肖像画の女

 ナポレオン漫画の今月号は対オーストリア戦役が終了。最後にさらっとラサールが死んでいるところが出てきたが、この漫画に出てきたのは確か初めてじゃないか。初登場が死体という残念な結果になってしまったが、例えばアスペルン=エスリンクで戦死したサン=ティレールなどと比べれば、出てこられただけでもましかもしれない。

 今回の主役はフリードリヒ・シュタップス"https://fr.wikipedia.org/wiki/Fr%C3%A9d%C3%A9ric_Staps"。彼については以前、こちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/6895944.html"で少し触れた。シュタップスが皇帝に接近しようとした際に最初に彼の前に立ちはだかったのが、実は参謀長ベルティエだったという話だ。
 その時に紹介したのはマテュー・デュマ"https://books.google.co.jp/books?id=ha7YCUNq_fsC"とラップ("https://books.google.co.jp/books?id=zGYRgbipIQkC"、英訳"https://books.google.co.jp/books?id=0gdBAAAAYAAJ")の証言。他に彼についてはどんな証言があるだろうか。まずはナポレオン本人だが、書簡集"https://books.google.co.jp/books?id=4JJpAAAAMAAJ"の中で彼がこの青年について触れたのはただ1ヶ所。10月12日付のフーシェへの手紙のみだ。

 「エアフルトのルター派牧師の息子である17歳の若者が、本日のパレードで私に接近しようとした。彼は士官に逮捕され、この小柄な人物は混乱しており、それが疑念を募らせた。彼は取り調べられ、短剣が見つかった。私は彼を呼び寄せ、そしてこの哀れな若者は、十分な教育を受けていたように見えたが、フランス軍の存在からオーストリアを解放するため私を暗殺しようとしたことを話した。彼は宗教的な熱狂や政治的熱狂とは無縁に見えた。彼はブルータスが誰かも知らないようだった。その精神的高揚がより多くを知ることを妨げていた。我々は彼が冷静になり腹を減らしてから尋問をするつもりだ。何でもない可能性もある。彼は軍法会議へと送られる。
 この出来事を見た目以上の騒ぎにしないため、そなたにこの話を伝えようと思った。彼が理解しないことを望む。もしそうなれば、この人物を狂人として扱わなければならないからだ。この件について話すことがないよう、秘密を守るように。この件はパレードに何の混乱ももたらさず、私自身も気づかなかった。
 追伸 繰り返すが、そなたも理解しているようにこの事実について質問は許されない」
p572

 とにかく騒ぎにしないことだけを考えている様子が伝わる。皇帝にとっては数多あるトラブルの1つに過ぎず、しかもそれをもたらしたのが頭に血の上った「哀れな若者」だったという認識であり、要するに些事でしかなかったのだろう。過去に何度も暗殺対象になったことのある彼にとっては、重要性に乏しい出来事だったんだろう。
 皇帝はセント=ヘレナでもこの青年の話をしており、ラス=カーズが記録を残している("https://books.google.co.jp/books?id=Oo0xAQAAMAAJ"、英訳"https://books.google.co.jp/books?id=rJ5IAQAAMAAJ")。短い記述だが、興味深いことにラップが言及していないやり取りが載っている。なぜ皇帝フランツに訴えなかったのかというナポレオンの問いに、シュタップスは「彼に! 何のために! 彼は取るに足らない人物だ! それにもし彼が死んでも、誰かが後を継ぐだけだ。でもあなたがいなくなれば、フランス軍はすぐにドイツから退却する」(p22-23、英訳p52)と答えたのだそうだ。
 サヴァリーもこの件について回想録("https://books.google.co.jp/books?id=NdZWAAAAMAAJ"、英訳"https://books.google.co.jp/books?id=tpw8AAAAYAAJ")で記しているが、内容がおかしい。彼によればシュタップスはパレード会場で実際にナポレオンの近くまで来て訛りの強いフランス語で話しかけたという(p141、英訳p151-152)。実際にはナポレオンがフーシェへの手紙で記しているように、ナポレオン自身はこの青年がパレード会場で不審な動きをしていたこと自体に気づいていなかった。
 サヴァリーはさらに彼が歴史を学んでおり、オルレアンの少女を模倣するつもりだと語っていたと記している(p142、英訳p153)。ブルータスすら知らなかったはずの人物にしては立派なものだ。また皇帝とシュタップスの会話も他の記録と違っている部分が多い。いつものことだが、彼の回想録は信頼度に乏しいと言わざるを得ない。
 ブーリエンヌもシュタップスの話を記しているが、彼はこの時期オーストリアにはいなかった。実際、彼の本("https://books.google.co.jp/books?id=PsQWAAAAQAAJ"、英訳"https://books.google.co.jp/books?id=2m0PAAAAYAAJ")を見ると、ほとんどがラップから聞いた話を紹介しているだけだ(p178-187、英訳p293-296)。ただシュタップスの暗殺未遂を10月23日、その処刑を27日としているのは、ナポレオン自身の証言と矛盾している。
 他にシュタップスの父親が残した記録などをまとめている1843年出版の本"https://books.google.co.jp/books?id=ZSs6AAAAcAAJ"もある。しかし、それらの中でも最も興味深いのは、帝国司令部の会計担当であったペリュスが残した記録"https://books.google.co.jp/books?id=gWsPAAAAYAAJ"だ。彼の記録は日付ごとにまとめられており、日記風なところが興味深い。ペリュスがこの時期のウィーンにいたのは、10月14日付で兄弟に宛てた手紙がシェーンブリュンから出されていることからも裏付けられる("https://archive.org/details/lettresinditesd00plgoog" p46-47)。
 ペリュスはこの青年の名をフレデリック・シュトラープスと記している。そこにはサヴァリーが書いているような話も、セント=ヘレナでナポレオンが語ったような皇帝フランツに関する話も、いやそれどころかラップの回想録に載っている「お前は狂人か、さもなくば病気だ」というナポレオンの言葉もない。ただ医師のコルヴィサールを呼んだという点は共通している。医者によると青年には激情の兆候すらなかったという。
 ラップの話との差異で注目に値するのは、「私がお前を許したらどうするつもりだ」というナポレオンの質問に対する回答だろう。ラップによれば青年は「あなたの命を奪う最初の機会をとらえるつもりだ」と答えているのだが、ペリュスの記録によれば「私の計画は失敗し、あなたは用心するだろうから、私は静かに家族のところへ帰るだけだ」と話している。多くの記録に描かれている熱狂的な愛国者というよりは、妙に冷静な変人といった趣がある。
 そして最も面白いのは、青年の懐から見つかった若い女性の肖像画に関する問答だろう。漫画にも出てきたこの肖像画について聞かれた青年は、ラップによれば「私が愛している若い女性です」(p145、英訳p145)と答えたらしい。漫画の描き方と同じと言える。
 ところがペリュスによると違う。シュタップス曰く「私の最良の友で、父の養女です」(p42)。えーとそれはつまりあれか、もしかしたら血のつながらない妹みたいなもんなのか? 義理の妹の肖像を後生大事に持っていたってことか?

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 ソレナンテ・エ・ロゲ [Sorenante et Loguet]
     (1599~1664 フランス) 

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コメント

No title

JIN
ヴァグラム編ではマッセナの存在がポイントでしたね。

利に聡い彼だけに切り上げ時を考えている感じでしたが、同時にそれだけではない感慨もあると。

No title

desaixjp
マセナが恰好いい最後の場面になる可能性が高そうですからねえ。
ポルトガルでは衰えた様子に描かれるのではないかと思います。ウェリントンに言わせればまだまだ強敵だったそうですが、漫画でそこまで踏み込むのは難しいのではないかと。
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