サピエンス全史

 サピエンス全史"http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309226712/"読了。何というか非常にぼんやりとした内容の本だった。主張ははっきりしているのだが、その主張を裏付けるデータが曖昧かつ大雑把すぎて、どこまで信用できるのか怪しい。自説に都合のいい話をチェリーピッキング的に取り上げ、それを論拠に展開していくため、途中気になる部分が出てくるとその後の説が全て胡散臭く見えてきてしまう、という感じの本だ。
 特に私が引っ掛かったのが、下巻"http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309226729/"に出てくる火薬についての説明だ。著者は中国で道教の錬金術師が偶然に火薬を発見したと書いた後で、以下のように述べている。「ところが実際には、中国人はこの新しい化合物[火薬]を主に爆竹に使った。宋帝国がモンゴル人の侵略によって崩壊するときにも、中世版マンハッタン計画を実施して最終兵器を発明し、帝国を救おうとする皇帝はいなかった」(p75)
 中国人が火薬を主に爆竹に使ったというのは酷い偏見である。はっきり言うなら、歴史家として2周も3周も遅れた発言だ。NeedhamやPartingtonの本を読んで顔洗って出直してこい、と小一時間説教したくなるレベル。火薬発明からそれが欧州に伝わるまでの300~400年に中国の火薬兵器がどれだけの進歩を遂げたのか、それを知ってなおこの発言をしているのなら大ウソつきだし、知らないのなら残念だが歴史家としては失格だろう。少なくとも人類史を語るうえで大きな欠落を抱えているのは確かだ。
 西洋人だから中国のことを知らなかった、というわけでもない。なぜならその後で今度は欧州の歴史に触れ、「中国の錬金術師が火薬を発明してから、トルコの大砲がコンスタンティノープルの城壁を粉砕するまでには、600年の時が流れた」(p168)と書いているからだ。著者によればこの600年は「火薬の発明から(中略)アフロ・ユーラシア大陸の戦場で大砲が決め手に」(p75)なるまでの期間なのだが、なぜコンスタンティノープルの陥落以前から既に発達し、中世風の城壁を落としていた大砲の存在を無視しているのだろうか。
 ネットを見ても他に批判はある。例えば前半の主に進化論や生物学に関連した部分について、記述が浅薄であったり、あるいは通説の紹介にとどまり目新しい部分が見当たらないといった指摘などだ"http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20161101"。加えて、米アマゾンのレビューにも言われているように、特に後半になるほど事実に関する記述以上に本人の思想の方が前面に出てくるようになり、そういうものを予想していなかった読者にとっては残念な展開になる。
 あと、無駄に文章がくどい。これまた原文にも見られる特徴のようで、やはり米アマゾンのレビューでも批判されているのだが、もっと短くコンパクトにまとめることは可能だったはずだ。そうすれば文章は半分に削減できただろう。逆に不足しているのは上にもしるしたデータの提示。例えば7万年前にヒトの認知革命があったと主張するのなら、それ以前とそれ以降のホモ・サピエンスに関する遺跡の出土物に明確な変化が生じていることを定量的に示すべきである。少なくともそうした指摘をしている先達の論文なりを紹介するのが、文章に説得力を持たせることになる。
 もちろん著者が定量的なデータを全く示していないわけではない。発掘された遺骨に見つかった暴力を加えられた形跡、あるいは大型動物種の絶滅割合といったものは出てくるし、そうした部分は興味深い。しかしそれらはあくまで単発的に出てくるものであり、著者が定量的に自分の説を補強しようと取り組んでいる様子までは窺えない。そもそも採録されている図版の大半は写真であり、あとはイメージ図などが多い。グラフやデータをしるした表はほぼ皆無だ。
 ひと昔前ならこういう歴史書もありだったと思う。でも今の時代、多くのデータをネット上で見つけ、エクセルなどを使って簡単に加工できるようになった現代において、なおチェリーピッキングに頼った形で歴史全体を描こうとするのは難しいのではなかろうか。最近では神話ですら、系統解析といったデータを活用した分析の対象になっている"http://www.nikkei-science.com/201704_046.html"。歴史という分野が、いつまでも学者の思索に力点を置いた対象物でいられるとは思えない。
 それでも目新しい学説、見落とされていた事実などの紹介が中心の本だったら、ここまで不満を述べることもなかっただろう。だが残念ながらそうした部分は一部にとどまった。確かに書記体系の話や通貨による世界統一という切り口など、面白い部分も存在した。しかしそういう部分は限定的で、ページが進むにつれて読むのがつらくなるのは事実。特に後半になると、各所で指摘されているように本人のリベラル的な価値観が事実よりも表に出る割合が高まり、「歴史」を読みたいと思っていた者にとっては厳しい状態になる。

 歴史について一つの見方を示す取り組みとしては悪くないし、全体像を整理して大きな流れを把握しようとするうえではそれなりに役に立つ本だろう。でもそういう視点で読むのなら、やはり無駄に饒舌で長すぎるのも確か。ホモ・サピエンスがホモ・ネアンデルタレンシスらと袂を分かった時期を含めた流れならむしろ「人体600万年史」の方が丁寧に整理されている"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/56156115.html"。それ以降の歴史については、残念ながら目新しさに乏しいうえに説得力を増す努力が足りない。
 特に産業革命より科学革命を、つまり西暦1800年よりも1500年を重視するなら、その部分については是非ともより説得力のある論拠を示し、データと事実を積み重ねる記述に力点を置いてほしかった。その点は、繰り返しになるが認知革命についても同じ。一般的に農業革命と産業革命こそが重要とされている点に対して異論を展開すること自体は魅力的な取り組みだが、成功したとは言えないように思える。
 それでも取り組み自体が無駄だとは思わない。生物としてのヒトと、その文化をたどる歴史とを一つの軸でつなぐ努力はこれからも必要だろう。生物学と歴史学を分けて考えなければならない理由はない。今回の成果物の満足度は低かったが、今後はもっと納得できる「全史」を誰かが作り上げていくようにしてほしいものだ。
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