これ以外に火薬に関連すると思われる中国の文献については、こちら"
http://jsmh.umin.jp/journal/47-1/182-184.pdf"でいくつか指摘されている。具体的には馬王堆から出土した「五十二病方」、後漢から三国の頃に成立した「神農本草經」や南北朝時代の「本草經集注」、葛洪の書いた「抱朴子」、そして要略や集成と同じく正統道蔵に採録されている「諸家神品丹法」だ。それぞれ何が書かれているのか、具体的に確認してみよう。
雄黄を服用する方法として、蒸して酒とともに食べるか、「或先以硝石化為水乃凝之」つまり硝石を使って水にするか、動物の腸にいれて蒸して赤土に埋めるか、「或以鬆脂和之」つまり松脂と和えるか、「或以三物煉之」つまりこの3つを練り合わせて服用すると書いている。練り合わせたところで硫黄、硝石、そして松脂が全て混ざるというわけだ。
結論。中国では紀元前から硝石や硫黄の存在が知られていた。この両者に可燃物を混ぜたことが確認できるのは「抱朴子」が最古だが、その時点では爆燃性は確認されていない。混合したうえで燃やした可能性のある記述は「諸家神品丹法」や「鉛汞甲庚至寶集成」に見られるが、これらの書物は言われているような唐初期もしくは808年の成立を裏付ける証拠がない。そして「真元妙道要略」は慎重な説を取るなら10世紀前半の成立となり、Needhamの言うような9世紀半ばではない。
つまり火薬の発明は10世紀前半、と考えるのが一番妥当ではないかと思われる。もちろんそれより前に発明された可能性もあるんだが、それを強く主張するだけの証拠がない。あくまで証拠に基づいて考慮するなら、最も慎重に考えてなお火薬の爆燃性が確認できる「要略」の成立年代、つまり930年頃が火薬の誕生時期だとしておくのが安全だろう。
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