日本の永年サイクル

 Turchinが指摘している「永年サイクル」"http://press.princeton.edu/chapters/s8904.pdf"は、歴史上よく見られる「循環」的な現象をより厳密に定義することで、歴史を単なる印象論ではなく数値の裏付けを持つ「科学」にしたいという取り組みだろう。そのための仮説として、マルサス的メカニズムがもたらす人口の循環が政治や社会にもたらすダイナミズムを一つのモデルにまとめてみたもの、それが「永年サイクル」だろう。
 永年サイクルの特徴は、上に紹介したpdfファイル(Turchinの本"http://press.princeton.edu/titles/8904.html"から第1章を抜粋したもの)の最後に表としてまとめられている。基本的な特徴として、人口のダイナミズム、エリートのダイナミズム、国家の強さと集団的連携、そして社会政治的な不安定性についてそれぞれまとめている。
 拡大期には人口は増え、エリートの割合は低いうえに消費も少なく、社会的統合はエリートから平民へと拡大し、不安定性は低下する。やがてマルサスの限界により人口増のペースが鈍るスタグフレーション期が訪れると、エリートは黄金期を迎えるが同時に数が増えてエリート内の対立が増え、国家の力は衰え始め、不安定性は上昇を始める。そして危機の時期には人口がピークから減少し、エリートはピークにあって争いが激化し、国家は崩壊し不安定性はピークに達する。最後の下降期になると人口は停滞し、エリートは数を減らし、国家再建に向けた試みとその失敗が交互に訪れ、不安定性は次第に低下する。
 こうしたサイクルが農業社会、具体的には中世後期イングランド、近代初期イングランド、中世後期フランス、近代初期フランス、共和制ローマ、元首制ローマ、モスクワ大公国、そしてロマノフ朝ロシアで生じていたことを調べ、まとめたのがTurchinの本だ。残念ながら地域が欧州に偏っているため、この仮説が歴史一般に適用できるかどうかを判断するうえでは不十分と言える。そこで、日本の場合はどうなのかを少し調べてみた。

 まず基本となる人口の推移だが、まずここからいきなり障害にぶつかる。縄文時代から始まる長期のサイクルについては学説があるのだが、200~300年単位の「永年サイクル」に相当する推計はないに等しいのだ。こちら"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88"の学説を見ても、例えばある説では西暦950年がピークになっている一方、別の説ではその時期よりも730年の方が人口が多く推計されるなど見解が一致していない。
 こちら"http://www.jnpc.or.jp/files/2014/07/216745afaa1f09c35d0f2a4d589e3b09.pdf"にある鬼頭宏の発言を見ると、日本では過去に縄文時代後半、鎌倉時代、江戸時代後半に人口停滞期があり、それぞれを境に狩猟採集、水稲農業化、経済社会化、工業化という「文明システム」の転換があったと指摘している(p7)。LiebermanがStrange Paralles"https://www.amazon.com/dp/0521530369"で紹介しているFarrisの説によれば、西暦730年まで稲作によって人口は増えたがそこから13世紀末か14世紀初頭までは頭打ち。それから鋭い上昇を見せて18世紀初頭に再び上昇が止まったという(p379)。
 これらの説を採用するなら、日本での農業社会における「永年サイクル」は、まず稲作が入ってきた弥生時代初期から鎌倉時代までの1600年かそれ以上、続いて鎌倉時代末期から江戸時代末期までの550年ほどという、たったの2サイクルしかなかったことになる。まず期間の長さが異常であり、そして中世フランスやイングランドの事例と異なり、ピークでの安定が長期にわたって続いているところも特徴的だ。
 人口以外の要件も同じ。前半のサイクルでは大和朝廷がエリートとして統合を果たしてから、エリート内での競争激化によって彼らの数が減るという局面が来るまでの期間が異様に長い。後半サイクルでは成長期にエリートの分裂と統合が2回も生じている。国家の力や社会の不安定性を見ても前半サイクルは武士の台頭によってようやくそのあたりが揺らいでいるし、逆に後半サイクルは序盤の成長期に不安定性が最も高くなっている。要するに永年サイクル論に当てはめて議論するのが難しいのだ。
 これはどう解釈すべきだろうか。Liebermanなどは他のprotected rimlandsに比べても日本が極度に「守られていた」ことが、この長いサイクルに関連しているのではないかと指摘している。外部からの侵略はもとより、交易などを通じた文化の伝来も限定的だったため、例えばエリートによる外来文化の需要を見せびらかすための過剰な消費が生じにくかった。疫病なども伝染するまでに時間を要したうえに、排泄物をすぐ流し去る急流が多いために衛生環境を保ちやすかったという地形的特徴もあいまって、マルサスの限界に達してもすぐには人口減が訪れなかった面もある。
 Turchinによれば、農業社会と比べて遊牧民の政治体制はより短い1世紀程度の永年サイクルで動いているという"http://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/55668651.html"。ある意味、世界史の変動に最もよく晒されている遊牧民が短いサイクルで、それよりは「守られている」農業社会が2~3世紀のサイクルだとしたら、さらに守られている要素が強い日本はもっと長いサイクルになるという傾向が見られるのかもしれない。あるいは単にデータ不足で調べきれていないだけで、実際には長いサイクルの合間に2~3世紀で回る人口サイクルが日本にもあったのかもしれない。
 例えば大和朝廷の統一から大化の改新までの豪族連合政権サイクル。大化の改新から本格的摂関政治が始まる律令制サイクル、摂関政治開始から武士台頭までの貴族政権サイクル、武士台頭から鎌倉末期の人口画期に至るまでの鎌倉サイクル、そこから戦国時代の天下統一が始まるまでの室町サイクル、そして明治維新までの江戸サイクルといった一連の循環を想定することは可能だ。ただしこれは単にエリートの動きだけから推測したものであり、統計的な裏付けはない。

 どうも古い時代の循環を調べるのは難しそうだ。だが江戸時代に限れば永年サイクルに似た現象は確認できる。江戸時代序盤の人口急増期には1世紀ちょっとで人口がほぼ倍増しており"https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%83%BB%E8%80%95%E5%9C%B0%E9%9D%A2%E7%A9%8D.JPG"、まさに拡大期と言える。それが18世紀のスタグフレーション期には頭打ちとなり、以後は江戸末期まで停滞が続いた。
 人口増が止まったのは農地の拡大が一巡したことが理由だと言われているが、一方で単位面積当たりの収穫量は江戸時代後半も増加し続けていた"https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E7%94%9F%E7%94%A3%E9%AB%98.JPG"。農地の環境収容力はまだ増えていたのに人口が止まった様子は、近代初期のイングランドで見られた現象と同じ("http://hist1.narod.ru/Science/Secular/Chapter3.htm" Figure 10)であり、要するに実質的に人口減に等しい状況が生まれていたと主張することもできる。
 だが人口と永年サイクルとの適合性が議論できるのはこのあたりまで。永年サイクル論ではスタグフレーション期には実質賃金の低下が見られるはずなのだが、こちら"https://www.ribc.or.jp/research/pdf/tankashiryo/4/063-14.pdf"にある建築労働者の実質賃金(p30)を見ると明白に減少へ向かったのは19世紀に入ってからとずいぶん遅い("http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d2/D2002030.pdf"も参照)。こちら"https://www.hosei.ac.jp/fujimi/riim/img/img_res/WPNo.44_saito.pdf"の分析でも18世紀から19世紀初頭にかけての畿内農家は、同時期のミラノや北京で見られたような生活水準の低下に見舞われていない("http://www.iisg.nl/hpw/papers/bassino.pdf"も参照)。
 江戸時代の一揆発生件数"http://hobbyland.sakura.ne.jp/Kacho/tabi_yukeba/2015/2015_0118/ikki.jpg"を見ると18世紀後半から増えてくるので、そこから平民の生活苦を見ることができるかもしれない。一方こちら"http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1216.html"には1840年の長州におけるエリートと平民の所得格差がほとんどなかったとのデータもある。町民や裕福な農家が経済的に成長する一方、武士の収入が減ったというLiebermanの指摘もあり、平民だけでなくエリートも全体としては収入が増えず、トータルでは格差が広がらなかった可能性がある。
 個人的感想だが、どうも日本の政治体制は限られた環境収容力の中でどう安定を達成するかという部分についての適応力が非常に高いように思える。律令体制確立から鎌倉時代まではごく少数のエリートによる安定した支配がずっと続き、江戸時代後期には人口動態的には不安定化してもいいはずの体制を、様々な改革を通じてうまく誤魔化しながら延命させた。変動への対応力より安定した関係の保持こそが、日本という環境で政治体制が生き残るための最良の策だったのかもしれない。
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