ウルム戦役 1

 しばらくNFLにかまけてナポレオニック関連の更新をさぼっていたので、久しぶりにそちらを。

 MaudeのThe Ulm Campaign"https://archive.org/details/ulmcampaign180500mauduoft"についてはこれまでも取り上げたことがあった("https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/44538531.html"など)。1805年戦役全体ではなくウルム戦役のみに焦点を当てた本は英語圏でも珍しく、彼の書物はその意味で貴重な存在だと言える。
 一方、彼がこの本で示した見方が決して一般的でない点にも注意する必要があろう。彼はこの本の中でオーストリアのマック将軍をほぼ全面的に擁護し、むしろ彼の上官フェルディナント大公とそれを取り巻く廷臣たちこそが問題だったと見ている。マックはむしろ失敗を贖う犠牲になったというのがMaudeの主張だ"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/ulm.html"。
 通常の歴史書では彼の扱いは違う。ウルムでの敗北はマックによる拙い指揮が理由とされており、あるいはスパイのシュルマイスターにあっさりと騙された結果だと解説されている。もちろん、後者は間違い"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54164991.html"だが、前者についてはそういう指摘が大半なのは事実。あくまでMaudeが例外的な存在だと考えた方がいい。

 Maudeは何を根拠に通説に反旗を翻しているのか。彼の本によれば、マックはフランス革命軍との戦いを通じて「国家の強さは個々の兵士の戦う意思により依存」しており、フランス軍の成功は「主に機動性に、次に指揮官の性格に、そして最後に国民が戦う大義に」由来していることを信じていた(p87-88)。そうした彼の信念は、より古い戦争観を持っていたオーストリアの他の指揮官たちとの対立を招き、それがウルムの敗北につながったことになる。
 何よりもそれを象徴するのが、フランス軍に退路を断たれた時点で起きた彼とその部下たちとの対立だろう。マックは救援が来るまで抵抗を続けるべきだと主張したが、部下たちはそれよりもウルムを明け渡す代わりに味方の戦線まで無傷で後退するのを認めるようフランス軍と交渉すべきだと主張した。Maudeは「1年数ヶ月後にはプロイセンですら、マック将軍ほど恵まれていない立場にあった[状態で降伏した]者たちを裁判にかけて死刑を宣告している」(p246)と指摘し、この時点で早々にウルムを諦めようと進言した者たちこそが問題だとの見方を示している。
 Maudeの視点は、19世紀末から20世紀初頭にありふれていたナショナリスティックな背景に基づくものと言えるだろう。安易な妥協より戦いをという主張は、帝国主義的な空気に広く覆われていた当時においては受け入れられやすかったのではないか。ただし、Maudeが言うようにこの当時のマックの状況が1806年に相次いで降伏に追い込まれたプロイセンの各要塞と比べてずっとマシであったかは、もっときちんと調べる必要がある。そしてそこに至るまでのマックの行動も批判的に見ていく必要があろう。
 その際に参考になると思われるのが、フランス軍の公式戦史とも言えるLa Campagne de 1805 en Allemagneだ。以前にも紹介した"https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/53822727.html"が、この本は全部で5巻7分冊に達するものであり、しかしinternet archiveでは一部しか読めなかった。だが今回、改めて探したところ、Gallicaに第2巻"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k873007s"及び第4巻"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k8730085"があるのを発見した。また既にネットで見られる巻についてもgoogle由来のものよりはいいスキャン状態で読むことができる。
 残念ながら第5巻だけは見つからないものの、ウルム戦役について言及している第3巻の第1分冊"http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k8730004"は全部読むことができる。あくまでフランス側戦史なので収録されている文献はフランス側のものばかりだが、序盤で紹介されている戦役の大きな流れの中にはオーストリア軍に焦点を当てて詳細に書いているところもあるし、その中には1次文献からの引用も多く載っている。
 そして何より面白いのは、この本を参考にMaudeを読むと、全然別の読み方ができるところにある。はっきり言うとMaudeの本のうち、オーストリア側に関連する部分はほぼフランス軍公式戦史の丸写しだ。だが公式戦史は決してマックを擁護していない。むしろMaudeも言っているように彼らはマックを「手厳しく非難している」(Maude, p87)。つまりMaudeは公式戦史から大量の引用をしながら、一方で公式戦史とは全く異なる見解を主張していることになるのだ。

 Maudeが他の文献を参照していないわけではない。例えばオーストリア側の史料を使いながら書かれたMoriz Edlen von AngeliのUlm und Austerlitz("https://books.google.co.jp/books?id=1LsaAQAAMAAJ" p395-510)なども、史料の1つとして文中で言及されている(p87)。しかしそれはただ1ヶ所だけ。大半はフランス軍公式戦史由来である。
 何しろマックが戦後に記した弁明のための文章についても、Maudeは「オリジナルの写しは英国内では見つけられないため、フランス軍公式戦史から引用した」(p167n)と書いている。彼がマックの弁明について原文を見ていないのは、この弁明の表題を常に"Mémoires justificatifs"と記していることからも分かる。もちろん実際の題名はこのフランス語表記とは異なり、ドイツ語で"Punktationen zu meiner Relation"(Angeli, p463n)となる。
 さらに言うならこのマックのPunktationenは、1873年に出版されたHistorisches Taschenbuch"https://books.google.co.jp/books?id=QPiEAAAAIAAJ"の中に原文が掲載されている(p1-110)。当時この本は英国に輸入されていなかったか、あるいはMaudeが手に入れられる範囲では存在しなかったのだろう。幸い、フランス軍公式戦史はこの原文からかなり大量の引用をしているため、Maudeはマックの言い分を紹介するのに困ることはなかった。
 だとしても、マックを批判している文献にほぼ全面的に頼りながら、一方でマック擁護を目指す議論を展開するのが、かなりアクロバティックな取り組みであることは間違いない。Maudeはこの困難極まりない作業に挑み、そして正直言うとあまり成功しなかったように思える。フランス軍公式戦史を読んだ後でMaudeの文章に目を通すと、彼の議論には実はかなり粗が目立つことが分かるのだ。

 Maudeはウルム戦役と同様に、通説とは異なる議論をThe Jena Campaign"https://archive.org/details/jenacampaign180600maud"でも展開している。ベルナドットの行動を批判する声が多い通説に対して、敢えてベルナドット擁護に回っているあたり、The Ulm Campaignで取り組んだのと同じようなことをしていると言えなくもない。
 ただしイエナ=アウエルシュテットについていえば、Maude以外にもTiteuxのようにベルナドットを擁護している主張を見つけることはできる"https://archive.org/details/legnraldupontune01tite"。ソースを見つけ出す手腕については突出しているTiteuxは、デュポン師団や第1軍団の史料まで発掘し、ベルナドット擁護のための根拠を提示している(p362-365)。1806年のベルナドットを擁護するのは、だからそれほど難しくはない。
 でも1805年のマックを正当化しようとするのは、実はかなり困難だ。MaudeにTiteux並みのソース発見能力があれば可能だったかもしれないが、そもそもオーストリアではなく英国の人間だったMaudeにそこまで求めるのは無理だろう。自分の主張を裏付けるソースのない状態で、彼はいったいどうやってマックを擁護しようとしたのか。
 長くなったので以下次回。
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