氷上

 しばらく言及していなかったフス戦争の話を少し。といっても今回ようやくクトナー・ホラ戦役が終わったばかりなので、前に書いた話"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55657867.html"の範疇を出るものではない。とりあえず、こちら"http://seiga.nicovideo.jp/comic/6131"の最新話に出てくる部分についていくらか書いておこう。
 漫画では十字軍を裏切ったクマン騎兵が氷上に誘い出され、アウステルリッツのロシア軍のようにやられる場面が描かれているが、これは全くのフィクションではない。実際にこの戦役の最終局面で氷が割れて兵士が死んだ場面があったという。ただし舞台は湖ではなく河だ。
 LützowのThe Hussite War"https://archive.org/details/hussitewars00lt"によると、ネメッキー・ブロト近くのサーザヴァ河"https://cs.wikipedia.org/wiki/S%C3%A1zava"に架かる橋を渡って十字軍が逃げる際に、橋が狭かったため渋滞が生じ、逃げ遅れた兵がフス派の兵に数多く倒された。そこでハンガリー騎兵は凍ったサーザヴァを渡って逃げようとしたが、氷が割れて多くの兵が溺死した(p109-110)という。
 フス戦争研究家のPalackýが書いたScriptores rerum bohemicarum第3巻"https://books.google.co.jp/books?id=gUtdAAAAcAAJ"には、サーザヴァSázawuの話が紹介されている(p49)。LützowによればPalackýは「458人の騎士」が溺死したと書いているそうだが、残念ながら同書のどこに記されているかは分からなかった。いずれにせよ彼らが溺死した理由は、多くの兵が氷の上を通ったために氷が割れたのが理由だ。
 漫画ではそれを「砲撃で氷を割った」という話に加工したわけで、この部分はそれこそアウステルリッツあたりにヒントを得たのかもしれない。こちら"https://swordsandarmor.wordpress.com/tag/hussites/"にはフス派が利用した火器としてピーシュチャラ、ハーコヴニツェ、タラスニツェ、ホウフニツェなどと並んでボンバルダ即ち初期の臼砲も紹介されている。漫画で氷を割るために使っている火器も、ボンバルダあたりだと考えれば辻褄は合う。
 こちら"http://www.husitstvi.cz/forum/viewtopic.php?t=2017"には古い画像などがいくつも紹介されているが、例えばコンラート・キーザーの絵"http://www.feuerwerkbuch.de/mediac/400_0/media/GeschSteinb$C3$BCchse$2001.jpg"などは漫画に描かれている火器の参考になったかもしれない。ウィーンのマニュスクリプト"http://i910.photobucket.com/albums/ac310/Mathias_Olbramowicz/Vyber%20na%20Zborenak/vde.jpg"には、もっとシンプルに板の上に乗せただけの火器が描かれている。
 こちら"http://husitstvi.cz/vojenstvi/husitske-valecnictvi-trochu-jinak/zbrane-husitskych-valek/"にも古い画像がいくつかある。中でも興味深いのは15世紀前半のタラスニツェやホウフニツェを描いたものだ。こちら"http://husitstvi.cz/wp-content/uploads/vojenstvi-jinak48b.jpg"のタラスニツェは漫画同様に木材の上に据え付けているが、こちら"http://husitstvi.cz/wp-content/uploads/vojenstvi-jinak49b.jpg"は砲車のようなものに乗っている。こちら"http://husitstvi.cz/wp-content/uploads/vojenstvi-jinak50b.jpg"やこちら"http://husitstvi.cz/wp-content/uploads/vojenstvi-jinak52b.jpg"のホウフニツェも同じだ。砲車のようなものに乗せる取り組みは、15世紀にはもう一般的になっていたのかもしれない。

 ちなみにフス戦争についても、戦場考古学の取り組みがあるようだ"http://rcin.org.pl/Content/58684/WA308_78474_PIII368_Archaeological-trace_I.pdf"。1428年に陥落したシュレジエンのグニエボシュフにある城で発見された砲弾から、フス派の攻撃がどのようなものであったかが推測されている。
 見つかった砲弾は全て砂岩を加工したもの。砂岩は「軽く、砕かれやすい」ため、発掘でも城壁にぶつかって割れた砲弾の小片が大量に見つかったそうだ。サイズは直径12センチ、15センチ、17-18センチ及び20センチほどのものがあり、重さは3~5キログラムだった。
 攻撃は城門のある北東側付近に集中しており、使用されたのは中口径のホウフニツェが中心だったという。大口径のボンバルダは兵站上の困難や行軍ペースを遅らせることなどから、小規模な砦の攻撃にまでは投入されなかったのだろう。心理的効果を期待して軽砲を使ったのではないかと、この文献では推測している。
 ホウフニツェもそうだが、砲身の短い当時の砲では正確さは期待できず、効果的な砲撃は200メートル以内でなければできなかったという。後の騎馬砲兵同様、破壊力よりも機動力を重視した火器だったのだろう(p117-119)。そう考えると、漫画で氷を割るのに使われたのもボンバルダではなくホウフニツェだったのかもしれない。
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