ウルム戦役 6

 承前。皇帝の合意を得たマックの作戦に従って西進を続けたオーストリア軍は9月末にイラー河周辺へと集結した。およそ歩兵20個大隊と騎兵40個大隊の前衛部隊はイラーの対岸、ドナウ河とコンスタンス湖の間に宿営し、主力軍はイラーとレッヒ間にあったため、必要なら3~4日以内にウルムまたはメミンゲンに集結できる状態となった。全体の戦力はおよそ歩兵80個大隊(3万5000人)と騎兵100個大隊(8000騎)。さらにイェラチッチとアウフェンベルクの歩兵5個連隊と騎兵2個連隊の増援が期待されていた。
 これらの兵力以外に歩兵20個大隊と騎兵34個大隊から成るキーンマイアーの部隊が9月23日にノイブルクとインゴルシュタット周辺で編成された。加えて最終的には10月20日にもレッヒに来ると見られていたロシア軍5万人から6万人が加わることになっていた(Angeli, Ulm und Austerlitz"https://books.google.co.jp/books?id=1LsaAQAAMAAJ" p401-402)。
 ただしこれらの移動は決してスムーズに進んだわけではないようだ。フェルディナントは10月12日に皇帝宛てに書いた手紙の中で「私とこの軍の最も権威がある将軍たち、シュヴァルツェンベルク公やギューライ、クレナウなどが[マックの計画に]反対を述べ、何度かその計画を変更させるのに成功した」(Angeli, p449)と記している。
 一方、マックの方も「[フェルディナント]殿下は8日まで完全に絶対的な力を持っていた(中略)例えば彼は陛下が出発した後に、私が行った兵と将軍たちの配置を取り消し、全く異なるものと変えたこともあった」(Eine Denkschrift des Generals Mack"https://books.google.co.jp/books?id=QPiEAAAAIAAJ" p22-23)と後に主張している。公式戦史"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k8730004"は両者の主張を踏まえ、「二次的な問題についてはいくつかの状況で大公が再び権限を握ったが、命令はマックから出ていたことを証明している」(p144)と解釈している。
 10月3日、オーストリア軍は公式戦史のp145-147(Maude"https://archive.org/details/ulmcampaign180500mauduoft" p103-104)に掲載されている場所に展開していた。即ちイェラチッチ部隊のうち2個旅団がコンスタンス湖周辺に、シュヴァルツェンベルクとクレナウの部隊がコンスタンス湖とイラー河、ドナウ河に囲まれた辺りに、リーシュの部隊が第二線のイラー河とレッヒ河の間に、ヴァ―ネックの部隊も同じ辺りに、そしてキーンマイアーが最後方のノイブルクとインゴルシュタット付近にいた。
 その兵力は合わせておそらく7万人を超える水準まで達していたが、彼らは広範囲にまとまりなく散らばっている状態にあった。例えばキーンマイアーの部隊はミュンヘンに1個大隊、ノイブルクに3個大隊、インゴルシュタットに3個大隊と騎兵16個大隊、アイヒシュテットに騎兵8個大隊、エルヴァンゲン正面に4個大隊、そしてアンベルク街道上に2個大隊がいたうえに、5個大隊と騎兵4個大隊がボヘミアから移動中。他の部隊も似たようなもので、まとまって戦える状態にあった部隊は限られていた。
 そしてこの、司令部内でも各部隊の配置でもまとまりを欠いていたオーストリア軍のすぐそばまで、危機は迫っていた。

 9月29日、ヴュルツブルクからやって来たブオル=シャウエンシュタイン男爵が、オーストリア軍司令部に情報を伝えた。ベルナドットの部隊がバイエルン軍と合流し、6万人まで兵力を増やすよう計画しているというものだった(Schönhals"https://books.google.co.jp/books?id=yD5aAAAAcAAJ" p47)。この情報に対するフェルディナントとマックの感度には大きな違いがあった。
 フェルディナントは2日付の皇帝への手紙において「敵のさらなる前進は間違いなく私の右側面を脅かし背後に回ろうとする意図に従ったものだ。フロイデンタール、クニービスとシュヴァルツヴァルトの高地を占拠した後、この方面における敵の前進は極めてゆっくりしていた。だが中央部での敵の動きは極めて異なっていた。早ければ1日にはシュトゥットガルトが占拠されており、そこに3万人が合流していた。ベルナドットとマルモンは[9月]29日にはビショフスハイムに到着しており、もしかしたらボヘミアに対して、だがよりありそうなのはドナウヴェルトに対して行軍するように思われた」(Angeli, p440)と述べている。
 その後のフランス軍の行動を見る限り、この推測は正しかった。だがフェルディナントと異なり、マックがこのような想定を受け入れるには時間がかかった。匿名のオーストリア軍参謀大尉は「新聞は[敵の動きについて]羅列することをやめず、うんざりするまで彼らが進む方角を繰り返した」(公式戦史、p148)と、相次いで敵の情報が入っていたことを認めているが、マックは「頑固にもそれがとても重要でない[ママ、重要であるの書き間違いか]ことを受け入れず、ブローニュとストラスブールの距離がウィーンからウルムまでと比べて遠いわけではない点を真面目に計算しようとしなかった」と記している。
 実際、シュヴァルツヴァルト方面からの敵に備えて展開していた兵の配置を変えるようマックが命令を出したのは、フェルディナントの手紙から2日後の10月4日(Maude, p164)。しかもその時点になってもマックは単に敵主力がバイエルン軍と合流しようとしているだけだと考え、背後への迂回策があると見てはいなかったようだ(Angeli, p403)。彼はリーシュをウルム周辺に、アウフェンベルクと合流したヴァ―ネックをギュンツブルクとラウプハイムに、シュヴァルツェンベルクをゲグリンゲンとグリンメルフィンゲン付近に7~8日までに集めるよう命令を出した。
 翌5日になるとドナウ左岸におけるフランス軍の動きはより明白になった。にもかかわらずマックはなお敵の意図を見抜くことができず、フランス軍はウルムへの攻撃とボヘミア侵攻を組み合わせて行うものと想定していたらしい。アンスバッハの中立に守られていることもあってドナウ方面へ来ることはないと判断したマイン河方面のフランス軍とバイエルン軍を除けば、敵は最大で6万人から8万人となり、オーストリア軍とほぼ同数だ。そこでマックはドナウ左岸へ進出して敵を迎え撃つ策を講じた。
 主力は前日の命令通りに展開するが、前衛部隊は右翼でギーンゲンからガイスリンゲンへ、左翼ではエーインゲン(Angeliはエルヒンゲンと書いているがおそらく誤り)からブラウボイレンへ前進するよう命じられた。コンスタンス湖近くにいたイェラチッチには引き続きシュヴァルツヴァルト方面を監視させるが、敵の動きがなければリートリンゲンかエーインゲンで渡河。ノイブルク周辺のキーンマイアーと合わせ、左右両翼から前進してくる敵の側面を突く準備をした(Angeli, p404-405)。

 つまり、実際にフランス軍がドナウ河に到着する前日になってもなお、マックは敵の意図を完全に把握してはいなかったことになる。他の将軍たちも同じであれば別にマックだけが悪いとは言えないが、既に3日前の時点でフェルディナントが敵の作戦をほぼ読んでいる状態だっただけに、この場面でマックを擁護するのは極めて難しい。
 その彼をMaudeはどうやって擁護したのか。簡単だ。都合の悪いことは無視すればいい。そもそも彼の判断に問題があったと思われる記述を一切排除することで、Maudeはこの10月上旬におけるマックの判断ミスがまるで存在しなかったかのようにしてみせた。マックより前にフェルディナントが敵の意図に気づいた点にも、シュヴァルツヴァルト方面から敵が来ないことに気づいた後もなおマックがフランス軍の意図を読み損ねていたことにも、Maudeは全く触れていない。
 代わりにMaudeが記述しているのは、4日に命令を出す際にマックが部隊の再編を行った点だ(p164-165)。戦役のさなかに部隊編成まで手を付けるのはMaudeの時代には考えられない対応だが、ナポレオン戦争期のオーストリア軍では決して珍しくはなかった。だからMaudeが「今日の原則を昔の慣習に当てはめるのは良くない、なぜなら一般的にそうしたものが存在したのには相応かつ十分な理由があったからだ」と書いているのは妥当なところだろう。
 しかし、より重要なマックの戦況把握能力の実態について触れていないのは問題だ。特に公式戦史にも載っている(p144-145)フェルディナントの10月2日の手紙について全く無視しているのは、自説を補強するため敢えて都合の悪い点を隠そうとしたともとれる対応で、非常に印象はよくない。
 一方、5日になってフランス軍の一部がボヘミアに向かっていると解釈した点については公式戦史では曖昧にしか書かれていない(p150)ため、Maudeがこの点に触れなかったのは仕方ないようにも見える。だが上でも指摘したようにこの話はAngeliのUlm und Austerlitzには掲載されている。この本はMaudeの手元に存在したはずであり(Maude, p87)、にもかかわらずこの話に触れていないのは彼の史料の読み込みが浅かったことを示している。
 若く経験に乏しいフェルディナントですら予測できたことをマックは全く見通せなかった。そしてこの後も、彼の戦況判断と決断には常に疑問符が付いて回ることになる。

 以下次回。
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