基本的にこの本に書かれているのは、以前Secular Cycles"
http://press.princeton.edu/titles/8904.html"でまとめたものと同じだ。あちらが農業社会における「永年サイクル」を調べたのに対し、こちらは途中から産業社会に突入した米国の事例を取り上げているのが主な違い。分析のツールとして使っているStructural-Demographic Theoryは同じで、このツールが産業革命後の社会にも十分に適用できることを主張しているようだ。
もちろん細部に違いはある。特に農業社会で通用した土地収用力と人口とのダイナミズムという簡単な説明は、化石燃料をエネルギー源として使えるようになった産業革命後には通用しない。Turchinはこの部分について「労働の需要と供給の関係」という切り口に変更し、労働供給が過大になり実質賃金が低下すれば大衆の困窮につながるというモデルに変更している。ただ、それ以外は農業社会分析と大きな違いはない。エリートの過剰生産も、政府の財政悪化も、だいたい同じモデルだ。
モデルを使った分析後も、基本的にこの枠組みは通用すると結論づけている。唯一、重要な変更が必要になるのは実質賃金の部分で、市場の需給だけでなく「文化的」な力が影響するようになったという。最低賃金や雇用に関する規制、さらには社会保障などの施策がおそらく市場原理では説明できない要素をもたらしているのだろう。あるいは累進的な課税も含まれるかもしれない。確かに農業社会の時代には存在しなかった対策だ。
そうした変化を踏まえてもなお、モデルは有効だと見ている。何より永年サイクルモデルの主な動因はエリートの過剰生産にあり、この状況は農業社会の時代と変わっていない。足元ではエリート過剰生産が生じ、それがエリート間の対立につながり、政治社会的な不安定性をもたらしている。2010年代の不安定性増加は1850年代と良く似ているそうで、かつてはこの不安定性がやがて米国最大の戦争である南北戦争につながった。果たして今回は、というのがオチだ。
いい理論は単に説明がシンプルなだけではなく、今後を予想できる能力を持っていなければならない。逆にいえばいくら精緻な理論でも今後の予想が当たらなければ意味はない。Turchinがこうした近い将来について予測した本を出してきたのは、おそらく自分の理論に自信があるからだろう。もちろんこれが当たるかどうかは現時点では分からないが、2020年にかけてこの理論の的中度を実際に確認するという楽しみが生まれたことは確かだ。
興味深いのはこちら"
http://peterturchin.com/age-of-discord/"に載っている1780-2010年の米国における「政治的不安定性」のグラフだ。ほぼ建国時点から現在までをカバーしたこのグラフには2つの特徴がある。1つはほぼ50年ごとに大きな突出部があること(1870年、1920年、1970年)、そうした短期的な上下をならしてみるとより大きなサイクルが見えてくることだ。1820年を底に不安定性は高水準に上昇し、しかし1930年以降にいったんは低水準に下がる。それがまた足元では上昇傾向を見せている。
前者の50年ごとのピークはSecular Cyclesでも指摘していたfathers-and-sons dynamicsだろう。50年と言えばほぼ2世代に相当する。政治社会的な大混乱を経験した世代は紛争より妥協を選ぶが、その子供は経験がないために妥協より紛争に走る。そうした流れが米国の歴史にも存在するというわけだ。これは比較的短期のサイクルであり、労働需給やエリート過剰生産とは別に生じうるものらしい。
一方、人口変動を基礎に生じる永年サイクルを見るなら、1820年から1950年までが1つのサイクルだと言える。好感情の時代である1820年代と戦後の1950年代は、いずれも統合と繁栄を謳歌したタイミングだ。だがそこで流れは変わった。大衆の困窮化とエリート過剰生産が重なって不安定化が進み、南北戦争から大恐慌の到来まで「不和の時代」が続いた。
問題は永年サイクルにおける「危機」と「沈滞」をどの時期に当てはめているかが分からないところ。順番から言えば南北戦争が危機で、その後は沈滞と考えるべきだと思えるが、そうなるといわゆる「金ぴか時代」が沈滞期に相当することになってしまう。つまり米国の最初の永年サイクルは、通常の永年サイクルと異なりエリートの繁栄より前に危機がやって来た格好となるのだ。そうではなく金ぴか時代後に危機が来たと考えた場合、米国はそれほどのトラブルなしに危機を乗り切ったという結論になる。
前回この話を紹介した際には後者の解釈が成り立つと思っていたのだが、どうも関連ページを見るとTurchinはそうは考えていないように見える。だとしたら今まさに迫っている危機の時代は、場合によっては多数の死者を出す可能性がありそうだ。Turchinはそれに対し、集団的で協力的な活動によって最悪の事態を避けることを期待しているが、果たして過去に数十万人の死者を出さなければ乗り切れなかった「不和の時代」をうまく脱することができるかどうかは不透明。何しろTurchin自身が言うように南北戦争から「150年後の今日、[大規模で複雑な社会は脆弱であるという]この教訓は完全に忘れされられている」(p4)のだから。
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