次は毒薬煙毬(56-57/208)。硫黄や硝石の他にトリカブト、ノコギリソウといったものを混ぜて製造しており、その煙を吸えば「即口鼻血出」という。さらに煙毬も含めて「砲放之」とあるので、やはりこれも開放型の兵器として予め火をつけておき、それから放り投げるように使うのだろう。
次に引火毬(185/208)。黄蝋、瀝青、炭末といった素材が使われているのだが、それが火薬になるかどうかは不明。ただ、その直後に書かれている「火薬法」の中に炭末、瀝青、黄蝋などを使うことが書かれている(186/208)ので、それと並べて読めば引火毬も火薬兵器のように見える。ただこの兵器は、他の火毬を放つ前に「以準遠近」のために使うともあるため、実際には火薬ではなく単に炎を上げるようになっているだけかもしれない。
さらに鉄嘴火鷂と竹火鷂(186/208)にも火薬が使用されているのは確かなようだ。いずれも「入火薬」のうえで「毬同」ように「以砲放之」となっているので、使い方は煙毬や蒺藜火毬と同じと考えていいだろう。
そして霹靂火毬(194/208)がある。ここにも「火薬三四斤」が使われていることが明確に記されている。また焼いた錐で点火するのも各種の毬と同じであるが、ただし使い方としては砲で放つのではなく、火をつけて扇で煽って敵を燻すというやり方を記している。開放型の兵器であるのは間違いないし、他の毬と同じように砲で放つことも可能だろうが、明白な言及はない。
以上が「毬」というジャンルにまとめられる兵器群である。最も基本的な使い方は火をつけたうえで砲を使って打ち出すというものであり、場合によってはぶら下げて煙を送り込むこともできる。空中に投じる場合でも、扇で煽ぐ場合でも、外部から空気を供給することはできるので、硝石比率の低い当時の火薬であっても問題なく兵器として利用できたと思われる。
次に、種類は少ないが火薬兵器としては最も早くから使われていた火矢がある。一つは火薬鞭箭(178/208)。竹を鞭のように使って矢を放つ兵器だが、火薬箭は火薬を鏃の後に付け、それを焼いた後に打ち出すとしている。火矢と同じものと考えていいだろう。
そこには「筒首施火楼注火薬於中」という言葉があるので、火薬が使わていることは明言されている。だが一方で「発火用烙推」という文言もその直後にあり、つまり点火のためには熱した錐が使われていることもまた明言されているのだ。おそらくNeedhamは、錐で火薬に点火し、その火薬がギリシャ火に点火するという手順を踏んでいると解釈したのだろう。
それに対して「中国、宋代における火器と火薬兵器」は、記述に残る曖昧さを指摘し「使用した人と文を記した人が同一ではない」可能性を考慮している。また点火に際して「黒色火薬を用いることが必要であるのか否かも疑問の残るところ」としている。実際、ビザンツでは火薬を使わずにギリシャ火に点火していたのだから、火薬が必須の兵器ではない。
以上の他に、武經總要には火薬の製造法が掲載されている。所謂「火薬法」(173-174/208)、蒺藜火毬の説明と同じ場所に載っている火薬法(185-186/208)などがそうだ。その他に毒薬煙毬(56-57/208)のところにも色々な成分が紹介されている。また硝石がないため火薬とは言えないが、糞砲罐法(175/208)というものもある。
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