元代の銃砲は文献記録には十分に残っていないため、出土した現物を見てみよう。まず、製造年号がパスパ文字で記されている「元大徳二年」銅火銃("
http://www.readhouse.net/articles/221431590/"の下の方)だ。1298年製造のこの火器についてネット上で分かるデータは重さ6210グラム、全長347ミリということだけ。ただ写真を見れば口径が100ミリほどはあると思われることや、銃口部分が少し広がっていること、薬室に火門(タッチホール)があり、後部はソケット状になっていることなどが見て取れる。
間違えてはならないのは、これらの兵器は「据え付け式」のものであっても大砲と呼べるほどの大きさではなかったことだ。ロスフルト・ガンはたった9キログラムだったし、洪武五年の碗口銃でも15.75キログラムにとどまる。後の時代の大砲は、数百キロからトン単位の重さがあるのが普通。それに比べれば初期の据え付け式火器はやはり「小砲」でしかない。
手持ち式の武器は当然として、おそらくこの時代においては据え付け式の武器であっても、個人単位で運用することは十分に可能だっただろう。いやもしかしたら一人で複数の火器を扱うのも珍しくなかったかもしれない。使い方も目的も、後の大砲とはかなり異なるものだったと理解しておくべきだろう。大砲が生まれたのは、やはり14世紀後半の欧州であったと考えるのが適当だろう。
まだ続く。
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