変革の条件・上

 以前「中国と欧州とで[火器の]進化の速度が違うように見える」"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56010397.html"件について言及したことがある。火薬を発明した中国で火薬を使った武器の進化が時に止まったように見えるのに対し、欧州では導入直後から大きな発展が確認できたのはなぜか、という問題だ。今回、これに関して論じた本を見つけた。
 Philip T. Hoffmanの書いたWhy Did Europe Conquer the World?"http://press.princeton.edu/titles/10452.html"がその本だ。題名を見れば分かる通り、もともと「大分岐」"http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0808-2.html"や「ヨーロッパの奇跡」"http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0389-7.html"、あるいはイアン・モリスの本"http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480861276/"などと同じ関心から書かれた本である
 だが内容的には上記の書物より狭い範囲に関心が向いている。具体的にはKenneth ChaseのFirearms"http://www.cambridge.org/ca/academic/subjects/history/regional-history-1500/firearms-global-history-1700"やTonio AndradeのThe Gunpowder Age"http://press.princeton.edu/titles/10571.html"といったもの、及びこのblogで何度も触れてきたテーマと同じだ。つまり、なぜ火薬兵器は欧州で大発展を遂げたのか、という問題意識が中心となった本である。

 なぜ「欧州の世界征服」と火薬兵器の発展がほぼ同義になっているのか。著者の言い分"http://press.princeton.edu/chapters/s10452.pdf"によれば、欧州が世界を征服した論拠として唱えられている説明は2種類しかなく、そのうち「疫病が原住民を根こそぎにした」という説明はアメリカ大陸を征服した要因としても不十分だし、それ以外の征服については全く説明できない。となると残る「火薬技術」による説明こそが「欧州の世界征服」をもたらした最大の原因となる。
 ではなぜ火薬技術が欧州で、特に西欧で発展したのか。著者は「トーナメント・モデル」なる理論を提示する。戦争での勝利を賞品としたトーナメントが西欧で繰り広げられ、それが火薬技術の急速な発展に貢献したというモデルだ。数式込みでなされるモデルについての説明は面倒なので省くが、著者はこのモデルが実際に西欧で起きた技術革新を上手く説明するものだと主張している。
 さらにモデルから、火薬技術を進歩させるために必要な条件も導き出せる。まず西欧主要列強が絶え間ない戦争を続けていた点が重要だ。西欧列強にとっては、戦争に必要なコストに比べて戦争で得られる「賞品」が大きかったことに加え、争い合う両国のコストが似たような水準であったことも、戦争が繰り返される要因だったという。一方が強すぎれば戦争にならない、というわけだ。
 次に必要なのは列強の支配者たちが多量の資源を戦争に投入したこと。限られた資源しか投入できない状態では戦争技術の発展はもたらされないという。3番目は彼らが戦争において火薬技術の使用に注力したこと。Chaseが論じたように、遊牧民相手に火器をあまり使わないような戦争をしている場合には、やはり火薬技術の発展はもたらされないようだ。
 最後に必要なのが、最新の軍事イノベーションを低コストで入手できること。西欧では特に初期の火薬兵器開発で主役を担ったのが民間人であり、彼らが新しい技術をどんどん取り込んで君主たちに売り込んでいたことはこれまでも書いているが、そうした環境が技術発展には必要だったようだ。逆に西欧から遠い地域では最新技術を入手するコストが高くなり、技術発展の障害になる。
 中世末期から近代初期にかけてこうした条件が整っていたのは、ユーラシア各地の中で西欧だけだった。そしてそんな西欧に、当時の最新技術であり、まだ多くの発展余地を残していた火薬が伝わった。もし伝統的で長い間使われていた技術であれば、既にその使用法は十分に開発済みで急速に発展することもなかっただろうが、火薬はイノベーションの余地を残した技術だったため素早い変化が起きたのだという。そして変化に遅れた地域との間に極端な技術力の差が生まれ、それが実際に欧州による世界征服の大きな原因になった、というのが著者の主張だ。

 逆に言えば、ユーラシアの他地域は著者の言う4つの条件の一部は満たしていても、全てを満たすケースが存在しなかったことになる。著者が西欧との比較対象として分析しているのは日本、中国、南アジア(インド亜大陸)、オスマン帝国、東欧(ロシア)だ。それぞれの状況は以下のようであった。
 日本は16世紀には西欧と似た情勢にあった。戦国大名は互いに絶え間ない争いを繰り返しており、その動員力の高さを見れば彼らが割と低コストで大量の資源を戦争に投入できた可能性は高い。また彼らの相手は主に他の戦国大名であり、どちらも火薬兵器を使っていた。西欧から離れていたため最新技術が低コストで入ってくるという条件は十分ではなかったが、それ以外はかなり条件を満たしている。
 だが徳川幕府による統一以降、何より重要な最初の条件がなくなった。もちろん彼らが豊臣秀吉のように対外戦争を続けていれば引き続き火薬技術の発展が見込めたかもしれないが、対外遠征にかかるコストは高すぎ、戦争の継続を妨げる要因となった。もし戦国大名たちが史実より海軍整備に力を入れていれば状況は変わったかもしれないが、実際はそうはならなかった。
 中国ではそもそも最初の絶え間ない戦争という条件自体が成立していない。帝国が崩壊する時期に戦乱が訪れる場面はあったが、新たな帝国ができれば平和になって兵器の発展は止まった。また国家が巨大すぎるため敵は遠方にしか存在しなくなり、遠征のコストはどうしても大きくなった。主要な敵が遊牧民で火薬兵器以外の使用が増えたことや、西欧から遠く最新技術のコストが高かったことも響いた。
 インドのムガール帝国は中国と同じような条件にあったと考えられる。ムガール崩壊後の18世紀には戦国時代が訪れ、技術発展に必要な条件の1つが満たされた。だがインドのイスラム諸勢力は徴税に際してヒンドゥー教の地域実力者に頼らねばならず、戦争のための資源調達コストがどうしても高くついた。彼らが最終的に英国東インド会社に敗れ去ったのは、そうした問題から技術発展で遅れた面があったためだそうだ。
 オスマン帝国もまた火薬兵器が主力になりきれない問題を抱えていた。遊牧民との争いだけでなく、地中海や黒海で主力となるガレー船が、大砲搭載に向かないことも足を引っ張ったようだ。また西欧各国が時とともに徴税能力を高めていったのに対し、スルタンの徴税能力は一向に上昇せず、戦争に投入する資源のコストが高くついたことも、特に18世紀になって彼らが技術的に遅れをとる要因になった。
 最後にロシアだが、こちらはオスマン帝国とは逆に18世紀になって西欧に追いつくことができた。当初、彼らの主な敵は遊牧民であり、またバルト海におけるガレー船の使用が中心だったため、火薬技術では後進国の立場にあった。だがピョートル大帝の改革を通じ、特に農奴を低コストで戦争に投入できる仕組みが出来上がったことが寄与し、彼らは次第に西欧の技術的優位を追いかけやすい立場になった。オスマン同様、西欧から比較的近く最新技術を低コストで導入できるという強みもあった。

 19世紀に入ると、それまで西欧諸国間で行われていた「絶え間ない戦争」が止まった。ナポレオン戦争後、第一次大戦までの間、欧州での戦争はごく限定的にしか行われなかった。トーナメントの状況が変わったのだが、それでも技術発展が続いたのは従来の「実地試験」中心の技術発展が「研究開発」へとシフトしていったことが一因のようだ。また戦争はなかったが戦争に備えて多額の予算を投入する流れは続いており、これも技術の進歩に寄与した。
 もう一つ、この時期の技術進歩に影響したのは産業革命だろう。産業革命もまた戦争がもたらした連鎖反応の一つであるというのが著者の指摘。この場合、戦争で英国が勝利したことが重要だった。勝利によって交易の中心となった英国では都市部での仕事が増え、労働者の賃金上昇をもたらした。そしてこの高い賃金が、人の代わりになる機械を発明しようとするインセンティブになった。安い石炭、交易によって積み上げられた資本がその流れを支援し、そして産業革命が始まった。
 西欧が最終的に戦争技術の発展で最先端から脱落したのは20世紀に入ってからだ。それ以降の歴史において「トーナメント・モデル」が通用するかどうかは分からない。ただ、過去の説明という点で言えば、このモデルはなかなか興味深い面があると思う。

 長くなったので以下次回。
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