価格革命の第1ステージにはまず物質的発展、文化的な確実性、将来への楽観がある。第2ステージになるとそれ以前の均衡を超える価格上昇が始まる。またこうした現象には一般的に野心的戦争など他のイベントが差し挟まれ、価格の上下が激しくなりそれが不安定さの要因となる。結果として政治的混乱、社会的分裂と文化的な不安の増大も起きる。
第3ステージになれば人々は価格上昇が避けられないものと感じ、それに対応した行動(買いだめなど)を取ることでさらに価格上昇を加速させる。第4ステージではインフレが頂点に達し、マネーサプライも激しく増減する。金融市場は不安定化し、財政は急速に悪化していく。あらゆる価格革命において最強の政府ですら財政的な困難に苦しむこととなる。最後のステージでは人口や経済の崩壊、革命や内戦といった事態が生じる。物価は急落し、それから70~80年にわたる均衡の時代になる。実質賃金は上昇するが資本や土地の収益は低下する。
特に厳しいのは第4ステージで、制度に対する不信が募る一方で精神的なものを求める傾向が強まる。カルトが勢いを増し、若者が文化的な無規範状態になる。こうした流れは個別の事象ではなく「システム」として生じるもので、いずれも正または負のフィードバックによって相互に関連している。
以上、大ざっぱな説明を読んだだけでもTurchinの議論と似ているのが分かるだろう。第1ステージはTurchinの用語で言えば成長局面、第2から第4まではスタグフレーション局面、最終ステージが危機局面だ。そしてFischerの言う「価格革命」の波に挟まれた革命のない時期がおそらく沈滞局面に当たると考えていいだろう。物価という切り口で永年サイクルを見た場合に何が見えてくるかについてまとめたものとも言える。
続く2度目の波、Fischerの言う16世紀の革命は1470-1650年まで続き、そして次の革命が起きたのは1730年となっている。Turchinの近代初期イングランドにおけるサイクルは1485-1730年をその期間としており、始まりは微妙にずれているが、終わりは完全に一致している。もしかしたらTurchinは永年サイクルの仮説を作り上げる過程で、Fischerの見解をかなり参考にしたのではなかろうかと思えるくらいの一致だ。
Fischerによれば最初の価格革命は1315-17年にピークに達したという。しかし黒死病の後は逆に急速なデフレーションが生じた。14世紀後半には価格は急落し、その後15世紀を通じて右肩下がりもしくは底ばいを続けたという。これらの時期は基本的に沈滞局面に当たると思われるが、Fischerはこれを「ルネサンスの(価格)均衡」と呼んでいる。
次の価格革命は15世紀末に近づいた頃から始まり、16世紀を通じてずっと右肩上がりとなった。最終的にピークが訪れたのは17世紀中ごろであり、Fischerの言う17世紀の危機が訪れた。この時期の文化には悲観主義と絶望が明確に記されているという。この危機が過ぎた1660年から1730年までは、再び価格の均衡、つまり「啓蒙主義の均衡」が訪れる。この頃からアメリカのデータも取れるようになるが、西欧と同様にこの時期は均衡の時期だったという。
ここで資料は皮肉を述べている。「この時期、多くの支配者が大王と呼ばれている。大王ルイ、フリードリヒ大選帝侯、フリードリヒ大王、ピョートル大帝、エカテリーナ大帝」「均衡の時代は支配する国王たちに優しい時期である。君主の偉大さに対する評価は、しばしば本人の資質よりも環境に依存しているものだ」
時代に恵まれた専制君主たちの後には、再び価格革命の時代が訪れる。18世紀後半から上昇を始めた物価は19世紀初頭にかけてピークを迎える。この要因についてFischerは、まず人口増の加速が物価上昇をもたらしたという。人口増の大きな理由は「世界は家族を育てるのによりよい場所になったように見えたという理由で、夫たちと妻たちがより多くの子供を持つ決断をした」ことにある。成長局面における大衆の判断が物価上昇の背景にあるというわけだ。
物価上昇の中で国家財政はやがて支出が収入を上回るようになり、借金を重ねていく。財政危機によって国債の価値は下がり利率は急上昇する。地代の上昇で金持ちはさらにいい生活を送る一方、賃金はたち遅れ、実質賃金は早くも1730年代には下がり始めた。文化的には悲観的なものが目立つようになり、宗教にすがる人々も増えてくる。そして財政破綻をきっかけに啓蒙主義の安定から革命の混乱へと西洋は移っていく。価格革命はナポレオン戦争の破壊を経てようやく終結した。
次に訪れたのが「ヴィクトリア朝の均衡」で、これは19世紀末まで継続したという。英国がナポレオン戦争における多大な負債を払いきることができたのは、この価格の均衡が長期にわたって続いたことが背景にあったのかもしれない。しかし均衡は永遠には続かない。19世紀末からは第4番目の価格革命が始まり、それが少なくともこの書物の書かれた20世紀末時点ではまだ続いている、というのがFischerの結論だ。
Fischerの議論で興味深いのは、Turchinに比べてスタグフレーション局面を詳細に分析できるところだろう。物価上昇が始まり、混乱が広がり始める第2ステージ、物価上昇を前提とした経済活動が広がりそれがさらにインフレを高進させる第3ステージ、物価のボラティリティーが高まり、金融市場が不安定になり、財政が悪化する第4ステージ。それぞれ足元の状況と照らし合わせるとどうなるか。
20世紀前半に起きた2つの大戦は第2ステージに生じる「野心的戦争」の枠組みに収まるだろう。一方、グローバルなマネーが投資先を求めて激しく動き回る現象はいかにも第3ステージ的であるが、それ以前から例えば日本で「土地神話」が生まれたのもこうした流れに位置づけることは可能だ。むしろヘッジファンドの登場などは第3ステージが極限に近づいている証拠と見るべきかもしれない。
そして第4ステージ。20世紀後半から強まった商品価格の乱高下、各国中央銀行による大量の資金供給、多くの国々で見られる財政悪化といった事象は、まさにこれに相当する。そう考えるとスタグフレーション局面もかなり末期に近づいているという分析は可能だろう。Turchinの言うように危機局面が接近している可能性は踏まえておくべきか。
もちろん、日本のように急激ではない緩やかなデフレが長続きするケースについて、Fischerの価格革命論はあまり上手い説明を与えてくれないといった問題はある。もしかしたら日本では危機局面が長期に引き延ばされた状態で既に訪れているのか、それとも米国がそうであるようにこれからまさに危機がやってくるところなのか、そのあたりは分からない。ただ世界的に言えばむしろ危機はこれからと考える方が辻褄が合うのも事実。グローバルに危機が訪れた際に、「日本は既に危機を乗り越えつつある」と涼しい顔をしていられるかどうかは不透明だ。
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