隊を引き抜こうとしたが遅すぎた。
 個々の戦闘についてはマックより実際の指揮に当たった部下たちの責任の方が重い。特にヴァーティンゲンで敗北したアウフェンベルク、ギュンツブルクで対岸の偵察を命じられながら奇襲を受ける恰好になったダスプレあたりは、捕虜になることでその咎めを受けた。リーシュやヴァ―ネックの敗北にはもう少し同情の余地もあるが、それでも彼らが免責されるわけではなかろう。

 より重要なのは、マックがそれぞれの局面で正しい選択をしていれば敗北は避けられたのかという問題だ。個人的にはフランス軍の接近を知った段階で全面的な退却に転じた場合を除き、敗北は不可避だったのではないかと思う。そもそも兵力差がありすぎ、多少の工夫程度で逆転できる状況だとは思えない。退却時にもよほどうまく逃げないと、やはり追いつかれて各個撃破されかねない。
 兵力でフランス軍と均衡するためにはロシア軍との合流が必須だが、史実でも最終的に兵力でフランス側を上回ったのがアウステルリッツ直前だったのを見てもわかる通り、それを成し遂げたければおそらくウィーンを捨てて逃げ続ける必要がある。そうした決断をオーストリア政府が、あるいは世論が認めただろうか。戦う場所がウルムではなく「ウィーン城下」(Denkschrift"https://books.google.co.jp/books?id=C2AEAAAAQAAJ" p11)になるだけで、やはり敗北に追い込まれた可能性はある。
 ウルムの戦場でマックが下した個々の判断を擁護するのはそもそも無理がある。でも彼が元から無理な仕事をさせられていたのなら、その切り口で擁護することはできるかもしれない。残念ながらマック自身がこの仕事を無理なものと見ていた様子がなく、それどころかフランス軍に勝てるという楽観論を振り撒いて皇帝の主計総監という地位を手に入れたため、この線で彼をかばうのもやはり難しいという結論になってしまうが。
 そう考えるとマック擁護を目的としたMaudeの執筆動機自体がまずかったと見るしかなくなる。おまけにそうした本を書くうえでろくにドイツ語史料に当たらず、フランス語で書かれた文献ほぼ1つに頼り切った時点で、Maudeのやり方は失敗することが運命づけられていたのだろう。ドイツ語もフランス語も読める読者がほとんどいない英語圏向けに片手間に書かれた本であり、その際に注目を集める手法としてマック擁護を打ち出した「残念な仕事」ということになる。

 それにしてもマックはなぜあそこまで判断ミスを繰り返したのだろうか。歴戦の将軍たちのみならず、若くて経験の乏しいフェルディナントですら、マックよりは正しい情勢判断を下している。つまり、オーストリア軍の手元にはそうした判断ができるだけの情報が届いていたはずなのだ。そもそも情報が大きく欠落しており、間違った判断を下しても仕方ない状況だったならマックにも同情の余地はあるが、ウルム戦役がそうでなかったことはおそらく間違いない。
 以後はソースのある論議ではなく私の妄想になるんだが、マックはもしかしたらものすごくせっかちな人間だったんじゃないだろうか。せっかちだから手元に十分な情報が揃う前から判断を下し、すぐにその判断に合わせた命令を出す。マックが「毎日完全に異なる2つの計画を作り」、それでいて「どれ一つとして完遂することのない終わりなき計画変更」を繰り返していたというフェルディナントの非難も、彼がせっかちすぎる性格の持ち主だったと考えれば辻褄が合う。
 そしてこのせっかちさに思い込みの激しさが加われば、シュヴァルツヴァルト方面へのこだわりや、シュタインヘルの情報に飛びついたことなど、彼の間違った行動の多くに説明がつくと思う。おそらく仕事は速いタイプなので、上司が決めたことを部下として実行する分には有能に見えるのだろう。だが巨大な組織を、しかも戦場の霧の中で運営する立場としては軽率にすぎる。
 以前こちら"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54496738.html"で「ベイズ推定」の話を記した。事前確率を定め、新たに情報が入るたびにその確率を見直すというやり口だ。ここでは具体的な確率の数値を出して計算してみせているが、具体的な数値計算はしないにしても状況を判断する際には多くの人間が直感的に行っている方法だろう。そしてマックは、新情報が入って確率が変わるたびに命令を差し替えるタイプの人間だったのだと思う。
 マックに必要なのは、情報が少ない時点での確率はあくまで暫定的なものに過ぎず、それに頼りすぎてはいけないという認識だったのではないか。Nate Silverは昨年の米大統領選で、クリントン優位の世論調査が多い一方で方針未定の有権者も多く、予測には不確実性が伴っていることを最後まで指摘していた。だから彼の予想は他の予想に比べるとトランプ勝利の確率を高く見ていた。マックであれば、他の一部メディアが予想していたように99%の確率でクリントン勝利という判断に飛びついていたかもしれない。
 その時点でもっともらしい予想であっても、後になって予想が外れる可能性は常にある。だからそういうケースにも備えて対策を打つ。ナポレオンは常にそうしたやり方で命令を出しているが、マックにはそれができなかったのだろう。そんな人物が、よりによって全盛期の大陸軍と正面からぶつかる羽目に陥ったのだ。おそらく敗北は不可避だった。
 そして最大の問題は、そんな人物が事実上の指揮官の地位に登りつめたところにある。もちろんその責任は皇帝フランツと、彼を取り巻いていたコベンツルら主戦派の政治家たちにある。「大抜擢」という言葉は組織の柔軟性を示す肯定的な意味に使われるケースもあるが、一方でそうした対応には大きなリスクも存在することを、ウルム戦役のマックは身をもって示した。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック