いずれも厳密にいえばおかしい。まず魚類というカテゴリーそのものに問題があることは既に指摘済み。また爬虫類から鳥類が進化してきたという表現はまだしも、哺乳類が爬虫類から出てきたという書き方は変だ。もちろん両生類の一部が爬虫類に進化したというのも間違い。
哺乳類も爬虫類も両生類も条鰭類も軟骨魚類も円口類も、いずれも進化の最終形態として現在生き残っているのであり、どちらかがより古く、どちらかが新しいというものではない。だが上記のような説明だと、あたかも古い魚類から両生類が生まれ、そこからさらに新しく爬虫類が生まれ、そしてさらに哺乳類や鳥類が出てきたかのように読めてしまう。
残念ながらこの指導要領は脊椎動物を「魚類をはじめとする五つの仲間」に分ける時点で間違っている。脊椎動物を分類するならまず無顎類と顎口類に分けるところからスタートすべきだし、続いて顎口類を軟骨魚類と硬骨魚類に、硬骨魚類を条鰭類と肉鰭類に、肉鰭類をシーラカンスやハイギョと四肢動物に、四肢動物を両生類と有羊膜類に、有羊膜類を哺乳類と双弓類に分けていくべきだろう。
つまるところ指導要領が教えようとしているのは科学的分類法ではなく、世間一般通念としての「脊椎動物」分類である。いや確かに昔はこうした分類も科学的に妥当だと思われていた時期があったのだろうが、それこそ私が中学生だった頃ならともかく、今もなおこの考えが妥当だと思っている専門家はほぼ存在しないはず。そもそもの枠組みが間違っているように思う。
間違った枠組みのうえに「現存している生物は過去の生物が変化して生じてきたこと」まで教えようとするから、最初に紹介したような素っ頓狂な説明が出てくることになる。進化によってそれぞれの種類が生まれてきた時期というのなら「魚類→両生類→爬虫類→哺乳類→鳥類」というのも間違いではないが、それは単に時間的にどちらが先だったかを示すものでしかなく、進化の概念説明にはなっていない。指導要領の無茶ぶりに答えようとしてさらに無茶をした結果が現状なのではないだろうか。
どうして指導要領は「五つの仲間」にこだわるのか。上にも書いた通り、科学的に妥当な説よりも世間一般の通念を、もっと言うなら私のように古い説を教えられた後でそれを全くアップデートしていない「世の中の大人」に合わせた知識を教える方が大事だと考えたから、としか思えない。要するに義務教育の段階で「科学的な手法によって得られた知識」を与えることを諦め、世間に迎合することを優先しているのだ。
義務教育というものが「社会に出て通用する人間を作る」ことを重視しているのなら、この判断は間違いとは言えない。様々な分野で権限を握っている年寄りが、魚類や爬虫類という分類を無邪気に信じている場合、それに若者がわざわざ異を唱えても得をする場面は多くないだろう。もっと空気を読めと言われるのが関の山だ。だったら最初から「世間の大人」並みの知識を与えておいた方が本人のためでもある。
それに、科学的な厳密さのある分類と、世の中の通念として使われている分類は、決して一致しない。専門家の間では魚類という概念を否定した方が都合がいいとしても、世間一般では「魚」という概念はまだまだ使い勝手のいいものだ。そういった使い勝手のいい概念を生物分類の入り口として利用する方が、勉強を始めたばかりの子供たちには分かりやすいという判断が指導要領の背景にあるのかもしれない。「五つの仲間」という大雑把すぎる分類も、その方が覚えやすいという配慮かもしれない。
入門編なんだからできるだけ簡単に。そういう発想は別に指導要領だけでなく、様々な分野で見られるものだ。簡単にしすぎた結果、厳密にいえば間違いと言える部分も出てきてしまうことがあるが、分かりやすさ重視で目をつむることも珍しくない。まさに「嘘も方便」だ。大雑把な(厳密には一部間違った)理解をさせたうえで、勉強が進めばより詳細で難しい部分を教えていく。学習とはそういうものだと割り切ったからこその、この指導要領なのかもしれない。いやまあ以上は私の妄想であって本当のところは不明だけど。
いくら入門編とはいえ科学的にいえば間違った説明を「理科」の授業で行うのはどうなんだろうかという違和感と、ならば理科以外のどの枠で生物分類に関する世間一般の通念を教えることができるのかという悩みと、その両方の間で立ち往生するような気分だ。詳細な説明を試みて結局子供が理解できないのでは意味がないし、かといって高校以降は理科から遠ざかり間違った知識のまま世の中に出てくる人間が出てくることがいいとも思えない。
世の中は単純ではない。単純だと思いたい人間は大勢いるだろうが、残念ながら世界は人間の都合に合わせて存在しているわけではない。でもその複雑な世界を複雑なまま全て理解するには、人間の一生は短すぎる。どこかに時間を投じるならその分どこかを切り捨てるしかない。そんな面倒くさい問題が、この中学校における理科の教え方にも表れているのかもしれない。
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