プロスペル他

 久しぶりにナポレオン漫画の話を。現在、絶賛ヴァグラムの戦い継続中だが、久しぶりに割と長めに戦闘の様子を描いているように思える。ではいくつか元ネタを。

 最近はマルボのネタを使うことが多いんだが、今回も彼が登場している。漫画では名前が「プロスベロ」になっているが原文ではProsperになっているので「プロスペル」とか「プロスペ」とかの方が近いんじゃなかろうか。またこちら"https://fr.wikipedia.org/wiki/Duc_de_Rivoli"によればプロスペルは1793年生まれなので、ヴァグラムの時の年齢は漫画の「20歳」ではなく15~16歳となる。デルダフィールドの本"https://books.google.co.jp/books?id=hv-RAwAAQBAJ"にyouth of about twenty(p159)とあるのが漫画に採用されたのだろう。
 マセナの息子に関するマルボの記述は、漫画とは異なっている。漫画では息子が父親から命令書を奪って走り出した格好になっているが、実際に伝令を運んだのはマルボ。伝令を命じる順番を無視してマルボを指名したマセナは、彼に向かってへつらうような調子で「なぜ息子を行かせないか分かるだろう、あいつを死なせたくないんだ、分かるだろう、分かるだろう?」と話しかけたそうだ。
 自分が一番信頼されているから厳しい任務を任せられたのだと思っていたマルボはこの発言に激怒し、「元帥、私は義務を果たすために参ります。ほとんど確実な死に副官の1人を送り出さねばならない時にあなたが息子よりも私を選ぶという失敗をしでかしたことを、私は残念に思います。そんな残酷な事実を告げずともよかったというのに!」と捨て台詞を吐いて出発した。
 ところが彼が目的地であるブーデ師団に到着した時、そこにプロスペルもやって来たという。彼はマルボに対して「私が行くべき時に父の贔屓であなたに不正がなされたのならば、少なくとも私が避けることになった危険をあなたと分かち合いたいと思ったのです」と話したそうだ("https://books.google.co.jp/books?id=0pUvAAAAMAAJ" p279-280)。漫画では「臆病者」というフレーズに結び付けるため、マルボとプロスペルが入れ替わっているわけだ。

 次にベルナドットがアーデルクラーから撤収した話について。以前にもこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/49603666.html"で言及している通り、オーストリア側ではテッテンボルン騎兵大尉がアーデルクラーを偵察したところ、フランス軍がそこを放棄していたことが分かったという話がある。これについて前回調査では1810年に出版された英語文献まで遡ることができたと紹介しているが、今回ようやくオリジナルを見つけた。
 1809年にペシュトで出版されたRelation über die Schlacht bei Wagram auf dem Marchfelde am 5ten und 6ten Juli 1809, und die Gefechte, welche derselben bis zum Abschlusse des Waffenstillstandes am 12ten des nemlichen Monats folgten"https://books.google.co.jp/books?id=Ap5XAAAAcAAJ"なる長い題名の本がそれで、同書p11にテッテンボルンの話が載っている。同年出版のPolitisches Journal"https://books.google.co.jp/books?id=l5AKAQAAIAAJ"のp1206-1235にも、この文章が収録されている。
 題名から想像するに、おそらくこちら"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55868529.html"で紹介したアスペルン=エスリンクの戦いに関するオーストリア側公式記録、Relation von der Schlacht bey Aspern"https://books.google.co.jp/books?id=BXtkAAAAcAAJ"のヴァグラム版であろう。アスペルン版同様に地図も収録されている。なぜかgoogle bookでは文末に別の文献もまとめて収録されているが、どうしてそうなっているのかは不明だ。

 これに対応するベルナドット側の記録だが、彼が率いたザクセン軍団の参謀長であったガースドルフが1823年にグールゴー宛に書いた手紙が、Mémoires pour servir à l'histoire de France sous Napoléon, Tome Deuxième"https://books.google.co.jp/books?id=XdBBAAAAcAAJ"に収録されている(p386-393)。リアルタイム性には乏しいうえにザクセン軍の擁護を目的に書かれた文章なので信頼度の今一つだが、当事者の文章であることは間違いない。
 そこでは色々とベルナドットの行動に関する説明がなされているが、その中にさらっと「[6日に]我々の軍団は戦線を整えるため少し後退しました」(p390)という一文が含まれている。あまりにあっさりと書かれているので、この行為についてガースドルフがどう考えていたのかは分からない。命令に反していない行為だからあっさり記したのか、あるいはナポレオンの意図に反している行為だったので敢えて細かく触れるのを避けたのか。どちらとも解釈できそうに思える。
 前日時点でベルナドット軍団がアーデルクラーにいたことは認めているので、6日未明に彼らがアーデルクラーを撤収したのは間違いないだろう。それがナポレオンの意図に反していたのか、ナポレオンはアーデルクラーを保持しておけと事前に命じていたのか、ベルナドットの後退を知ってナポレオンが怒ったというのは本当なのか、そのあたりは前にも調べているのでここでは言及しない。
 なおガースドルフの手紙については英訳本"https://books.google.co.jp/books?id=r2cUAAAAQAAJ"から翻訳してみたのだが、とても長いので次回に掲載する。
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