ウルム戦役 8

 承前。マックが10月4日及び5日に出したウルムやギュンツブルクへの集結命令を受けた移動が完了するのは8日までかかる見通しだった(公式戦史"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k8730004" p148)。マック自身も後の弁明で「なぜ7日と8日に軍をレッヒの背後に後退させなかったのか? 多くの小さな縦隊に分かれた軍を別の方角に向けさせるのが不可能だったからだ」(Denkschrift"https://books.google.co.jp/books?id=QPiEAAAAIAAJ" p10)と言及している。彼の主力がレッヒへ向けて行軍を始めたのが9日の早朝になったのはそれが理由だった。
 だがその9日朝には、前日のヴァーティンゲンにおける敗北が彼の下に知らされた。軍は当初ブルガウまでは前進したものの、結局そこからギュンツブルクへ退却が命じられた。アウフェンベルクの敗北とキーンマイアーの報告から、敵がレッヒ両岸を確保しアウグスブルクへの前進が不可能になったことが判明したためだ(Angeli, Ulm und Austerlitz"https://books.google.co.jp/books?id=1LsaAQAAMAAJ" p407)。
 オーストリア軍の司令部では、なお開かれている南方への脱出、つまりメミンゲンを経てティロルへ移動しそこから山沿いにイン河へと移動する案が出されたが、マックはこれを却下した。敵の方がより短い距離でロシア軍に到達しこれを攻撃できるというのが理由で、代わりに彼が立てたのはドナウを渡河しギーンゲンとハイデンハイムに布陣してなお左岸にいる敵を叩くか、もしくはその連絡線を脅かすという計画だった。Maude"https://archive.org/details/ulmcampaign180500mauduoft"に言わせればティロル経由の後退策は「小心な振る舞い」(p175)だという。
 ドナウ渡河策を支援するべくイェラチッチはメミンゲンへ戻り、レッヒ方面への示威行動を行うことになった。またフランス軍の補給拠点であるシュトゥットガルトをけん制するためウルムからガイスリンゲンへも別動隊が向かう。クレナウ、ゴッテスハイム、リーシュ、ヴァ―ネックは11日及びそれ以降の夜に相次いでアルベックへの街道へと進むことになった。
 そしてウルムそのものは放棄することが決まった。砲兵を配置することができず、また占拠するために多数の兵が必要になることが理由だ。加えてマックは敵の目標がロシア軍に向いていると判断しており、その場合であれば自軍をガイスリンゲンとメミンゲンに適切に配置すればウルムが脅かされる危険は少ないとも考えていたという。
 Angeliによれば、以上はアーカイヴに残されているマック自筆の配置計画に記されている(Angeli, p407-408)。つまり、マックは兵力的に考えてウルムの防衛は難しいことに既にこの時点で気づいていた可能性があるのだ。後にマックはウルム内にとどまって抵抗を続けることを主張し、他の上級将校たちと対立するのだが、現実問題としてウルム防衛が困難なことには早い段階で気づいていた可能性がある。
 いずれにせよこの計画は実行されず、それどころか各部隊に送られることもなかった。マックが命令を記した9日には、既に新しいフランス軍の攻撃が行われていたためだ。

 ギュンツブルクのドナウ対岸には、ダスプレの部隊が敵の動向を探るため送り出されていた。だが9日の時点で彼らはギュンツブルクのすぐ近くにとどまっており、ドナウ左岸にいるフランス軍の動向をほとんど掴んでいなかったようだ。Angeliによれば彼らは前日8日にウルム方面へ下がるよう命じられ(p407)、また9日には軍主力がツスマーズハウゼンへと移動したのに合わせて歩兵3個大隊と騎兵部隊をドナウ右岸のライプハイムへと送り出しており(p408)、十分な偵察ができる状態になかった可能性がある。彼らは9日午後にギーンゲンとグンデルフィンゲンから来たネイ軍団の攻撃を受け、惨敗した。
 ただし公式戦史はダスプレについて「オーストリア軍によるドナウ左岸の偵察を任されていた」が「マレの前衛部隊に突然の奇襲を受け、再び河を渡る時間がなかった。彼の分遣隊は一瞬にして散り散りとなり、彼自身は捕虜となった」(p168-169)と批判的ともとれる書き方をしている。後にマックも「通常の用心は戦線に配置された将軍たちやその部下の仕事である」(p171)と書いている通り、ダスプレが無罪ということはないだろう。容易に指揮官自身が捕らえられてしまうようでは、最低限の警戒すらしていなかったと見られても仕方ない。
 左岸のダスプレ部隊を破ったマレ師団だが、右岸にはブルガウから戻ってきたオーストリア軍も加わって防衛線を敷いたため、容易に渡河はできなかった。だが夕刻、オーストリア軍は一度落としていたギュンツブルク東方の橋を再度架橋し始めた。この橋が完成したとき、フランス軍縦隊がそこへ駆け寄り、これを奪った。オーストリア軍は奪回のために反撃したが、夜の到来が彼らの攻撃を失敗に終わらせた。マックが考えていた左岸へ進出する計画のための渡河点は、こうしてあっさりと敵に奪われた。

 ギュンツブルクの戦い"http://www.napoleon-online.de/Bilder/Feldzug1805_Krauss10.jpg"で特にオーストリア側にとって問題になるのは、対岸に敵がいるにもかかわらず壊していた橋を修復したことだ。この橋は修復直後にフランス軍に奪われており、まるでフランス軍が使えるようにわざわざオーストリア軍が修理したかのようになっている。
 一体誰がこの橋の修復を命じたのか。実は明確に書いていない文献も多い。Maudeは「夕方に命令が与えられた」(p177)とだけ書いており、主語が見当たらない。Angeli(p408)にはそもそも橋を修復した話自体が載っていないし、Schönhals(p66)にも見当たらない。しかしいくつかの文献にはその名前が出てくる。その一例が公式戦史。そこには「この日、最も奇妙であった出来事はギュンツブルク下流の橋の建て直しであり、マックはフランス軍の目の前でそれを命じたのだ!」(p172)とある。
 ほぼ同じトーンなのが英語wikipedia"https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_G%C3%BCnzburg"で、曰く「マックはギューライに径間を修復し、そこを渡って北岸に橋頭堡を作るよう指示した」と書かれている。そこで脚注に上がっているのがKaganの本"https://books.google.co.jp/books?id=XZdjTr7DCcgC"。彼はマックがドナウ左岸に渡る方針を決め、「ギューライがそれに従って[修理のために]橋へ送られた」(p409)と書いている。
 論拠になっているのはフェルディナントの記したAccount of the Battle of Günzburgなる史料と、Kraussの著作である1805 der Feldzug von Ulm"https://archive.org/details/1805ieachtzehnhu00krau"だ(Kagan, p707)。またMorigglの本"https://books.google.co.jp/books?id=KShYAAAAcAAJ"にも、ドナウ左岸への進出をもくろんだマックができるだけ早くドナウに架かる橋を直すよう命じたという話が載っている(p123)。
 ただしマックが現場で陣頭指揮したかどうかは、実は明確ではない。英語wikipediaを見るとそのように読めなくもないのだが、Kaganの本や公式戦史などはそこまでは書いていない。中にはSchneidawindの本"https://books.google.co.jp/books?id=VyBYAAAAcAAJ"のように、マックはネイ襲撃をフェルディナントに任せ、自らはブルガウへ向かってそちらの敵を牽制したと書いている例もある(p86)。
 橋の修復命令が元をただせばマックに由来する可能性は高い。彼は結局送らなかった9日付の命令において「軍は今夜、ギュンツブルク街道橋[ギュンツブルク下流の橋]でドナウを渡り、グンデルフィンゲンとギーンゲンへの街道を行軍する」(Krauss, p359-360)と述べている。実際に修復にあたったギューライが最終的に命令を受けたのは同日「夕方」(p370)であり、それもやはりマックから出されたと考えておかしくはないだろう。ただしマックが現場まで来て指揮したと述べている史料は見当たらない。
 オーストリア側にも言い分はある。Kraussによれば「マックはフランス軍主力がドナウヴェルトとその東方でドナウを渡ったという信頼できる報告を受けており、したがってギュンツブルクへの行軍では少数のグループとしか遭遇しない」と考えていた可能性があるという。そもそもフランス軍は3つの縦隊に分かれて攻撃を行ったのだが、修復した橋にやってきた縦隊は予定より到着がかなり遅れていた。だからこの方面から攻撃はないと考えたマックやギューライらが橋の修復に努めたのも無理からぬ話だろう。要するに彼らは運が悪かったのだ。
 ただしMaudeによるこの戦いの記述が公平であるかどうかについては疑義もある。彼はこの戦いについて、ダスプレの対応に対する皮肉を述べている他は事実についての記述に終始している。それは「最も奇妙な出来事」であった橋の修復についても同様。マックにとって都合の悪い部分については手加減している、という風に読めなくもない。

 以下次回。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック