変革の条件・下

 火薬兵器を持続的に発展させる条件が西欧にそろっていた一方、ユーラシアの他地域にはその条件が存在しなかったというのが、HoffmanのWhy Did Europe Conquer the World?が唱えている「トーナメント・モデル」による説明だ。それではなぜ西欧にはその条件があり、他地域にはなかったのか。
 ジャレド・ダイアモンドは「銃・病原菌・鉄」"http://www.jareddiamond.org/Jared_Diamond/Guns,_Germs,_and_Steel.html"の中で、地形など環境の違いに由来するという見方を示した。これはジョーンズの「ヨーロッパの奇跡」でも唱えられた説であり、入り組んだ海岸線や山地によって欧州は例えば中国などに比べて統一が難しかったとしている。しかしHoffmanはこれを否定。山地ならどんな指標を見ても中国の方が多いこと、イタリア半島やイベリア半島は統一されていない時期が長かったことなどを指摘している。
 アセモグルらが書いた「国家はなぜ衰退するのか」"http://whynationsfail.com/"では環境要因よりも制度を重視している。だがHoffmanは特に制度に焦点を当ててはいない。彼によれば「歴史こそが究極の原因」であり、つまりその時点までに各地域がたどってきた歴史的な経緯こそが火薬兵器の発展に必要な条件をもたらすかどうかを決めたという。
 重要なのは、こうした歴史的経緯はかなり偶発的に決まってくること。例えばカール大帝の子孫が彼の帝国を分割しなければ、あるいはモンゴルが中華帝国を征服しなければ、おそらく火薬兵器の発展は異なる歴史を歩んでいた、というのがHoffmanの考えだ。こうした歴史的な出来事は環境や制度といった条件から必然的に導き出されるものではなく、従って火薬の発展が西欧で起きるのが必然だったとも言えないことになる。

 西欧に一連の条件をもたらした歴史的経緯はローマ帝国の崩壊時に遡る。西欧にやってきた蛮族の戦士たちがもたらした文化は、自らが属するグループのために命を懸けて戦い、他のグループに対して高い敵意を示すという「狭量な利他主義」と呼ばれるものだった。同じような文化は実は現在も存在し、例えばアマゾン地方やパキスタンの支配が行き届いていない地域などに見られる。Hoffmanはケニアのトゥルカナを例に挙げ、そこでは思春期から親になるまでの間に男子の14%が、親になった後でも9%が戦争で死んでいるという。
 こうした社会では戦争とその勝利が高い価値を持つ一方、戦争に参加しない「ただ乗り」メンバーは大きなペナルティを受けるようになるため、メンバーの大半が真面目に戦争に加わるようになる。そうした文化を持つ政治集団が一度成功を収めれば、周辺の政治集団も同様の対応を取るようになり、いわば正のフィードバックが働いてこの文化が広がりを見せる。ローマ帝国崩壊後の西欧は、こうした流れがずっと続いていた地域だった。
 戦争の価値が高い一方で戦争に向けた資源を低コストで投入できるこれらの地域は、トーナメント・モデルが成立しやすい地域だった。加えてステップ地域から遠く火薬兵器の使用に向いており、そこに目新しくまだ発展余地が多く残された火薬兵器が伝わった。一度その発展が始まれば、隣接する諸勢力は低コストで新しい技術が使用できるようになり、それがまた火薬技術の進化をもたらした。
 しかし他地域は西欧とは違う歴史をたどった。いつまでも「蛮族の戦士」たちの文化が残るのではなく、統一国家によって暴力の一元化と平和がもたらされ、狭量な利他主義が長く続くことはなかった。あるいは常にステップ地域の遊牧民という敵が存在し、それが火薬以外の技術への投資を増やす要因になった。そうした変化は過去の歴史的な経緯がもたらしたものであって、その意味では偶発的だったが、決定的でもあった。
 もし別の偶発的な出来事があれば、歴史の流れは変わっていたかもしれない。カール大帝のフランク王国が分裂することなく存在を続けていれば、西欧を席巻した戦士の文化はやがて衰えたかもしれない。帝国は東欧のステップからの遊牧民対策をむしろ重視し、火薬兵器より騎兵に資源を注ぐようになった可能性もある。
 もし戦国大名たちが史実より海軍づくりに力点を置いていれば、秀吉以降も大陸進出を試みる流れが続いていた可能性がある。ゼロから海軍を作るとなればコストが問題になるが、既に存在し既得権となっているなら、次の行動を決めるうえでコストがマイナス要因になることは少ないだろう。ただ日本では戦国時代以前も含めて水軍が戦争の主役になったことがないため、この条件達成は難しいかもしれない。
 ムガール帝国が1世紀早く崩壊していれば、英国のインド支配もなかったかもしれない。ムガール後に成立した各政治体制は、必要な税金を集める能力などに乏しかった。彼らが1世紀早く自立し、地方の有力者と妥協して戦争に向けた資源投入がよりやりやすい体制を作っていれば、英国東インド会社による支配を防ぐことができたかもしれない。
 そして最も興味深いのが、モンゴルによる中国支配がなかった場合だ。金、西夏、南宋の3国鼎立が史実のように途中で終わるのではなくもっと長く続いていれば、おそらく火薬兵器の発展は中国でも続いていた。その場合、特に南宋は19世紀になっても一定の強さを維持し、西欧による世界支配の過程で日本と並んで東アジアから列強に加わることができたかもしれない。そして19世紀のうちに西欧を追って産業革命に突入することもあり得ただろう、というのがHoffmanの考えだ。

 中国の、特にステップ地帯から離れた地域における分裂が、火薬兵器の発展を加速した一因ではないかという指摘は私が思っていた点と共通している。徳川幕府の成立後も日本が東アジアの戦乱に加担していれば、やはり火薬兵器の発展が続いたのではないかという「歴史のif」についても、以前に述べたことがある"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54574415.html"。その意味ではHoffmanの考えには賛同できる部分が多い。
 もう1つ、彼が重視しているのが西欧における「軍事アントレプレナー」の活躍なんだが、これも火薬兵器の開発で主役となったのがギルドであったという指摘"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56006047.html"と平仄が合う。ただしHoffmanのいうアントレプレナーは単なる武器開発製造だけにとどまらない。大規模なものでは東インド会社がそうだし、あるいはピサロやコルテスといったコンキスタドールたちも同じだ。考えようによっては火薬登場以前の十字軍も、ある意味で軍事アントレプレナーによる事業の一種と言えるかもしれない。
 民間事業者の取り組みは、まだ資源の調達力に欠けていた時代の国家にとって、手っ取り早く自らの支配地域を広げる手段となった。もちろんこれは諸刃の剣で、時にはヴァレンシュタインのように民間事業者が力を持ちすぎて国家を脅かすこともあった。それでも西欧で民間事業者が政府に対して自立的な力を持っていたのは、西欧の支配にとってトータルではプラスだっただろう。開発主体の増加で技術発展が加速したうえに、征服事業も多様な手段で行えた。他地域の民間事業者にそれだけの力がなかったのは史実を見ても明らかである。

 もちろんHoffmanの意見の全てが正しいというわけではないだろう。Turchinは彼の議論を、特に定量的なデータを多く示している点について評価しながら、一方で例えば西欧の文化が戦争の勝利に特に高い価値を置いたとの指摘については疑問を示している。1450年に500ほどあった政治体制が1914年には30まで減少するなど厳しい生き残り競争に晒された地域で、結果的に軍事的価値を評価する国が生き残っただけかもしれないからだ"http://peterturchin.com/cliodynamica/why-did-europe-conquer-the-world/"。
 もう一つ、Hoffmanが軍事技術を重視しすぎている可能性がある。彼が焦点を置いているのはどうして西欧で火薬技術が発達したのかという説明だが、そもそも本当に火薬兵器の発達が西欧による世界支配の最大の理由だと言えるのか、という指摘は常に存在するだろう。いやむしろ最近は火薬兵器の発達が始まった1500年前後の「小分岐」より、産業革命の始まった1800年の「大分岐」を重視する議論の方が多い"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55936902.html"。
 Ian Morrisの社会発展指数"http://ianmorris.org/docs/social-development.pdf"で言うなら、戦争技術に関して1500年に西洋が東洋を抜いたことを重視している一方、社会発展指数全体で見れば西洋が東洋を上回ったのがようやく1800年になってからであった点を、Hoffmanは軽視している。これはどちらかと言うと古い「軍事革命論」に基づく発想であり、最近の流行とは違っているように見える。
 個人的に経済学畑の人物は大分岐を、歴史学畑の方は小分岐を重視する傾向があるように思える。Hoffmanは「ビジネスエコノミクス」と「歴史学」双方の教授だが、経済学と言っても理論より経済史が中心"http://www.hss.caltech.edu/content/philip-t-hoffman"のところを見ると、より歴史学的な視点が強いのかもしれない。
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