英訳本"
https://books.google.co.jp/books?id=nRtEAAAAYAAJ "では「果樹園からさらに下ったこの庭園こそ、第1軽歩兵の6人の兵がそこまで突入し、逃げ出すことができず、ねぐらにいる熊のように狩られ捕捉され、片方はカービン銃で武装していた2つのハノーファー大隊を相手に戦闘を行った場所である。ハノーファー兵はこの欄干に並びその上から撃ってきた。歩兵たちはフサスグリの茂み以外に隠れる場所もないまま大胆にも6人対200人で下から撃ち返し、15分で戦死した」と書かれている(p7)。
ソースとしてCharrasとユゴーがあることは前回も指摘している。その意味ではこの掲示板から新しい情報は得られなかった。だが、フランス側ではなく英国側の史料まで目を通すと、実は庭園内で戦闘が行われていた可能性を僅かであるが窺わせるものがある。
「日中を通じて戦闘は続き、敵はラ=エイ=サント近くから我らの陣地を攻撃し、時にウーグモンを奪取しようと努力した。ある時には中庭に通じるドアを突破してそこに入ってきたが、銃剣で攻撃され押し戻された。彼らは壁に梯子をかけて庭園へ入ろうと試み、そして翌朝私が調べたところ、3人から4人のフランス兵が実際に壁のてっぺんまで登ることに成功し、そこで殺されて庭園内に落ちていたのを見つけた。庭園の壁は約7フィートの高さがあった」
p307
トムキンソンの証言を信じるなら、会戦翌日に庭園内にフランス兵の死体があったことになる。彼はフランス兵が壁の上まで来て殺されたとしているが、実際にその場面を彼が目撃したわけではない。だとすれば本当は庭園内に突入したフランス兵との間で銃撃戦が行われていた可能性もある。明確な証言とは言えないが、Charrasの記述と並んで参考になるかもしれない史料だ。
トムキンソンは戦闘当日にグーモンにはいなかったが、彼の記録は日記であり書かれた時期は古い。一方、ウッドフォードは現場に居合わせたという強みはあるが、一方でその手紙は会戦から23年も後になって書かれたものである。どちらが正しいかという判断は、結局それぞれの証言ではなく物証によって下されるべきだろう。そして物証に従うなら、フランス兵はグーモンの庭園に突入したと考える方が辻褄が合う。
スポンサーサイト
コメント